空から見たアストルム山の景色
「おいコレド、一体何がどうなってるんだよ」
「えっと」
「なんとか言え!」
姫様と帝、エウドキナ様とマルセスさん、それからデュラはんが簡易陣に残って僕を含めた全員は追い出された。それからはてんやわんやで、同じ部隊のみんなに囲まれて散々問い詰められ、僕が話してもよさそうな、大丈夫そうなこと、実際はその判断なんてつかないに等しいけど、とにかく魔女様に関連すること以外、聞かれるままにおおよその顛末について話した。
アストルム山が噴火するといえばそんな馬鹿なと言われる。けれどもこのじわじわとわずかに揺れ続けている地面や時折ドンという音と共に発生する振動にだんだんと不安が湧き上がる。
おそらく、多分だけどその不安は時間と共に増大していく。
もうすぐ夜が明ける。
その証拠に空はうっすらとオレンジ色に染まり始めている。その赤く聳え立つアストルム山の威容はなんだかこの世の終わりのような恐ろしさを感じさせる。
けれども僕はきっとボニさんが何とかしてくれると信じていて。
「おい見ろ、龍だ!」
「なんだって!? 何だあの数は!」
その声に釣られて見上げると、オレンジ色と黒の混じり合った山頂付近から10頭ほどの龍が飛び立つところだった。あれほどたくさんの龍が空を舞うなんてこれまでになかったことだ。それが否が応にも全ての終わりを予感させる。
けれどもイレヌルタ殿は龍種を避難させると言っていた。多分それだろう。
ざわめきはさらに大きくなる。集団うちの最も大きな個体の影がじわじわと大きくなってくる。帝都を囲む巨大な壁上のバリスタの矢ですら吹き戻す強風を巻き起こしながらこちらに向かってきた。これまで見たことのないほどの大きさ。体長20メートルはありそうな長い角を持つ黒色の龍。
「げ、迎撃準備だ!」
「街に近寄らせるな!」
「待ってください!」
「どけコレド。輜重は下がっていろ!」
「いえ、ですから龍種は敵ではありません! きっと何か理由があるんです! それにほら、他の龍は近寄ってこない」
「……確かに、だが」
当然の不安。僕も本当は恐ろしい。
この国の人間は王族、いや、神子以外、龍と交信したことなんてない。むしろごくたまに狂い龍が甚大な被害をもたらす。人と龍はそんな関係だったんだから。
僕は部隊から飛び出して、でもどうしていいかわからなかったから大きく手を振った。そうすると龍も気づいたのか上空で何度か大きくぐるぐると旋回して全てを吹き飛ばす風と共に近くに降り立ち小さな龍人の姿になったところを僕は駆け寄る。
「イレヌルタ殿。突然で驚きました。どうされましたか」
「うむ。これから我らは避難する。だが万一噴火すればもうアストルムにもどれぬゆえ、神子殿に挨拶に参った」
「し、少々お待ちください」
急いで部隊に戻るとみんな呆然として、その表情は絶望に染まっている。
振り返ると大小様々な龍が少し離れた先に降り立っていた。帝都ですら大きな損傷を出して龍一頭を追い返すのがせいぜいだ。この数の龍に襲われたらもはやどうしようもない。
王城からの連絡でマルセスさんとエウドキナ様、デュラはんが大急ぎで現れたのはそのしばらく後だった。
「ぬるたんぬるたん、乗せて乗せて」
「何だいきなり。それよりエウドキナ殿、その奇妙な姿はどうされた」
ーイレヌルタ殿、秘密裏にお願いしたき儀がございます。
「コレド、お前も来い」
◇
「助けて、助けて、降りる、降りる無理です!」
『この期に及んで往生際が悪い』
ーそうですよ。そのくらい何だというのです
「たーまやー」
『デュラはん、それはなんか違う』
マルセスさんとエウドキナ様はここにいないからそんなこと言えるんだ!
ここに来てみろ! どんなに怖いかわかるから!
僕は今、空にいた。しかも高高度。
何を言っているのか自分でもよくわからない。でも風っていうのは物なんだなと思う。びゅごうびゅごうとすごい音をたてて僕にぶつかってきて、体を低く倒しておかないと、ちょっとでも顔を上げると吹き飛ばされるか頭がもげそうになる。髪の毛がバサバサと後ろに吹き流される。
それでも必死に目の端っこで現在位置と計測機器を照らし合わせて位置を観測する。
「3時方向、現在速度で34秒地点です!」
ギャフゥと轟音が響いて速度が落とされ、急激に近づく地面から跳ね返った風圧で巻き上げられた土塊がバラバラと礫のように体に打ちつける。
痛い痛い痛い痛いもう!
そう思っていると不意に風が緩んだ。気がつくと地面から跳ね返る風に対抗するように背中側からも風が吹いて、下からくる風と礫を相殺していた。
ホバリングする龍の背から飛び降りて予定地点に駆け寄る。
「イレヌルタ殿、ありがとうございます! ええとデュラはん、ここでいいと思う」
「よっしゃ、『スピリッツ・アイ』ぎぃゃあぁあぁああ痛いいぃい」
「大丈夫!?」
「んぐぁ。痛いんは一瞬やからまあなんとか。ほんま痛いわもう」
『魔力回路の破損を確認した。次の地点へ向かえ』
背中に背負ったクッションだらけのカゴの中からデュラはんとトランシーバの声がする。
このトランシーバというのはアブソルトの秘密の部屋にあったものらしい。子機に魔力を流し続けている限り、城にある親機に魔力回路を通じて声を届けるそうだ。
遠くの声を届けることができる。
兵装開発部としてはこれがあれば技術革新が起こると思ってワクワクしたのだけれど、子機の方に大量の魔力が必要なのと、同じ魔力回路を複数回線で使えば混戦するそうだからまだ実用化はできない。けれども将来的に魔力が戻れば自然魔力で使用できるみたいだし、マルセスさんは周波数帯をわけるんだと息巻いていたから将来的には使えるようになるのかもしれない。マルセスさんが言っていることはよくわからないけれど。
それで今はトランシーバーをデュラはんに繋いで使っている。『スピリッツ・アイ』を仕えばデュラはんの頭に魔石ができちゃうから魔力を消費しないといけないことはいけないんだけど、大丈夫なのかな……。
「それより次や! 次行こ!」
「そうだね。イレヌルタ殿。次はあちらの北北東方向に20キロ行ったところです。詳細地点については近くになりましたらお知らせします」
ギャウゥ。
僕はイレヌルタ殿によじ登りその首にしがみつく。同時に周囲に複数の風の塊が発生し、次の瞬間あっという間にはるか上空に飛び出した。温度は急激に下がりパリパリと周囲で霜が出来て剥がれ落ちる音がして、僕はなんだかクラクラして目が回りそうになる。なんだか鼻血が出そうで見える世界が薄赤い。
ふと気がつくと地面は遥かに遠く、左右を見渡すとこの領域を囲むように領域と領域の境目となる赤と緑の境界が見えた。アストルム山の山頂自体も随分下に見えている。なんだか大きなフジツボみたいだ。そしてさっき飛び立ったところがなんだかじわじわと水が染みたように、少しだけ色が変わっていた。
その景色も遠ざかり、すでに次のポイントにほど近いところにいると気づいて急いで計測機器を確認して場所を指示する。
驚くほどの速さ。僕らが数時間かけて移動する距離が分単位だ。
龍と戦うとか無理だよね、うん。
それでなんで僕が空を飛んでいるのかは数時間前に遡る。
「ぬるたん、俺とコレドを載せて空飛んで」
「何故だ」
「なんで僕?」
何故かハモった。
そもそもデュラはんの『スピリッツ・アイ』で何故か魔力回路が破損した。そこから漏れる魔力を放置すると竜が次々襲ってくるから、その破損を修復しなければならない。そして修復は魔女様しかできないから魔女様の封印を解かなければならない。けれども魔女様の封印を解けば魔女様と一緒に長年ためこまれた魔力というものが溢れ出てしまう。その結果、過剰な魔力によってアストルム山が噴火してしまうかもしれない。
そこまではわかる。
でもそこからの話はちょっと想像を超えていた。
「やからいっぱい『スピリッツ・アイ』を使っていっぱい破損させるん」
「お主は何をいっておるのだ? 破損したからこそ魔女様を今開放する話になっているのだぞ」
「うん、それで破損いうんはその魔力回路いうんから魔力が漏れるんやろ?」
「そうだが」
「やったらその封印のあたりをたくさん壊してたくさん魔力を漏らしたらええんとちゃうんかな」
「???」
簡単に言うと、魔女様が作った魔力回路の網の上にアブソルトが作った魔力回路がカサブタみたいに被さっている。それでそのカサブタの中に魔力が膿のように溜まっている。そう考えると魔力ってものすごく気持ち悪いんだけど。
「やから魔女が作った魔力回路やなくて、アブソルトの作ったカサブタの端っこの方をたくさん壊したらええんちゃうかな」
「はぁ?」
「やってかさぶたの端っこにようけ穴を開けたらそこからたまった魔力がちょっとずつ減るやん。そしたら噴火せんでも良くなって、ボニさんも安全になるんちゃうかな」
穴を開けたから困ってるのに更に穴をあけるとかよくわからないけど、でも確かに、そうなのか?
「噴火が起これば龍族も住処を失う。もしそれで噴火が免れるのであればそのほうが良い。そしていずれ噴火するおそれがあるのであれば、やってみることに意味はあるだろう。どうせ噴火するのであればな」
「おお! ぬるたん話がわかるぅ!」
「ありがとうございます。これからの流れですがコレドがデュラはんを背負い、イレヌルタ殿の背に乗せていただきます。そしてアストルム山を囲うように15地点を巡って頂きたい。幸いにも現在魔力回路の分布図位置は補足できている」
「あの、どうして僕なんでしょう」
「この話ができて、位置の測定ができるのはお前だけだ。私はアブソルトの部屋で魔力回路の状態を確認する必要がある」
まあ確かに魔力回路の確認とかいわれても僕には何もわからないですけどね!
でもね、本当に、この急降下は、心臓が痛くなるんだぁぁぁあああぁぁ!
はぁ、はぁ、はぁ。
礫がぶつからないようイレヌルタ殿が風で防いではくれてるのだけれど、僕、これ全部のポイントを回りきるまで保つのかな、それからデュラはんも。
今5箇所を回ったところでカゴのすき間から見えるデュラはんは随分青い顔をしている。
「デュラはん、大丈夫?」
「大、丈夫、ボニたん死んでまうん、嫌やもん。『スピリッツ・アイ』ぎぅ」
『コレド、確認した』
「少し休憩をください! 僕はともかくデュラはんが!」
「コレド、大、丈夫。次、いこ。早せんとボニたん、魔力になってまうん、やろ?」
それは確かにそうなんだ。
聖域というのは人間がそのまま存在し続けられる場所じゃない、らしい。
それはエウドキナ様がすでに肉体にとどまりきれていないことでも明らかだ。魂が完全な魔力になってしまうと肉の体に留まれない。魔力によって存在を留める精霊やドラゴンのように。
ん? 魔力で体を留める?
何か引っかかるなと考えていると、不意に地面がドドドと揺れて急に浮上した。クラクラする頭で周囲を確認するとイレヌルタ殿の前足に掴まれて空を飛んでいた。
「な、何が!?」
「ガスだ」
下を見ると地面の一部が盛り上がって白い煙がもうもうと上がっていた。噴火には至っていないけれど、その煙はどんどん大きくなっていく。きっとこの白煙は帝都カレルギアからも見えるだろう。そんな巨大さ。
「よかった。これ、他所で噴火しよるいうことはその分魔力減ったんよな? 圧力も減っとるよな? ちょっとはうまくいっとるいうことやんな。さ、次、いこ」
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫、でもなんやお腹すいてきた、あれ?」
「デュラはんは呑気ですね」
「お腹空いてきたいうことは抹茶パフェたべれる?」
抹茶パフェ?




