16.休日の過ごし方
シューバットはのんびりとした休日を過ごしていた。
道を覚えるために街に出向いて、行ったことがない場所を歩いて回ろうか。
それとも馬がいる厩舎に行って、ブラッシングの手伝いでもするか。
シングルベッドの上で重ねた腕に後頭部を乗せて、仰向けの状態で天井を見つめながらぼんやりと考えていた。
その時、ドンドンと扉を外から叩く音が聞こえて素早く起き上がる。
公爵家に忠誠を誓う使用人達なら落ち着いた様子で、いつもノックを鳴らす。
それがこんなにも激しい音をさせて、シューバットの名を呼ぶということは何かが起こった証拠だ。
部屋の中にいることを伝えるために、急いで返事をすると血相を変えた先輩騎士が扉を壊しそうな勢いでガン、と開けて飛び込んで来る。
先輩はシューバットと目が合った瞬間に、扉の外を指差して叫び声を上げた。
「アイラお嬢様が危険なことしている!止められるのはシューバットだけだ!すぐに庭に行けっ!」
「はい!」
後から考えると、彼女を止められるのが何故シューバットだけだと思ったのかと疑問が湧いたが、この時はそんなことを考える暇もなかった。
とにかくアイラを危険なことから守らなければならないと思って、先輩を一人残して部屋から飛び出した。
すれ違った人達はシューバットの焦った様子に驚いていたけど、そんなものに構っていられなくて自分が出せる最高速度で庭に向かって全力で走る。
庭に到着した時に見えたのは、いつもとは全然違う装いをしているアイラの後ろ姿。
一瞬、本当にアイラなのかと疑って足を緩めたが近くにはシエナがいて、彼女を凝視していたから確信が持てた。
アイラに近付こうとまた加速するとシエナの叫び声が、広い庭に轟く。
急いで彼女の元に向かい、反射的に視界の端で捉えた鍬をアイラの後ろからとにかく掴む。
そこでやっとシューバットは、アイラの状況とシエナが悲鳴を上げた理由に気付く。
ただ必死にアイラに怪我をさせないことだけを考えていたシューバットは、こんな危ないことを自分に秘密で行っていた彼女に怒りが込み上げた。
シューバットの知らないところで何かあったらどうするのだ、とか。
教えてくれたら休日だろうと手伝ったのに、とか。
声に出してしまいたい言葉は沢山あったけど、彼女が珍しく素直に謝って落ち込んでいる姿に冷静さを取り戻す。
話を詳しく聞くと、アイラの優しさとシューバットの愚かさが彼女に似合わない行いをさせる羽目になったのだと分かった。
華やかなバラの隣にじゃがいもの花が咲いている様子を思い浮かべても、全然しっくりこない。
じゃがいもの花だけが畑に広がる光景は、文句なく美しいと思う。
しかし、色とりどりの鮮やかなバラの花と並べるとどうしても霞んでしまい、じゃがいもの花など見向きもされないだろう。
バラはアイラ、じゃがいもの花はシューバット。
まるで自分達のように天と地ほど差があると思った。
しかし、彼女はじゃがいもの花のことも区別なく褒めて、斜め下に落ちて行く気持ちをすぐに上に向けてくれる。
護衛のシューバットの感情など放置すればいいのに。
輝く大きな目の中にシューバットを映して優しく笑うから、何も言えなくなってしまう。
公爵家の庭に似合わないじゃがいも畑を作ろうとしている彼女を止めるべきだと分かっても、出来る気がしなかった。
じゃがいもの畑作りを手伝うことにしたシューバットは、慣れないことをして顔を赤くさせているアイラに気が付いた。
意地を張るアイラに涼しい場所に移動して欲しくて、シエナの提案も飲み込む。
自分のような田舎の貧乏貴族が気高き公爵令嬢のアイラに触れるなんて、と思わなかったわけではない。
ただそれ以上に、どんどん顔を赤くするアイラに少しでも早く身体を休めて欲しかった。
そして彼女も、シューバットが触れることを許してくれた。
王城でアイラが倒れそうになった時は触れることを拒絶されたけど、今は気を許してくれているのかと思うとくすぐったい気持ちになる。
花のように軽い彼女からは人を惑わすバラの良い香りがした。
アイラの部屋でいつも感じる上品で華やかなもの。
近くでバラが咲いているためか、アイラ自身から香るものなのか。
随分と濃い匂いを傍で感じて、頭がクラクラとして酔いそうだった。
自分の首に回して、頭を俯かせている彼女をちらりと視界に入れる。
ツバの広い帽子で彼女の顔の上半分は隠れて見えないが、艶のあるピンクの唇と無防備な白い首元が鮮明に脳裏に焼き付く。
こんなにも至近距離にアイラがいることが初めてで、激しい鼓動が全身に広がり、彼女にまで届いてしまうのではないかと怖い。
それでも顔だけは必死に取り繕って、平気な振りを維持する。
なるべく彼女の身体が揺れないように木の根元に向かって足を進めた。
手の届くはずのない存在の彼女を、馬鹿みたいに意識してしまっている自分がいる。
アイラが何の取り柄もない男爵令息のシューバットのことをどうこう思うはずないのに、手の中にある温もりを手放したくないと思ってしまっていた。
良くない方向へ思考が流されているのを感じ取ったシューバットは心の中で首を横に振り、アイラを安全に、素早く移動させることに集中した。
護衛騎士の立場でアイラの一番近くに立ち、彼女を守る。
シューバットが公爵令嬢であるアイラに出来るのは、それだけだ。
木に近付くと一緒に歩いていたシエナが日陰にサッとハンカチを敷いてくれたため、その上にアイラをゆっくりと下ろす。
彼女と距離が開くと心が落ち着いて、ホッとする。
シエナならシューバットが何も言わなくても飲み物を用意してくれると思い、すぐに畑の方へ引き返そうとした。
しかし、シューバットが着ていたシャツの裾をアイラにツンと引っ張られて、その場から立ち上がれなくなる。
「アイラお嬢様?」
「……今日は仕事、休みでしょう?」
「はい」
「それなら、私の護衛じゃないわよね」
「ええと…そう、ですね?」
「じ、じゃあ、お嬢様と呼ぶのは止めてちょうだい!」
「え?」
今までアイラに何度か「呼び捨てにしても良いわよ!」と言われていたけど、自分は護衛だからと何度も断っていた。
そんなに呼び捨てにこだわる理由って、一体何なんだろうか。
返答に困っていると、シャツを摘まんでいた指先が手全体でぎゅっと包み込むように変わり、呼び捨てにするまで離さないという強い意志を感じる。
「ア、アイラって呼んでいいわ。主と護衛の関係がなければ、私達って同じ学園で学んで、同じ年齢で、その、そういう関係でしょう?だから……」
曖昧に濁された関係というのは、友達とか友人だろう。
学生でいる時は赤の他人だったけど、今はこうやって面と向かって言葉を交わし、少しは信頼も勝ち得ている。
男爵令息のシューバットには気の合う友人が学園で一人はいたから、高位貴族に目を付けられないように端にひっそりと身を寄せていても居心地の悪さは半減した。
アイラは別の理由で、友達を作りにくかったのかもしれない。
立場のある彼女が他の家の者と仲良くすると贔屓されているとか、調子に乗って横暴な振る舞いをする人が出て来る可能性もある。
そのため慎重に距離を測っていただろうし、気軽に彼女の方から声を掛けられる相手は、シューバットよりも少なかっただろう。
今日シューバットは、アイラが言う通り休日で、彼女の護衛のためにここにいるわけではなかった。
なかなかハードルが高いが、アイラが求めているのなら今ぐらいはそれに応えてもいいかもしれない。
護衛騎士の新人にも気を配ってくれている優しい彼女が、喜んでくれるのなら。
スッと息を飲んで、緊張で震える唇でゆっくりと形を作る。
「…アイラ」
「っ!」
シューバットに熱っぽい表情を向けていた彼女は、ルビー色の目を大きく見開いて、破顔する。
なんだか居た堪れなくて、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
拘束していたアイラの白い指先がシャツから外れる。
シューバットは「暫く休んでいてください!」と余裕のない顔で言い捨てて、彼女に背を向けて早足で畑に向かった。
こちらを見上げる彼女が可愛かった、なんて思ってしまう邪心を全力で振り払う。
シューバットは新品の鍬を手に取って、自分を戒めながら目の前の黒土に深く刃先を突き刺した。
そんなシューバットをぼんやりと眺めながら、顔が赤いように見えたのは気のせいだろうかと悩んでいるアイラがいることには気付いていなかった。
暫くの間、無心で畑を耕していたが、色々と気になる点を見つけた。
バラを植えていた土はじゃがいもが育つのに適しているのか。
肥料は必要ないのか。
そもそも、種芋を植え付けする時期が違うのではないか。
シューバットは畑仕事を手伝った経験はあるけど、一から十まで見てきたわけではなかった。
花が咲かないことを伝えたら彼女は落胆するかもしれない。
しかし、期待して待っていても、じゃがいもの花を見ることが出来ない可能性の方が高い。
後で説明は一応しておくべきだ。
勉強熱心なアイラなら失敗しても良い経験になった、と笑うかもしれない。
そんな彼女の隣で感情を共有するのも悪くないだろう。
じゃがいも畑の土台を作り、種芋はアイラと一緒に土の中に植えた。
シューバットは素手だが、アイラにはしっかりと手袋を付けてもらい、彼女が転ばないように注意を払いながら作業を終えた。
「どうなるか楽しみね!」
「そうですね」
綺麗なバラが咲く隣で、盛り上がった土のある味気ない畑。
前にアイラと共にバラ園を見た時と比べて随分と変わってしまった景色に、彼女は楽しそうに笑っていた。
この日以降、シューバットの休日には大きな変化があった。
アイラがお茶の時間になるとお菓子と紅茶を持って部屋に突撃して来て、強引にお茶会を始める。
未婚の男女が二人きりになるわけにはいかないからシエナも一緒にいるが、あくまでも給仕としての立ち位置。
じゃがいもを植えた次の日に護衛騎士に戻ったシューバットが「アイラお嬢様」と呼ぶと彼女はとても不満げだったが、休日だけという話だったと白を切って逃げた。
それが条件なら、とシューバットの休日に部屋に押しかけて来るようになったのだ。
我儘お嬢様は「アイラ」呼びを定着させようとしているらしい。
その手に乗るつもりはないが、忙しいはずの彼女はシューバットから少なくても一度は「アイラ」と呼ばれるまで部屋から出て行かず、居座ろうとする。
なかなか戻らないアイラを迎えに、シークがシューバットの部屋に来たことが数回ある。
その度に温厚な彼から何故かシューバットが小言をもらう、という現象に頭を悩ませる日が来ることになった。




