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10.感謝と歓迎会

 


 アイラの指示に従って道を時々曲がり進んで行く。

 彼女の身体を気遣いながら、装飾品を傷付けないように歩くのはなかなかに難しい仕事だ。


 護衛というのは身体を張ってアイラのことを守る仕事と考えていたが、それだけではないらしい。

 あれだけ護衛にはなりたくないと思っていたのに、最終的にはシューバットが折れる形になってしまった。


 アイラだけではなく、公爵にも説得されると負けを認めるしかない。


「あ、あの、シューバット」

「はい」

「………ありがとう」

「え?」


 細心の注意を払いながら歩いているといきなり感謝されて、動揺のあまり足が止まった。

 エスコート失格だと怒られるのを覚悟したがアイラも一緒になって廊下の真ん中で立ち止まり、シューバットを見上げる。


 彼女の顔から少しだけ赤みが引いた気がした。


「王城でゴーデン様から守ってもらったのに、お礼を言っていなかったから。改めてありがとう、貴方のおかげで怪我をせずに済んだわ」

「ああ…、気にしないでください」


 そんなことシューバットは全く気にしていなかった。

 あの時は殿下に触れたことで色々と考えてしまったけど、彼女が暴行されるのを防げたのだから首を斬られることになっても、無事で良かったと胸を張るべきだったかもしれない。

 そう思うと自分は父親似の肝の小さい男なのだろう。


「あともう一つ、あるの」

「何でしょうか?」


 また歩き出そうとしたシューバットを阻むように、アイラが少し声を張る。

 彼女と関わった数日間の記憶を辿っても彼女から感謝されるようなことは他に思いつかなかった。


「正式に護衛に決まったのだし、」

「はい」

「その…、シ、シ、シューと呼んでも良いかしら!?」


 声を裏返しながらアイラは、シューバットの反応を怖がるようにぎゅっと目を瞑って最後まで言い切った。

 彼女の華奢な身体は震えて、何か悪いことをしている気分になる。


「構いません」


 彼女は何故、自分に許可を取ろうとしているのだろうか。


 シューバットは内心、首を傾げた。

 護衛として雇ってもらっているシューバットは彼女の願いや我儘を叶えるのが当然だし、許しを乞う必要など最初からないのに。

 それに彼女なら愛称で呼ばれても嫌だとは思わない。


「そう!良かった!」


 ただ、呼び方一つでこんなにも嬉しそうな顔をされると困ってしまう。


 シューバットを「シュー」と呼ぶのは家族ぐらいで、ほとんどいない。

 元婚約者の幼馴染にも、友達のキャルムにも呼ばれていない愛称だ。ロザンヌに頼まれていたら拒んでいたと断言が出来る。


 アイラが自分の身内になったような感覚に、少々気恥ずかしい。

 しかし、彼女に深い意味はないのだろう。

 シューバットと呼ぶには少し長いから短い方が何かと便利だと彼女は判断したのだ。


「アイラお嬢様、行きましょうか」

「そうね!」


 満面の笑みでバラ色を咲かせている彼女に小さく微笑んで、アイラの指示の通りに廊下を進んで行く。


 道の真ん中で止まっていても、誰ともすれ違わなかった。

 邪魔にならなかったことに安堵したが、今は忙しい時間帯で他の場所に集まって作業でもしているのだろうか。

 それならシューバットもエスコートが終わったら手伝いに行かなければならない。


「シ、シュー、今日は貴方の歓迎会をするつもりだから夕食は期待してちょうだい」

「か、歓迎会?」

「そうよ?」

「お嬢様、私は護衛であってお客様ではないのですが…」

「今日ぐらいはいいじゃない!」

「ええー……」


 思わず出てしまった声にアイラは、意地悪が成功した子供のように楽しそうに笑った。

 王城からポナー家へ行ったことやシューバットを護衛にしようと奮起していたことから、アイラに行動力と判断力があるのは知っている。


 しかし、シューバットはまだアイラのその動きに付いて行けずに振り回されてしまう。

 アイラの護衛として彼女の近くにいる限りはこれから先も、こういうことが続くのだろうなと胃を押さえたくなった。


「シューは何が好きなの?今からリクエストしておくわ」

「い、いえ!それは迷惑がかかります。俺、いや、私は食べられるものは全てありがたくいただきますので!」

「私って言いにくいなら止めても良いのよ?」

「それはお嬢様に失礼に当たりますから…」


 気を張っていると大丈夫なのに時々、慌てると素が出て「俺」って言ってしまう。


 護衛としての自覚を早く持って、余裕で不意の事態に対応出来るようにならないと公爵家では爪弾きにされてしまうかもしれない。


 そこでふと違和感に気付いた。

 シューバットは護衛になることを望んでいない。

 張り切って護衛の仕事をすると他の仕事に回してもらえないかもしれないから、ほどほどで止めておいた方がいいのだろうか。

 しかし、中途半端というのもあまりしっくりこない。


 悶々と悩んでいるとアイラの部屋に到着した。


「シエナさんは部屋の中にいらっしゃいますか?」

「おそらく居ると思うわ。シエナに用があるの?」

「はい、お嬢様が無理をしないように見張っていただく必要がありますから」

「…別に私は平気よ」

「先ほどより赤みは引いたみたいですが、まだ体調が悪いようにも見えます」

「そ、そそそんな…!」


 軽く触れ合っている手を引いて、アイラに少しだけ顔を近付ける。

 小さな顔、可愛らしい耳、細い首、傷のない綺麗な腕を観察するようにジッと茶の目で隅々まで見つめるとまた朱が広がっていく。

 熱があるのにやっぱり隠していたらしい。


 無理をしてでも歓迎会とやらに出席しそうだから、セバスに相談して中止にしてもらうべきか。

 シューバットにとってもその方がありがたいという下心もほんの少し、ある。


「お嬢様と………、シューバット様?」

「シエナ!?」


 アイラの部屋の中にいたシエナが扉を開けて不思議そうな顔を覗かせた。


「声が聞こえたので開けてみたのですが…」

「そ、そうなの」

「ええと、お嬢様、おめでとうございます…?」

「違うわ、まだ!護衛っ、正式に護衛になったのよ!!!」


 アイラとシューバットを交互に見比べ、エスコートしていた手に目線を止めて少し首を傾げながら祝福の言葉を口にしたシエナに、こちらも同じ動きをしてしまいそうになる。


 しかし、アイラにはシエナの意図が伝わったようで、パッとシューバットから手を離してシエナに覆い被さるように部屋の中に飛び込んで行く。

 多少は元気があるようで安心したが、まだ万全の状態ではないだろう。


「シエナさん、アイラお嬢様の護衛になりました。これからよろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

「お嬢様が体調を崩されているようなのでしっかりと休んで欲しいのですが、看病をお願い出来ますか?」

「え!?お嬢様、どこか悪いのですか!?」


 シューバットのお願いにシエナが慌てた様子でアイラの顔を覗き込んで、一つの変化も見逃さないようにじっくりと確認する。


 それにアイラは懸命に手を振って体調が悪いわけじゃないとアピールしているが、彼女専属の侍女シエナのことは誤魔化せないだろう。


「顔を赤くしているので熱があるのだと思います。酷いようならお医者様を呼んでいただきたいです」


 本当は今の状態でも医者を呼んで欲しいのだが、公爵やセバスが許してくれないかもしれない。

 シエナならシューバット以上にアイラの体調の変化に敏感になって対応してくれるだろう。


「ああ、なるほど…。承りました」

「ありがとうございます」


 少し頭を下げてお願いすると、シエナが戸惑いながらも応えてくれたので顔を上げる。

 アイラは不安そうにちらちらとシューバットに視線を送っていたから「ゆっくりと休んでください」と彼女を安心させるように微笑んで、扉を閉めた。


 さて、この後はどうすればいいのだろうか。

 アイラをエスコートすることになってから頭の端には浮かんでいたが、彼女に余計な心配をさせないようにあえて言わなかった。


 ここからどう進めば客室まで戻れるのだろう。それともセバスの元へ向かい、護衛の仕事を教えてもらうべきか。


 アイラの部屋の前で立ち止まって悩んでいると足音が後ろから聞こえて、すぐに振り返る。


「シューバットさん、お部屋までご案内します」

「…ありがとうございます」


 シューバットが迷うことに気付かれていたようだ。

 シークが迎えに来てくれていたので素直にお礼を言うことにする。


 彼には頼りっぱなしで、申し訳なく思いつつもすごく助かった。

 このままだと屋敷で働く人達に侵入者と間違えられて、追い出されていたかもしれない。


「あの、シークさん。部屋の件なのですが…」

「やはり客室は落ち着きませんか?」

「はい」


 歩きながらおずおずと誰にも尋ねられなかったことを聞くと彼はクスリと笑った。


 シューバットの考えはお見通しだったらしい。

 何度も同じことを言って申し訳ないが、公爵家の人とは感覚が違うから仕方がないだろう。

 あの豪華な客室に踏み入れるだけでとても緊張する。

 おそらく父や兄だってシューバットと同じ反応をするはずだ。


「明日からは別の部屋を用意いたしますので、今日は客室をお使いください」

「…分かりました」


 今夜は妥協しなければならない。

 シューバットの要望を聞いてくれるのだから一晩ぐらいは仕方ないだろう。


 寝不足になりそうだが、一日ぐらいは眠らなくても命には関わらないから我慢出来る。

 それとも公爵に会うという緊張感から解放された緩みで、今日はよく眠れたりするだろうか。

 いや、やっぱりそれはないと思う。


「夕食はお客様として参加してください」

「え?」

「シューバットさんを歓迎するためにお嬢様が張り切っているようなのです」


 アイラも言っていたが、歓迎会をする準備は着々と進んでいるらしい。

 卒業式では色々とあってあまり食べられなかったから嬉しい話ではある。


 しかし、シューバットは護衛なのにそんなことまでしてもらって本当に良いのだろうか。


 客室に戻り、シークが夕食の用意が出来たと呼びに来るまで悩んでいたが豪華で美味しそうな料理を目の前にしたら吹っ切れた。

 沢山食べて良いと言ってくれた公爵に甘えて、今日だけはと自分を納得させて出された物は全て口の中に運ぶ。


 隣に座るアイラから熱い視線を感じて体調が悪いのかと確認したが、そうではないと何度も首を横に振られた。

 顔色は戻っているし、シューバットより食べた量は少ないが食欲はあるみたいだから体調は改善したのだろう。



 夕食の席では、公爵の妻でアイラの母のエリン・ブルームを紹介された。


 コバルトグリーンのような髪で、青緑色の目の痩せ型の公爵夫人はとても優しそうな人に見えた。

 彼女は身体が弱く、ベッドで臥せっていることが多いらしい。

 そのため屋敷の女主人の仕事をアイラに任せているから支えてあげて欲しいとお願いされて、シューバットはとても慌てた。


 嬉しい言葉ではあるが、必要以上に期待はしないで欲しい。

 シューバットがアイラに出来ることは、バラの花びら一枚にも満たない小さなものなのだから。



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