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真実の愛  作者: 山桜りお
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 ―――――――真実の愛の発動から、五年がたった。兄はあれからずっと、片時もシャラの側を離れようとはしない。昼となく夜となく静かに愛を囁き続け、限界に達すれば倒れこむように眠りに落ちては目覚め、またシャラへの愛を語る。


 君だけがいればいい。君しかいらない、だからどうか戻ってきてと。このままでは兄も危ないと医師から言われ続けて数年がたっている。だけどどれほど心配でも、私にできることなんて数えるほども存在していない。もう兄に見えも聞こえもしない私にできるのは、ただ疲れ切って眠る兄の横でシャラを見つめることだけ。


 あれから伯爵位を継いだ私は、兄が禁術を使ったことは誰にも話さず心の病で療養に入ったということにした。何しろ報告する相手はシャラの家をあっさり取り潰した王家だ、兄が彼女を生き返らせるつもりでいることが分かればどんな目に遭うか分からない。表向きには病んだ兄に変わって私が女伯爵となり、その翌年には婿を取って正式に次代伯爵として認められた。


「エリィー、どこだい?」

「ここよ」


 私を呼ぶ声に答えれば、すぐに生垣からひょいっと顔がのぞく。


「こんなところにいたのか、レイチェルが探してる」

「あらら、よく寝てたから大丈夫だと思ったのだけど」

「寝起きの悪さは君譲りだからな」

「余計なことは言わないでいいのよ」


 キッと睨むも相手は軽く肩を竦めるだけで流してしまう。金の髪にそろいの瞳の彼は、私の夫だ。血縁上の関係ははとこに当たる彼とは、幼いころから何度か顔を合わせてきたので知らない仲ではなかった。彼と結婚したのは、兄が「真実の愛」を使ってから一年がたったころのことだ。


 伯爵位を継ぐ権利は男女平等とはいっても、現実問題女性だけの貴族の立場というのは弱いもの。一人での領地経営にもだんだん限界がきて、もうこの際隠居した年寄り貴族でも構わないから配偶者を得たいと、そんな捨て鉢な考えを抱き始めた時に彼がやってきてプロポーズしてくれた。


『君が僕のことを好きじゃないのは知ってるけど、僕は君を幸せにしたい』


 どストレートな告白文句に固まった隙をついてさっさと婚約書、果ては結婚証明書にまでサインをさせてしまった辺り彼はかなり質が悪い男だと思う。あれよあれよという間に相手方の両親との顔合わせから王家への報告までが済んで、正気に帰った時にはもう誓いのキスは終わっていた。恋知らずの伯爵令嬢はそうしてあっさりと結婚を済ませ、今では一男一女の母になっている。


 長女レイチェルは甘えたの三歳、長男ウィルフレッドは一歳。二人とも健康ですくすくと育っている。レイチェルは幼いながらすでに才能の片鱗を見せていて、夫は「この子は天才だ!」と世にも有名な親バカという呪いを発動させている。お父様と結婚するとでも言われたらもう天に召されるに違いない。


「義兄上のご様子は…」

「起きてたわ、顔色もそう悪くなかったから昨日は眠れたみたい」


 そっと機をうかがうようにして尋ねてくる彼に淡々と答える。表向きは心を病んで夫婦ともども療養中の兄の現状を、この屋敷にいる者だけは知っている。夫にも、求婚されてしばらくしてから我が家の秘密を明かした。いくら何でも夫となるべき人に隠しとおせることではない。これで婚約破棄されるならそれまでの縁だと腹をくくって話した私に、夫は驚いた顔はしつつも即座に分かったと頷いた。


 誰かに話したりはしない、邪魔もしない。彼らが君の義兄と義姉なのであればどんな人であっても敬わない理由はない。だから僕と結婚してくれ、と。


 それで、私も心を決めた。はとこゼオンに対して恋情を抱いたことはない。けれど、兄とシャラごと私を受け入れると迷いなく言い切った彼とならば添うて生きていける気がしたのだ。


 ゼオンは宣言通り私を溺愛して、兄夫婦に対する態度も変えようとしない。何も答えない兄に時折私のことを語り、シャラの前で跪いて祈りをささげる。そんな彼のことを、私は愛しているのだろう。恋のような甘さはないけれど、代わりにその恋が破れた時の苦さも知らずにいられる。兄のような身を焦がす感情は私には訪れず、ゼオンの溺愛にただただ穏やかな日々は過ぎていった。


 目覚めぬシャラと、その横を離れない兄と、私とゼオンと子供たち。それは傍から見ればとても歪な家族の有り様だったかもしれない。けれど私にとっては大切な人たちに囲まれて、語ることはできなくとも兄もシャラも生きていて。そのことが時折泣きじゃくりたくなるほどに、幸せなことだった。


「…………義兄上の様子が、最近変わってきているという風に聞いたけれど」

「うん、どちらかと言えばシャラの方だけど。お兄様も確かに様子が違うわ」


 部屋に戻り、使用人がいない状態になってからゼオンがそう問うてきた。こくりと頷いて大泣きしているレイチェルを抱き上げる。途端に笑顔を見せてキャッキャと喜ぶ少女につられて私とゼオンの顔もほころんだ。三歳にもなって親の顔が見えないとなくというのは一般的には褒められないことかもしれないけれど、そんなことどうだっていいくらいに可愛い可愛い我が子だ。


 レイチェルは誰に似たのか人見知りの上に寂しがり屋で、私への懐きようが凄い。貴族令嬢は乳母に育てられて親とはあまり関わらないのが一般的なのだが、この子はどんな乳母も泣いて嫌がったため私が育てた。その習慣を引き継いで長男ウィルフレッドにも乳母はつけていない。まるで庶民のようなこの子育ては、兄とシャラをいつ失うか分からない私に束の間の安心をくれた。


 だから。心の中でシャラに語り掛ける。ねえ、シャラ。もう起きても大丈夫よ。だって、今の伯爵は私できちんと後継ぎもいる。レイチェルもウィルフレッドもどちらも素直でいい子だ、きっと大きくなったら立派に伯爵位を継げる子に育つだろう。


 シャラ。跡継ぎの心配をして、兄の告白を幾度も断った貴方。令嬢方に血筋をあげつらわれて、それを苦にした貴方。もうそんなこと、誰にも言わせない。貴方が跡継ぎを作ることができないというのであれば、そんなものはいくらだって私が背負う。兄だって、貴方が嫌がることなんて決してしない。だからどうか起きて。




















 シャラの体を覆う氷は、ここ一月でぐっとその厚みを減らしていた。これまでにも少しずつ薄くなってきてはいた気がするけれども、今はもうそれとは比較にならないほどに薄い。触れれば今そのにはそうな薄氷一枚だけがシャラと外界を隔てる壁だ。それが何を意味するのかは、分からない。その氷が解けた時シャラは目を覚ますのだろうか、それとも兄と共に消えてしまうのだろうか。


 昼となく夜となくシャラに愛を囁く兄は、五年前とは別人のように痩せている。気力的にも体力的にももう限界をとっくに超えているのが誰の目にも明らかな状態で、それでもシャラへの愛を告げる。


 真実の愛、というのはきっと兄がシャラに向ける心のことを言うのだろう。それは魔法の名前だけれど兄の心の名前でもあるのだ。狂おしくも美しく、そこに立ち入れる者はいない。兄は真実、シャラだけがいればそれでいいと思っているのだから。ただ美しいだけの恋ではない。綺麗な愛情でもない。異常なまでの執着と、狂気と紙一重の想いがシャラをこの世に未だ留めている。


 ―――兄ならば。或いは、シャラを目覚めさせることもできるのではないか。そう何度も思って、その度に甘い考えに呑まれそうになる自分を戒めてきた。古来幾人もの術者が愛する者の命を留めんとこの術を使ったけれど、実際に成功した例なんて聞いたことはない。その誰もが、相手を深く深く愛していたのだと聞く。世界と引き換えにしてでも、それでも躊躇いなく相手の命を選ぶような人たちだったのだと書は伝え記している。けれど、それほどの執念をもってしても終ぞこの術が、「真実の愛」が成ることはなかったのだから。


 狂おしいほどの愛に満たされて誰よりもシャラのことだけを思う兄が、それでも絶対に成功するなんて誰がそう言えただろう。


「エリィ」


 ゼオンがそっと私の肩に手を置く。宥める様に、落ち着けという言葉を態度で示すように。


「お兄様、痩せたの」


 ぽつんと、その手の優しさにつられたかのように言葉が口をついて出た。


「痩せたの。元々細身な人だったけど、あんなに細くなかった。シャラが逝ってしまうときも、そうだった。どんどん痩せていって、目の光が弱くなっていって、それで」

「エリィ、無理して喋らないでいい」


 無理なんてしてない。そう言おうとして、堪えきれずに目から涙がこぼれ落ちる。


「お兄、様、きっともう限界で」

「大丈夫だから」

「シャラみたいに、いつか目覚めなくなっちゃうって、そう思って」


 もういい大人なのに、馬鹿みたいな言葉しか出てこない。私は肉親を亡くす絶望を、よく覚えていない。両親が不慮の事故で亡くなった時には私はまだ幼くて、祖父母は未だに健在で。ずっと兄が私を育ててきたようなものだったから、彼は私にとって兄であると同時に父であり、母でもあった。何人分もの役割を一手に引き受けて私を構ってくれた兄が、私の家族のすべてだったから。だから、初めて肉親を失うかもしれない今が、堪らなく怖い。


 唯一の家族だった兄が選んだ相手は、あっという間にこの世を去った。それを神に逆らってでも留めると決めた兄もまた、きっともう長くない。だって限界までシャラに語り掛けては頽れるようにして眠る兄は今、最期に夕餉の約束を交わしたあの日のシャラに驚くほど似ているのだから。家族になるはずだった少女を亡くし、兄をも亡くす日はすぐそこまで来ているのだ。


 かたかたと震える。こんなことになるなんて、五年前の誰が思っていただろうか。兄はやっと口説き落としたシャラに夢中で、シャラも怯えながらも幸せそうに笑っていて、私も家族が増えることがひどくうれしくて。それなのに、今目の前で私を待ち構えている未来は。


「どうしよう、ねえ、ゼオン。シャラがいなくなって、お兄様もいなくなったら、私どうしたら」

「エリィ。大丈夫だ」


 不意にぎゅっと抱き込まれて瞠目した。ゼオンのぬくもりがふわりと全身を包む。外では人目を気にしてか触れることも少ないゼオンが、庭でこんなことをしてくるのは初めてだ。


「大丈夫、義兄上は君を置いて逝ったりしない。義姉上だってきっとそうだ」


 だってそうだろう、と。


「君の家族で、二人ともお互いに大切に思いあっている相手なんだから。人は、大切な人をそう簡単において逝かないよ」


 力強いその声に、驚いて止まっていた涙がまた溢れ出した。


 大切な人を、そう簡単には置いて逝かない。―――そうなのだろうか。それを、私は信じてもいいのだろうか。


「だってほら、実際義姉上は体調を悪くしてからもかなり長く頑張ったんだろう」

「…………うん」

「それに、エリィだって大切な家族だろう。義兄上にとっても義姉上にとっても、たった一人の妹なんだから。きっと君はすごい重しになるはずだよ」


 少しだけ茶目っ気を含んだ物言いに思わず泣きながら笑ってしまう。重し。重しか、そうか。確かにそうなのかもしれない。私にできる役割があるとするならば、それはこの世を去ってしまおうとする彼らを留める重しだ。


 ゼオンの言う通り、シャラは最後は儚くなってしまったけれど、もってここまでだと医師から告げられた期間をはるかに超えて兄の側にいた。それはきっと何が何でも兄を置いて逝くまいとする彼女の強い意志の表れだったのだろうと、その医師が後にそう言っていた。人は大切な人のためならば命の期限すらも塗り替えることができる生き物なのだと。


 兄は、シャラは。彼らにとっての私は、この世にとどまる理由になれていただろうか。


「ゼオン…」

「例えば僕はね」


 ほろほろと溢れる涙をそっと拭って、私の夫はそう言った。


「エリィが待っているならどんなことがあっても帰ってくるよ。もしもどうしようもなく傷ついてしまって命を落とすことになっても、それでも大切な人に別れも告げずに行くことなんて絶対しない」


 義兄上も義姉上もきっとそうだよ、と。優しい声で、優しい言葉を紡いでゼオンは微笑む。大丈夫、大丈夫。


 二児の母なのに子供みたいに泣きじゃくる私を、柔らかな声音で励ましてくれる。


 ――――ああ、彼と結婚してよかった。今、心からそう思う。恋知らずの伯爵だった私が、生涯でただ一度恋に落ちるとしたらその相手はゼオンをおいて他にはいない。私のことを想ってくれる人がそばにいてくれることが、こんなにも嬉しい。兄も、そう思っていたのだろうか。私が今、心からゼオンを愛おしく思うように。ゼオンが私に向けてくれる気持ちのように、シャラのことを想っているのだろうか。


「―――だとしたら、きっと、大丈夫ね」


 つっかえつっかえそういった私に、ゼオンが笑って頷く。


「そうだよ。義兄上は義姉上に別れを告げてないだろう。義姉上だって同じなんだから、お互いに絶対に先に逝ったりできるはずないんだよ」

「…あなたも?」


 ぽつり、とそう呟いたのは半ば無意識で。



「僕?」



 心底驚いたように目を見開いたゼオンは、次の瞬間ふっと微笑んだ。いつも明るい彼には珍しく、明るいだけでなくどこか陰のある瞳で。その目が示すのは、―――恋情というにはやや重たい執着の色。


「そんなの、―――絶対に言わないよ」


 ぎゅうっと抱きすくめられて視界がゼオンの服一色になる。私の肩に額をつけて地面にしゃがみ込んだゼオンは、唸るように、囁くようにその言葉の先を紡いだ。


「絶対、言わない。君に別れなんて一生言わない。僕は君を置いて逝ったりしないし、そう簡単に君を逝かせたりもしないよ」

「ゼオン、あなた…」


 存外重い男だったのだな、と抱き込まれたままでそんな些か間の抜けたことを考える。ゼオンが私を愛してくれていること。私が、ゼオンを愛していること。夫婦、と呼ばれる人々がみんなそうであるべき姿に収まった自分たちの姿が、うれしい。そして、―――――それと同じだけ兄夫婦がそうであればと切に願う。



 お兄様。



 ゼオンのぬくもりを感じながら心の中でそっと呟く。


 お兄様。シャラを、目覚めさせてあげてください。

 シャラ。どうか、起きて。お兄様が待ち続けて希い続けたその目覚めを、どうか今。


 ――――――どうか。






★★★★★








 奇跡、という言葉があってそれは、滅多に起こらないことだから奇跡と呼ばれるのだけれども。けれどもそれが起こることを信じるからこそ、人はその現象に奇跡と名をつけたのだ。



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