15.シューバットの怒り
二話投稿しています。
ご注意ください。
グサリ、とした痛みはいつまで経っても襲って来なかった。
感じるのは荒い息遣いとアイラの身体を背中から包み込む温かな熱。
恐る恐る目を開けて確認すると、アイラを見下ろすシューバットがいた。
彼は足元に落としそうになっていた鍬をアイラの背後から手を回して支え、怪我を防いでくれていた。
突然現れたシューバットにびっくりして、ルビー色の目をぱちくりさせていると耳の近くからシューバットの尖った声が飛んで来る。
「お嬢様、鍬から手を離してください!」
「え…?」
「早く!」
「は、はいっ」
怒気を帯びた顔つきのシューバットを見るのは初めてで、アイラは言われるままに力を抜いて、鍬から手を離した。
シューバットはアイラの代わりにそれをしっかりと持つと、アイラの足に触れないように黒土の上に刃先を下ろして、手を離す。
ぽすりと音がして、手に持っていた棒の部分が畑に落ちて行くのを目で追う。
その間にシューバットに両肩を掴まれて、身体の向きを強制的に二人が向き合うように変えられた。
茶の目がグッと近付き、アイラが怯んでいるとシューバットは激しい剣幕で声を荒げる。
「どうしてこんなものを持っていたんですか!?危ないでしょう!」
「あ、あの」
「お嬢様の身体に傷一つでも付いたら、どうするつもりだったのですか!?危険なことは護衛の俺に全て任せてください!!!」
「は、はい…ごめんなさい」
シューバットにじゃがいも畑のことを知られても、困った顔をするだけだと思っていた。
まさかこんなにも怒られるとは考えていなくてアイラは、しゅんと肩を落とす。
シューバットを喜ばせたくてやったことは、どうやら逆効果だったらしい。
見るからに落ち込んだアイラにシューバットはハッとして、慌てて手を離した。
「申し訳ございませんっ!」
「…謝らないで。私が悪いのよ」
アイラが無茶をして畑を耕している姿を見た使用人の誰かが、アイラを心配してシューバットに知らせに走ったのだろう。
令嬢の自分でもじゃがいもの花を咲かすことが出来ると思っていたのに、種芋を植える前から手間取って、何一つ進んでいない。
休日を満喫していたはずの彼に手間を掛けさせることになってしまった。
やっぱり、じゃがいも畑は諦めるべきなのだろうか。
顔を俯かせていると優しく声を掛けられて、帽子の下から彼と目を合わせる。
「何をしていたのですか?」
「……シューバットが好きだと言った花を咲かせてみたかったの」
「もしかして、じゃがいもの花を?」
「そう。農具を用意して、種芋もあるのよ。でもやっぱり私には難しいみたいね」
「俺が変なことを言った所為ですね…、すみません」
シューバットの後悔するような表情に、違うと首を横に振った。
彼の好きなものを聞いたのも、花を見たいと思ったのも、じゃがいも畑を作ろうとしたのも、アイラ自身だ。
シューバットに謝罪なんてして欲しくない。
好きな人の好きなものを共有したいと思って何が悪いのだろう。
確かに無謀だったかもしれないけど、アイラは本気でじゃがいも畑を作ろうとしていた。
「じゃがいもの花よりも、バラの方が公爵家の庭にはお似合いです。じゃがいもの花はバラのような華やかさがない、俺みたいな花なんです」
「シュー?」
「バラの隣なんてじゃがいもの花も居心地が悪いでしょうし、バラも隣に並べられて嫌がっていると思いますよ!」
シューバットはからりと笑いながら、何も進んでいない畑と隣に広がるバラ園を見比べて逃げるように目を逸らす。
無理をしているのが筒抜けなのに、わざと明るく振る舞っている様は見ていられない。
アイラにだけは本音で話して、嘘偽りない言葉を伝えて欲しかった。
誤魔化すような笑顔が欲しくてじゃがいも畑を作ろうとしたわけじゃない。
「嫌じゃないわ!それぞれの花に役割があると知っているもの。バラは見ることで癒し、良い香りで心を落ち着かせてくれる観賞用。じゃがいもの花は領民に喜びを与え、花が枯れても芋として多くの人を助けるわ」
「それはそうですが…」
「私、じゃがいもが好きよ。美味しいもの!」
キラキラとしたルビー色の目でシューバットを真っ直ぐに見つめて、ふわりと笑う。
彼も目尻を下げ、微かに口角を上げた柔らかい顔をアイラに向けてくれる。
それはどこか困った子供を見つめるような、仕方ないとでも言いたげな表情だったが、シューバットが無理に笑っていないのであれば、それで十分だった。
気を取り直して、もう一度考える。
やっぱり、じゃがいも畑を諦めたくはない。
「ねえ、シュー。私に最後までやらせてくれないかしら?私も貴方が好きなものをこの目で見てみたいの」
「……分かりました」
「本当に!?」
「でも!約束してください。絶対にこの鍬は二度と持たない、と」
「鍬で畑を耕すのでしょう?それがないと進まないわよ」
「俺、いや、私が手伝います。種芋を植える時に、汚れても問題のない手袋をつけて一緒にやりましょう。綺麗な手が汚れたら大変です」
「っ、シ、シューの言う通りにするわ…」
シューバットは自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
思い返してみれば、アイラのことを随分と大切にしている口振りだった。
危ないことをしたアイラに本気で怒って。
アイラの身体に傷が付くことを心配して。
護衛騎士として守りたいと思っているのかもしれないけど、最後の宣言は絶対に違う。
未来の妻と共同作業をしたい、なんて。
シューバットと一緒に仲良く作業している姿を思い浮かべると、ポポポポポッとバラの色よりも濃い赤に全身が染まって慌てて頬を隠した。
幸いにもツバの広い帽子を被っているからシューバットに近付かなければ、気付かれないだろう。
土を踏みしめていたブーツの爪先の方向を変える。
少し距離を取り、バラを鑑賞している振りをしている間に熱を冷まそうと思った。
足を踏み出した、その瞬間。
「きゃっ」
下を見ていなかったアイラは、黒土の上に置いていた鍬の持ち手に足を引っかけて転倒しそうになった。
鍬が足に刺さりそうになった時ほどの恐怖はないが、痛みに備えて身構える。
しかし、未来の夫はアイラがピンチの時はいつだって助けてくれる。
「大丈夫ですか!?」
「…っええ」
アイラが土の上に顔を突っ込む前にシューバットが伸ばした手が、アイラの腕を掴む。
そのまま腕を引かれて体勢を元に戻し、シューバットに感謝の言葉を伝えようとすると茶の目が至近距離に迫り、言葉に詰まった。
「えっ、あ、あの、シュー?」
どうしていつも顔を近付けるのだろう。
シューバットって目が悪かっただろうか。
そんな報告はなかったし、本人からも聞いていないと思いながら、観察するような視線にグッと耐える。
「お嬢様、顔が赤くなっています。長時間外で作業して日差しにやられたのでしょう。すぐに屋敷の中に戻って休んでください」
「へ、平気よ!シューは心配し過ぎだわ!」
「そんなことはありません。慣れない作業をしていたのだし、お嬢様はすぐに体調を崩しやすいのですから用心してください」
「だから違うって言っているじゃない!」
顔の赤みを誤魔化すためにシューバットから離れようとしていたのに、逆に近付くことになってしまった。
そして、火照りを一番気付いて欲しくない人に見られた。
まだ外にいたいアイラと休ませたいシューバット。
二人で攻防戦を繰り広げていると、後ろで静かに様子を見守っていたシエナが日傘を片手にそっと近づいて来て言い争いを止める。
「お嬢様、シューバット様。木の下でお嬢様に休んでいただくというのはどうでしょうか?お嬢様はシューバット様の作業の様子をご覧になれますし、シューバット様はアイラお嬢様がしっかりと休憩している所を監視できます」
アイラはシエナの提案に喜んで頷き、シューバットは迷いながら渋々頷く。
監視なんて滅相もない!とシューバットが思っていることは、アイラとシエナに届かない。
本当は一番近くでシューバットが畑を耕す姿を見ていたいけど、庭の端にある木の下でも見えるだろう。
それに、屋敷の中に連れ戻されるよりは距離が近い。
最近は長い時間シューバットと一緒にいることが出来なかったから、アイラは嬉しくて堪らなかった。
浮かれているアイラを後押しするように、シエナがシューバットにあるお願いをする。
「では、シューバット様。アイラお嬢様は疲れていらっしゃるので、木の下まで運んであげてください」
「シエナ?」
「ああ、もちろん、お姫様抱っこでお願いします」
シエナは真剣な顔で、シューバットに頼むというよりは、ほぼ命令に近い厳しい口調で言い切った。
驚くアイラと目が合うとシューバットに見つからないように、シエナは片目を瞑ってウインクで合図を送る。
大人しく従ってください、ということらしい。
確かにシエナは“シューバットをアイラにメロメロにさせる作戦”に協力してくれると言った。
しかし、これはアイラ自身も恥ずかしい思いをする。
公爵令嬢のアイラや高級品に触れるのを怖がっているシューバットなら絶対に断るだろう。
心臓をバクバクさせながら彼をゆっくりと見上げると、予想とは裏腹に深く頷いていた。
心の内で悲鳴のような、歓喜のような声を上げているとシューバットが「失礼します」と固まっているアイラに声を掛ける。
彼は軽々とアイラの身体を持ち上げて、腕の中に納めた。
いつものシューバットなら困ったり、慌てたりしているはずなのに。
アイラが考えていることを読んだように、緊張したシューバットの小さな声が耳に届く。
「緊急事態なので触れることをお許しください」
「っ、いいわ!シューバットなら構わないわよ!」
「…ありがとうございます」
膝の裏と背中に回された腕は安定感があり、下に落とされる不安はない。
一番の問題はシューバットの存在を猛烈に感じて、呼吸がままならないことだ。
彼はいつも自分に自信がなくて、時々卑屈なことを言う。容姿に関してもそうだろう。
でも、茶の目はいつも清らかで、少し焼けた肌は護衛騎士になろうと頑張っている証拠で、アイラのために必死に走って無造作になっている灰色の髪はどうしようもなく愛おしい。
本人や周りがいくら平凡だと言っても、アイラだけにはシューバットの全てが特別だった。
それを近くで見ることになってしまったアイラは、浅く息を吐きながら一緒に場所を移動しようとしているシエナに視線で救援を求めた。
しかし、彼女は良いことをしていると信じ切った顔でグッと親指を立てている。
アイラの視線の意味が全然通じていなかった。
「…申し訳ないのですが、安全のために腕を首に回してもらえますか?」
「わ、わか、分かったわ…」
高度な要求に鼓動を爆発させながら、公爵令嬢としての矜持を保つために出来るだけ平静な顔でシューバットの言葉に従い、両腕をゆっくりと伸ばす。
内心では、更に距離が縮まったことに焦りを募らせていた。
目の前まで迫ったシューバットの健康的な色をした唇から慌てて目を逸らして、触れないように細心の注意を払う。
この体勢をするにはまだ十年ぐらい早いわ!!!と真っ赤な顔のアイラは、心の中で声を大にして叫んだ。




