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真実の愛  作者: 山桜りお
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番外 貴公子ゼオンのあれこれ 1

ゼオンside

 最愛の妻の名は、エリィという。女だてらに領地経営も執務も両輪を上手く回して、更に子育てまで乳母に任せることなく自身の手で行う驚異の伯爵。ちなみに物凄く若くて美人でかわいらしい。と、彼は思っている。


 そんな彼女の夫であるゼオンは、入り婿なので爵位を持ってはいない。いや、正確に言えば実家の侯爵家の継承権はあるけれど、三男である彼にその役目が回ってくることはよほどのことがない限りあり得ないだろう。そもそもゼオンに爵位を継ぐ気は全くないので、彼自身は一向に構わないのだが周囲はどうやらそうは思っていないらしい。


 この国では建前上の男女平等が叫ばれて久しいが、残念ながら現実との齟齬は大きいのだ。伯爵としてこの家を切り盛りするエリィが「女のくせに」と言われることは日常茶飯事だし、同時に男でありながら入り婿として何もしていないゼオンに向けられる目線も決して温かいものではない。


 ――――エリィのことをとやかく言う奴らはともかくとして、自分に向けられる言葉や視線に対しては、ゼオンは別段何の不満も持ってはいなかった。




★★★★★






「不満、持つべきだと思うわ」


 昼下がり。そんなことをあっけらかんと述べたゼオンに対してぼそっと呟いたのは、最愛の妻エリィ。紅茶を優雅に飲みながらもその目はしっかりと据わっている。ゼオンが惚れ抜いて結婚したこの女性は、二人の関係がただのはとこだった時から既になかなかに肝の据わったご令嬢だった。基本的に隠しごとを嫌い、素直な性根ゆえにはっきりと物を言う。


「あなた仕事してるじゃない、してないなんて声高に叫ぶ人たちに言い返さないなんて何考えてるのよ」

「…………君が怒ることなんてないのに。ていうか君はむしろ、自分に向けられてる悪意に対して怒るべきだと思うけど」

「私はいいの!気にしてないもの」

「だから僕もいいんだよ、気にしてないから」

「…………それとこれとは、話が違うわ」


 ぶすりと膨れたエリィを愛おしげに見て、ゼオンは穏やかに笑った。確かに自分の陰口をたたく人々よりはずっと仕事をしていると思っているし事実そうなのだが、だからと言って無理にそれを誇示する必要もないというのがゼオンの正直な気持ちだ。自分の手柄はエリィのもの。自分が上げた功績なんて、エリィが知っていてくれればいい。ついでにそれで自分のことをさらに好きになってくれれば尚嬉しい。


「あなたが怒らないから私が怒ってるんでしょう!?もう、もうもうもうっ!…あの家とはお付き合いするのやめようかしら」

「それはやめた方がいい。今始めたての事業が軌道に乗るまでは流通経路の確保は必須だし、あの家は顔が広いから。僕の悪口ですっきりして円滑に交渉が進むならむしろ願ったりかなったりだよ」

「願いも叶いもしません!もう、ほんとに…」


 怒りながらもゼオンの紅茶がなくなったことに気づいてエリィはひょいと手を伸ばした。空のカップを手元に引き寄せて、そのまま優雅な仕草で紅茶を注ぐ。こぽこぽ、と立ち上る湯気がエリィの白い手の周りを漂うのを、ゼオンは微笑んで眺めていた。


 怒ったふりをしていても紅茶がなくなったことにすぐ気づいてくれる妻が、どうしようもなく愛おしい。そして、茶器を扱う彼女の口元が自然な笑みを湛えているのに気づいてゼオンはますます頬を緩めた。エリィが無意識で笑っているのを見たのは、いつぶりか分からないくらいだったから。
















 数か月前までのエリィは、率直に言って今の彼女とは別人だった。表情は今とは比べ物にならないほどに硬く、気を抜けば泣き出すのではないかと思うほどにいつも瞳を潤ませていた。笑ったり怒ったりすることももちろんあったけれど、張り詰めた表情を無理やり動かしているようにしか見えず、ゼオンは夫として何もできない自分が不甲斐なくて仕方なかった。


 元来明るいエリィがそんな風になっていた理由は、彼女の唯一の肉親だった兄君とその婚約者にある。エリィにとってたった一人の血を分けた兄とその愛した相手は、五年前死の淵に立って、そこから動くことをやめてしまった。








 真実の愛と呼ばれる魔法がこの世には存在している。愛する者の命を、この世のすべての生みの親であるとする神を欺いてこの世にとどめる留める禁術だ。「この最愛の人間は自分だけのものであり、神のものではない。ゆえに、神が作り出した死という概念に縛られることはない」。難しい呪文の意味はそういうことだ。


 神に逆らってこの世の条理を覆すのだから、当然その代償は大きい。犠牲となるのは、未来だ。術を行使した者は、それから生涯愛するたった一人以外の人間を認識できなくなる。術を使ったが最後、それから先には誰の声も聞こえなければ顔も見えず、術者の世界に存在するのは最愛の相手だけという、残酷な未来が待っている。


 しかも、この術の厄介なところはまだまだこれだけではない。術をかけたその唯一の相手は、必ず助かるとは限らない。というより、助からない可能性の方がはるかに高い。古来の文献をいくら紐解いても、山のような失敗例が綴られているばかりでそこには一つの成功例も見受けられない。最早おとぎ話のような昔の話には幾つかの成功例があるようだけれども、具体的な人物も当時の様子も不十分なその記述は本当に正しいかどうかも疑わしい。そんなことを言ったらこの世には妖精が満ち溢れていてドラゴンを倒す魔法の勇者が何百人から存在し、どこでもかしこでも婚約破棄が日常的に行われていることになる。…そんなわけあるか。


 ということで、正直なところこの術は成功しないものと言われていた。術を行使すれば、最愛の相手しか見えなくなる。そして、その相手も遠からず失う。もうこの時点で最悪な術だと心から思うけれど、恐ろしいことに己に逆らったものを神はそれでも許さない。


 ―――――曰く。真実の愛を発動させたものは、己の意思で命を絶つことができなくなるのだという。ゼオンはこのことを記した文書を見つけた時、心の底から震えあがった。死ねない?最愛を失って、もう誰もいない世界から逃れることができないだと。


 なんと恐ろしい術だと、そう思った。愛したものを失い、世界も失い、そして最愛を追って逝く自由すら奪われる。どれほど相手の元へ逝きたいと希っても、誰もいない世界で生き続けることを強要されるとは、これは最早魔法ではなく呪いだ。


 その記述を見つけた時こんなひどい術があっていいのかと書庫で一人呆然とした記憶は、あれから随分立った今となっても鮮やかに残っている。あまりに残酷な結末しかない術をなぜ人は生み出したのかと。神から与えられる罰にしても非道が過ぎるのではないかと。―――そして、同時に神に盾突くということの重みも、ゼオンははっきりと理解したのだ。


 怯え、恐れ、けれどゼオンはそれを現実としては捉えていなかった。虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉があるけれども、だからと言って実際に虎穴に入る者がいるだろうか。それは単なる命知らずだというのがゼオンの正直な気持ちだったし、だから彼は「真実の愛」についても恐ろしいとは思えども己の身に関わるなどということはちらとも思ってはいなかったのだ。―――まさかそれを躊躇わず実行するような人間が自分の周りにいるなどとは、文字通り夢にも思わずに。

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