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真実の愛  作者: 山桜りお
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番外 貴公子ゼオンのあれこれ3

「ゼオン?」








 丁々発止のやり取りを止めて、怪訝そうにかけられた声にゼオンははっと我に返った。


「ゼオンがどうかしたのか?」

「ぼんやりしてたのよ」

「ぼうっとなさっていたようです」

「ほう?エリィ、お前が好き放題仕事を押し付けるからじゃないのか?ゼオンも気の毒に、こんな鬼のような妹に捕まるなんてな」

「お兄様にだけは鬼とか言われたくありませんけど!?ていうかほら、ほらほら、さっさと書類片付けてください!じゃないと今日の夜はシャラと私の女子会です!」

「おまえふざけるなよ、シャラと俺の時間を邪魔するなんぞ万死に値する」

「巡り巡ってその邪魔の原因はお兄様ですわー、嫌なら書類を書いてくれればいいんです」

「…………絶対ろくでもないこと言ってるだろうおまえ」

「あら、よくおわかりですね、と」


 回想から引き戻されたのも束の間、あっという間に自分を置き去りにして猛烈な勢いでしゃべりだした妻と義兄をみて、ゼオンは呆気にとられた。次いでじわじわとその顔に苦笑が浮かぶ。



「ゼオン様、大丈夫ですか?」


 そっとかけられた声の主は、義兄の最愛の相手だ。


「ええ。少々昔を思い出していただけです」


 にこり、と微笑み返すとほっとしたようにシャラが笑う。細くか弱い、けれどもう命の危険は感じられないまでには血色の良くなった美しい義姉。まあゼオンにとって一番かわいくて美しいのは問答無用でエリィなのだが、シャラに惚れたという義兄には同意できる。


「でしたら安心しました」

「ご心配痛み入ります。それよりシャラ様、焼き菓子でもいかがですか?」


 言いつつ懐にしまっておいた焼き菓子を取り出してみせると、今度はシャラが苦笑した。一口大に小さく焼き上げられた小麦の菓子は、目覚めてからもあまり体型の戻らないシャラのためにと料理人が日々作っているものだ。少しでも栄養を取れるようにと、料理人たちがシャラの献立を考えるのは最早彼らの日課である。…………どういうわけだかエリィとシャーロックがああでもないこうでもないと、その輪に加わって意見を出しまくっていたのを思い出して、ゼオンは小さく噴き出した。


「一つ、いただきます」



 一つと言わず二つでも三つでも食べてもらいたいところだが、本人が一つというのだからそれ以上の無理強いはしない。ゼオンは軽くうなずいて残りの菓子を机の上に取り出した。


「エリィ、義兄上もよろしければどうぞ」


 聞こえていないのを承知でシャーロックにも声をかける。書類を前に侃々諤々のやり取りを繰り広げていたエリィがすぐさま反応し、それにやや遅れてシャーロックも菓子に目を向けた。


「……これはゼオンが?」

「ええ、よろしければお食べくださいとのことです」


 問われたシャラが微笑んで返す。シャーロックと目を見て会話ができるのは、今のところシャラ一人だ。真実の愛とはそういう魔法。世界から、愛するただ一人以外がいなくなる覚悟をもって行使するものだから。


 が、横をふと見ればシャラを介していないにもかかわらずエリィがシャーロックに何かを問いかけ、それに対してシャーロックが反応した。



「だからそれは個々の見込みが甘いんだよ、全体だけじゃなくて商品ごとに絞るのが鉄則だって言ってるだろうが」

「お兄様がここは担当するって言ってました!私じゃないわ、この品の売り上げが伸びてないのはお兄様の責任です!」

「おまっ、自分一人でもできるとか言ってただろうが、何を今さら」


 傍から見ればどう考えても互いに互いを認識しあっているようにしか聞こえないが、シャーロックにエリィは見えも聞こえもしていない。その証拠に彷徨うように動かした手でエリィを探り当てたシャーロックは、次の瞬間容赦のないげんこつを見舞った。エリィが頭を押さえて悲鳴を上げる。


「いったああ!あり得ない、貴族令嬢を殴るなんて非常識にもほどがあります!」

「どうせ非常識とかなんとか言ってるんだろうからこっちも言わせてもらうぞ、おまえ俺に任しとけばなんでもどうにかなると思ってんじゃねーよ!あほか、商品の買い手を自分の目で見てなんぼなんだよ、貴族の道楽じゃなくて本気で商売する気なら客を見てこい!」


 ぐうっと押し黙ったエリィは、けれどそのままへこたれるようなことはなくすぐに書類を片手に何か反論する。


 ぎゃあぎゃあと言いあう二人の様子を見ていたシャラが、くすりとほほ笑んだ。


「シャーロック様は、エリィ様と言いあっていらっしゃる時が一番楽しそうですわ」

「奇遇ですね、エリィも義兄上に文句を言うときが一番活き活きしていますよ」


 二人で顔を見合わせて苦笑する。初めは完全にシャラに頼ってやり取りをしていたものの、通訳を介する会話はものの数日で必要なくなった。


 理由は、シャーロックの物言いに腹を立てたエリィが書類でもって彼の頭をぶん殴って(貴族の間にはない言葉だが、こうとしか言いようがない)売上表のところに悪口をでかでかと書き、次いで妹の暴挙に切れたシャーロックが手探りで彼女に拳骨を食らわせたことによる。


 そこで二人は、見えずとも触ることはできることと、物を介せば意思疎通が図れることを発見した。何処までも似たもの兄妹の二人は、こうしてシャーロックが抱えた不可視の問題をあっという間に解決してしまったのだ。


 今も、シャーロックがもう探りもせずに拳骨を落とし、エリィも負けじと紙に何かを書きなぐって彼の顔に突き付けている。












「私、ずっと申し訳なくて」


 二人に目を向けたまま、シャラがぽつりとつぶやいた。儚げな顔に泣き出しそうな表情を浮かべて、彼女は言う。


「シャーロック様が使った真実の愛。あの術のせいで彼は全てを失ってしまったと、取り返しのつかないことをさせてしまったのだと思って。でも、エリィ様はどうにかして意思疎通できるはずだと、笑ってくださったんです。兄なら絶対に大丈夫だからとおっしゃって、同じようにシャーロック様も妹がいるから心配はいらないと。そして本当に今こうして二人だけで話していらっしゃる…エリィ様とシャーロック様の兄妹としての絆の強さを改めて思い知りました」

「ええ。僕もそう思います」




 ゼオンも、少し苦笑してそう答えた。



「シャラ様の仰る通り、エリィとシャーロック様の絆は強い。兄弟げんかばかりにも見えますけど、これほどお互いのことを理解して信頼し合っている兄妹なんて貴族社会ではめったに見ることの無いものですよね」


 真実の愛という魔法について調べた時、成功例はこれまでにないといったけれど。ゼオンは、大昔のおとぎ話で救われる恋人たちにとある共通点があることを見つけ出した。




「シャラ様は、真実の愛を題材にした話をご存じですか」

「……いくつか、幼いころに読み聞かせてもらいました」


 平民上がりということにはなっているものの、シャラは元々貴族の生まれだ。まだ爵位を剥奪される前ならば読み聞かせをする乳母もいたことだろう。予想通りの返答にゼオンは一つ頷く。



「その話には、どれも共通点があるのです。真実の愛が成った物語にあって、そして夥しい失敗にないものが」

「共通、点」





 目を瞬かせたシャラに、ゼオンは微笑した。シャーロックが持っていて、これまでの術者たちが持っていなかったもの。それが、今目の前に広がるこの光景だ。


「――――真実の愛は、ひとつではないのですよ」








 そう言い切ったゼオンの前で。シャラは表情をふっと緩めて、小さくうなずいた。その顔に浮かぶのは驚愕でも怪訝でもない。ああやはりそうなのかというような純粋な合点を纏って、シャラは泣き出しそうに顔を歪めた。




















 ――――そう。真実の愛というのは、一つではない。というよりも、一つではいけなかったのだ。それが、きっとこの魔法にかけられたたくさんの残酷な代償の中の、最後の発動条件。



「シャーロック様は、シャラ様さえいればいいと、毎日仰っていました。けれど、現実問題として最愛の人だけを取り戻し、爵位も失って人一人見えない人間が生きていくことは可能でしょうか」


 問いかけの形をとってはいるが、明確な否定の響きをにじませてゼオンは続けた。


「できるわけがないんです。いくらシャラ様一人が頑張っても、すぐに行き詰まる未来は見えている。だから、真実の愛がそこにあったとしても、一人だけを盲目的に求める愛にこの術は応えない。お二人がこうして帰ってこれたのは、エリィがいたからだと僕は思っています」





 それが、ゼオンの出した答えだ。








 真実の愛は、一つじゃない。シャーロックは後を任せたエリィに対して全ての未来を託し、全幅の信頼を寄せていた。シャラさえいればいいという言葉には、何があってもエリィがいるから後の心配はいらないという意味も込められていたのだ。もちろん、それだけの信頼を寄せられたのは妹に対する心からの愛情があったからこそで。


 エリィも当然、唯一の家族にして兄であるシャーロックに対して強い兄妹愛を持っていた。






『何があってもお兄様たちを見捨てない。この先状況がどう転がったとしても、私は一生二人を愛して守るわ』






 結婚を申し込んだときに、エリィが告げた言葉だ。もう二度と己を見ることはない兄を、そしてその原因となった彼の婚約者を、それでも何があろうと絶対に守り通すのだと。


 ―――――それが、真実の愛でなくて何だろうか。



「真実の愛、というのはきっと、恋情だけではないのです。シャーロック様とシャラ様がたがいに向ける想いも真実の愛であるならば、エリィがシャーロック様を兄として慕う思いも真実の愛なのでしょう。もちろん魔法が成った一番の要因はシャーロック様とシャラ様の絆にあるかと思いますが、何があっても全てを引き受けるというエリィの覚悟なしにはきっとシャラ様は目覚めなかったのだと僕は思います」


 きっと。真実の愛が成功するには、たった一人だけを想い想われるだけではだめなのだ。その唯一を大切にしすぎることはやがて破滅を招く。どう足掻いても、人はたった一人では生きてはいけないのだから。


「真実の愛は、一つではいけなかった。その強すぎる想いを支える別の愛も必要だったんです」


 何故なら、人は一人では生きていけないから。人という字は、人と人が支え合ってできている。そんなよく知られた話は、古くから禁術とされたこの魔術にも生きていた。


「人は一人では生きていけない。だったら、一人でなければいいんです」


 その一人を支える、別の一人がいればいい。そしてその別の一人をまた誰かが支えれば。それはきっと、全てを失った人たちがそれでもすべてを失わないようにするための、最後の仕掛け。


 シャーロックとシャラをエリィが支えるというのであれば、ゼオンはそんなエリィを全力で支える。そうやって人の輪というものは廻っていくのだ。


「エリィ、様には、なんてお礼を言っていいか」


 シャラがぽろ、と涙をこぼした。涙にぬれた顔で、それでも幸せそうに眉を下げて笑う。


「ゼオン様にも、本当に御礼申し上げます。ありがとうございます…」

「お礼なんていいんです、僕は僕の最愛の人を支えただけなんですから」


 エリィの支えになりたかっただけだ。それで満足なんだから、これ以上のお礼なんて身に余ります。


 茶化した調子でそう言うと、シャラが泣きながらふふッと笑った。


「それでも、本当にありがとうございます」

「いいえ、こちらこそ目覚めてくださってありがとうございます」


 くすくす、と二人して笑う。その瞳に膜が張っているのは、シャラだけではない。――――ゼオンも、ぼやける視界を構わずに笑った。


 最愛の妻が、心から笑ってくれていること。それを見られただけでもう、胸がいっぱいだ。自分のした少々の苦労など、エリィが笑ってくれるだけで十分すぎるほどにおつりがくる。だから、本当にシャラたちが気にすることなんて一つもなくて、彼女たちが今こうして元気にしてくれていることがゼオンは本当に嬉しくて。












「―――ゼオン!?」


 横で繰り広げられていた兄妹喧嘩という名の仕事中だったエリィが、唐突に声を上げた。


「ちょ、どうしたの!え、ゼオン、本当にどうして」


 にじむ視界の向こうでエリィがすっ飛んでくるのが見える。綺麗なドレスなのに躊躇なく床にしゃがみ込んで、最愛の妻は彼の顔を覗き込んだ。


「どうしたの、ゼオン。シャラ様、一体何が…シャラ様ぁ!?」

「シャラ!?どうしたんだ!」


 エリィの驚愕をかき消すように今度はシャーロックが叫ぶ。恐らくエリィと同じようにシャラの前に跪いているのだろう。どうした、大丈夫かと聞く声にゼオンは苦笑した。本当にそっくりな兄妹だと、そう思って。


「ゼオン、ゼオン?どうしたの?」


 せっせと涙を拭かれて少しだけ晴れた視界の向こうで、エリィが不安げに顔を歪ませている。


「ねえ、本当に…っ!?」

「問題、ないよ」


 なおも問いかけてきた彼女の台詞を途中でぶった切ってその愛おしい体を抱きしめた。腕の中で驚いたようにバタバタと暴れるのを無視して、そのままぎゅうぎゅうと抱き込む。


「エリィ。――――好きだよ」



 耳元でそう言うと、暴れていた体から急に力が抜けた。ちらりと見えた視界の隅では、シャーロックが同じようにシャラを抱きしめている。


「なに、言って」

「君が好きだ。大好きだ。僕と結婚してくれて、ありがとう」


 普段は照れくさくてなかなか言えない言葉を、躊躇いなく言う。


「ゼオン…?」

「どんな君も愛してる。どんな君だってずっと好きだ。だけど、やっぱり笑っていてくれる君が僕は一番好きだから…」



 エリィが自分の妻であるという奇跡を、彼女が笑って幸せそうにしているという現実を、ゼオンはいっぱいに抱きしめて微笑んだ。




「ありがとう、エリィ」




















 真実の愛。幾人もの力があわさって初めて成るそれはきっと、神に逆らってでも幸せを諦めない人間が作り出した恐ろしくて残酷で悲しくて、そしてこの上なく優しい奇跡だった。



★★★★★


後日談


「ねえエリィ、子育て頑張ろうね」

「……頑張ってるわよ?」

「将来僕が助けてもらえるように」

「……はい?」


 エリィにもしものことがあったら、躊躇なく真実の愛を使うつもりのゼオン。


 そのときに子供が自分に対してしっかり愛情を持っていてくれないと真実の愛はならない、とまあそんな些かズレたことを考えての発言だったけれど、言葉足らずにもほどがあるのでエリィには怪訝な顔をされただけだったそうな。


 相も変わらず「エリィに対してはポンコツ」な彼。


 そんなゼオンが、エリィへの愛ゆえにとんでもない商才を発揮しだしてどこぞの公爵家から跡継ぎの誘いを受けるまではあと…



★★★★★



これにて番外編も完結です。最初と最後をポンコツで占めるつもりだったのですが、本文中にいれるとバランスがおかしくなるかなということで後書きに書かせていただきました。当然、仕事してないとゼオンを馬鹿にしていた人々はここからお先真っ暗です。


本編ではほとんど出番のなかったゼオンですが、いかがでしたか?よろしければ感想いただけますと幸いです。

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新作です。沈む星のことを https://ncode.syosetu.com/n2822hb/
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[一言] まさに真実の愛以外のパズルの全ピースがはまって発動した「真実の愛」ですね。 一番大事なものを手に入れ、手に入れた後も大事にし続けるには、不必要を見極めることができる資質と不要なものを捨て切…
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