13.訓練と兄の手紙
今年の更新は今日で最後になります。
来年もお付き合いいただけると嬉しいです。
よいお年をお迎えください。
シューバットがアイラの護衛となって一か月が経過した。
一度だけ借りた客室よりも小さくて狭い簡素な部屋で朝起きると身なりを整える。その後、部屋を移動して使用人用に用意されている朝食をかき込む。
そして決まった時間になるとアイラの部屋を訪れて、ダイニングルームにエスコートする。
シューバットの仕事はそこから始まる。
アイラに一緒に朝食を食べようと誘われているが、家族の時間を邪魔したくないと遠慮していた。
ただ、彼女の母エリンは部屋で食事をすることが多く、公爵も忙しい時は朝早くに屋敷を出ている時もある。
アイラが一人で食事をする時は向かい側に座って、紅茶を一杯いただきながら彼女と言葉を交わす。
週の半分ぐらいはそんな感じだ。
彼女はナイフやフォークの扱いが上手く、食べ方がとても綺麗だ。
幼い頃から身体に叩き込んできたのが良く分かった。
アイラが仕事をしている間にシューバットは先輩騎士から護衛術を学ぶことになっていて、身体を動かし、剣を振り、汗を流している。
剣に慣れるために常に傍に置き、帯剣するようになった。
まだ自然と使いこなせているわけではないが、剣の存在に違和感を覚えなくなってきている。
訓練は大変ではあるが、苦ではない。
それよりもシューバットは、公爵家で働いている人の名前を覚えることに苦戦している。
執事や従者、侍女に護衛騎士、料理人、庭師など公爵家に関わっている人が多く、一度の挨拶では全員の名前と顔が頭の中に入らなくて目を回した。
そんなシューバットを見たシークが笑って励ましてくれて、名前が分からない時はこっそり教えると約束してくれたので助かった。
しかし、執事長は甘くない。
セバスには、にこやかな顔で「別邸や領地にある屋敷の使用人の名前も覚えてもらいます」と追い打ちをかけるように言われてしまった。
セバスは公爵専属の執事で、シークはアイラの執事をしている。
セバスからの指示は基本的にシークを通じてシューバットの元に届くが、アイラが仕事をしている時は彼女の傍にシークが付くので、訓練中はセバスが時々様子を見に来る。
公爵には複数の執事が付いているから問題ないらしい。
先輩騎士からこっそりと教えてもらった話だが、セバスは元騎士らしい。
だからシューバットの剣の振りを見て、どれほど成長しているのか分かってしまうので気が抜けない。
セバスが騎士時代にどのぐらい強かったのかと先輩に聞いたが、それについては触れてはいけないと神妙な顔で忠告を受けた。
セバスの逆鱗には触れたくないから、それ以降はその話題に二度と触れていない。
シューバットは今、屋敷の裏の短い草が生え揃った開けた場所で先輩騎士に剣の使い方を教わっている。
公爵家の家は大きいが、庭も広い。
アイラと一緒に見に行ったバラ園が鮮やかに広がり、近くにはお茶会やパーティーがいつでも開けるように大きく場所を取ってある。
端の方には背が高くて太い木が一本植わっていて、長い間公爵家を見守っている歴史のある木だとシークから教えてもらった。
「シューバット」
「セバスさん…?」
シューバットが剣を素振りしていると、暇もなく働いているはずの執事長が声を掛けてきた。
剣を一度下げ、額に溜まった汗を左腕の袖で雑に拭う。
何百回と剣を振るっているせいで、手のひらは公爵家に来た時とは比べ物にならないほどに荒れ、硬くなっていた。
稽古を付けてくれていた先輩騎士が小さく頷き、休憩を告げる。
「調子はどうですか?」
「…まだまだ目標には届きません」
「努力あるのみですよ」
「はい」
目を伏せて、セバスから言われている使命を思い出す。
『アイラお嬢様を一番近くで守る騎士になりなさい』
公爵家にはシューバット以外にも護衛騎士は大勢いる。
シューバットよりも遥かに強く、剣ありで手合わせしても勝てる可能性は低い。
剣なしで組手をしても勝つ確率はせいぜい三割程度だろう。
セバスが望むような、一番強い騎士になるには全く実力が足りていない。
先輩達の足元にも及ばない。
アイラは公爵令嬢でありながら、次期当主でもある。
その地位を面白く思わない者や彼女の美貌を妬む者、公爵家を陥れたいと画策する者。
彼女のことを身勝手に敵視して傷付けようとしている連中がいると聞いた時、シューバットは猛烈な怒りが込み上げてきた。
アイラが今までどんな努力を重ね、沢山頑張ってきたことをシークやシエナからこっそりと聞かされた。
正式に護衛になってから彼女と時間を共有し、アイラが毎日真剣に家や領民のために働いている姿や疲れた顔を隠して明るく振る舞っている様子を見てきた。
シューバットが想像出来ないほどの重責を、アイラは背負っている。
そして彼女自身も、与えられた責務や敵意を当然のように受け入れている。
逃げ出したいとも、怖いとも言わないアイラに、何故か分からないがシューバットは少しだけ苛立ちを感じていた。
公爵令嬢としての責務を受け入れて生きてきた彼女と、陰に隠れて生きてきた男爵令息次男の自分との違い。
その差があまりにも大きいことを日々、実感している。
「ところでシューバット、確認したいことがあるのです」
「はい」
「ダンスは出来ますか?」
「学園で習ったことはありますが…」
セバスが直接シューバットに聞きに来るような内容ではない気がしたが、問われたら答えるしかないので正直に告白した。
令嬢令息のほとんどは学園に入学する前からダンスの基礎を終えているため、設けられている授業回数は少ない。
必要なら元婚約者と練習すれば良いと簡単に考えていたし、ダンスを踊る必要はなくなったから気にしてもいなかった。
「そうですか、分かりました」
「あの、ダンスが何か?」
「お嬢様を一番近くで守る騎士には必要になりそうですからね」
「はあ…」
気のない返事をしたシューバットにセバスは笑みを深め、話を聞いていた先輩騎士は苦笑いを零す。
それぞれの反応を不思議に思っていると「頑張ってくださいね」とセバスは言い残して、その場から去って行く。
訳が分からないまま立ち尽くしていたシューバットは、先輩騎士に促されてまた剣を構えた。
訓練を終えたシューバットはアイラに会う前に湯を浴びて、汗を流す。
着替えをしてさっぱりしたシューバットは借りている部屋から出ようとしたタイミングで、外からコンコンと扉を叩く音が聞こえてすぐに開ける。
「はい」
「シューバット様、お手紙が届いております」
「あ、ありがとうございます」
手紙を届けてくれた侍女は頭を下げて、戻って行く。
彼女を含め、公爵家の人達の多くはシューバットのことを様付けで呼んでいる。
何度か不要だと訴えたが、誰もそれを受け入れてくれずに「シューバット様」と呼ぶのが定着してしまった。
手紙の主は兄からだった。
兄が手紙を送って来るなんて今までほとんどなかったし、大金が入った後だったから何かあったのかと心配になってすぐにそれを開ける。
身体を気遣う言葉から始まって、シューバットが領地を離れてからのポナー家の様子について書かれていた。
元婚約者の父、フィーズ男爵は娘が起こした事態に三日遅れで気付き、慌ててポナー家に謝罪にやってきたらしい。
しかし、こちらはすでに殿下から違約金を受け取り、話は終わっている。
同じことを思った兄も随分と衰弱した様子のフィーズ男爵にそれを伝えたが何度も頭を下げ、シューバットにも謝りたいと言ったそうだ。
だが、シューバットは領地にはいないし、しばらくは戻ることはないと伝えると丸まった背中で帰っていったと書かれている。
「そういえば正式に護衛として雇ってもらうこと、兄さん達に伝えていなかった…」
公爵家に来てから慌ただしく時間が流れ、兄に連絡をすることをすっかり忘れていた。
夜にでも手紙の返事を書こうと決めて、残りの文に目を通して行くと最後に衝撃的な内容が書かれていて思わず「ええ!?」と声が出る。
シューバットはその手紙を片手に早足で、主の元へと向かった。
広い屋敷の構造はどうにか頭に入れたけど各所に飾られている装飾品にはいまだに慣れず、近付くのが恐ろしくてその前を通ろうとすると足が竦む。
それでも出来る限り急ぎ足で、アイラが仕事をしている執務室の扉をノックした。
入室の許可を得て中に入る。
柔らかな黄緑色の髪を後頭部で一つに纏めているアイラ、そしてシエナとシークの三人がいた。
「シュー?どうかしたの?」
「アイラお嬢様、今よろしいですか?」
「いいけど…」
慌てた様子のシューバットに、椅子に座っていたアイラがきょとんとして問い掛けた。
シューバットの方が先に訓練を終えた時は、彼女の仕事が終わるまでシューバットは扉の外で待機するようにしている。
しかし、今日は兄からの手紙の内容が衝撃的なあまり待っていることが出来なかった。
「兄から手紙が送られてきたのですが、そこにその、私に知らされていなかった内容が書いてありまして…」
「あら、そうなの?」
「間違いかと思いますが、一応お嬢様に確認をしようかと…」
「何かしら?」
濁してはっきりと内容を話さないシューバットにアイラは困惑めいた顔をしていて、シークとシエナも似たような表情で顔を見合わせている。
例のことについて、三人とも知らないのだろうか。
シューバットが仲間外れにされていたわけではないと分かり、安堵する気持ちと誰が一体兄にこんな話をしたのかと疑問がわく。
「ポナー家に、ブルーム家から縁談の申し込みがあったみたいなのです」
「!?」
「私が……その、お嬢様の婿に、と……」
「!?!?」
「送り先を間違えたのか、何か誤解があったのか……」
シューバットが公爵家の婿になることに、兄が歓迎しているとは彼女に伝えにくい。
返信の手紙には、ブルーム家との縁談は間違いだと書いて早めに送らないと兄が本気にしてしまいそうだ。
ブルーム家とポナー家の間にトラブルが生じるのは避けたい。
バラのように美しいアイラに、平凡で何の取り柄もないシューバットが相応しいと思う人がいるはずがないだろう。
彼女の婿に似合うのはどんな敵からも守り、笑顔にしてあげられる男。
シューバットには当てはまらなかった。
「わわわ、わた、私じゃないわ!お父様が勝手にしたのよっ」
「そうでしたか」
懸命に首を横に振るアイラには何も伝えられず、公爵が一人で行ったことらしい。
シューバットが護衛になることが決まって、ポナー家に挨拶の手紙でも送ろうとして誤って、縁談を申し込んでしまったのだろうか。
いや、それは考えにくい気がする。
シューバットは既に学園を卒業し、責任を取れる立場にあった。
保護者に連絡を入れる必要は少ないし、アイラがポナー家まで行って兄達と顔合わせを済ませていることは公爵もおそらく知っているだろう。
もう一つ、考えられるのは他家へ縁談を申し込むはずが、宛先をポナー家にしてしまったという可能性。
婚約が破棄され、アイラの婚約者が今はいない。
次の婚約者を選ぶために、公爵が爵位の釣り合いの取れる令息に縁談を申し込もうとしても、不思議なことではないだろう。
たとえ、アイラの婚約者が決まってもシューバットがやることは変わらない。
彼女を護衛として守り抜く、それだけだ。
そう心の中で決意した瞬間、ちくりと胸の奥に突き刺さるような痛みを感じた。
病気かと一抹の不安を感じたが、すぐにその違和感は消えてホッとする。
倒れたら彼女の近くにはいられなくなってしまう。
「お父様の所に行ってくる!」
「…私も一緒に行きましょうか?」
「必要ないわ!」
ダン、と机を叩いてアイラは立ち上がる。
田舎の貧乏貴族の次男と結婚するという屈辱を与えられそうになった彼女に申し訳なかった。
気迫溢れる彼女はシューバットの横を通り過ぎて、一人で公爵の元へ向かってしまう。
日が高いこの時間帯に公爵は王城に行っていることが多いため、屋敷にいるのかは分からない。
しかし、憤慨しているアイラにそれを伝えるのは憚られた。
その日の夜。
父の帰宅を知らされたアイラが再度、猛抗議に向かったのだがシューバットには知らされなかった。
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