#2 side L
薔薇の迷路は、王家お抱えの庭師が丁寧に整えている自慢の場所だ。複雑で、一度入ってしまったら出られないかもしれない。私は何度も「エリーザベト、エリーザベト」と呟きながら迷路を進んだ。赤、白、黄、ピンク。しぼり模様の薔薇もあれば、同じ赤でもさまざま違う色合いを見せる。平時ならこの美しさを楽しんだだろうが、今はそんな場合ではない。父上に言われて、渋々ながら用意していたピンクの宝石を使ったブローチの箱を片手に、私はヨハンとふたり、迷路の中でリー……エリーザベトを探した。
「いた!」
ヨハンの声に、私はそちらを振り返る。薔薇の迷路の最深部に設えられたガセボの中に彼女はいた。褐色の肌の青年と共に。
「アミル、兄上……どうして、私の婚約者と……」
どうやら、エリーザベトは泣いているようだ。私に気付いた彼女はさっと顔を背けた。ヴェールは、外している。アミルはハンカチで彼女の涙を拭いていたようだ。口をへの字に曲げた異母兄は、私を見て挑発的な笑みを浮かべた。
「どうしてだって?まさか、いくら王太子殿下とはいえ、私の住居がこの先にあることをご存知ないとはおっしゃいますまい。いつも通り、私は王宮の厨房へ食材を分けてもらいに行くところでしたよ。そうしたら、エリーザベト嬢が泣いていたので、話を聞いていたにすぎません」
丁寧な物言い。五つ年上の異母兄は、第一王子でありながら、流浪の踊り子が母だというだけで王宮から離れた場所に住まわされている。弟である私が王太子なのも、そのためだ。だから、きっと彼は私のことが嫌いだろう。
「そ、そうか。それは大義であった」
周囲の目もあって、私はアミルに対し尊大な態度を取る癖がある。普段なら、私の言うことなど頭を下げて終わりのアミルだが、この日だけは様子が違った。
「チッ」
確かに聞こえた、舌打ちの音。
「自分のもんだと主張する前に名前くらいきちんと呼んでやるんだな」
通り過ぎざまの恫喝に、唇を噛む。ヨハンが不敬だと騒いでいたけれど、私はヴェールをかぶり直したエリーザベトに近付くのに必死で聞いていなかった。
「エ、エリーザベト。その、すまなかった」
エリーザベトは答えない。悲しそうな目で私を見つめるばかりだ。
「き、緊張、していたんだ。君を傷つけてしまった私を恨んでいるのではないかと、怖くて」
「緊張?殿下がですか?」
目を丸くするエリーザベトが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。緊張していたなんて言い訳、きっと彼女は見抜いているだろう。それでも、勇気を出してブローチの箱を手渡す。「綺麗」と、彼女は花が綻ぶように笑った。
「ピンクアクアマリン。幸せを願う石ですね。ありがとうございます、大切にいたしますね」
そんな意味があったのか。父上が石を選んで、母上がデザインを選んだブローチを、私はただ手渡しただけ。それだけなのにとても喜んでくれるエリーザベトに、今度は自分で意味を調べて宝石を送ろうと心に決める。
ふと、エリーザベトがガセボに視線を向けた。ベンチに置かれた一輪の白薔薇を私に差し出す。
「アミル殿下から教えていただいたのです。白薔薇の花ことば。でも、お渡しするのは私の意思です。殿下がくださったブローチにはとても及ばないけれど、どうか、受け取っていただけませんか。私の今の気持ちであり、こうありたいという決意表明です」
意味も分からないまま、花を受け取る。少しだけ自信を見せる彼女は、やっぱり地味だけれど。世界一、綺麗だと思った。
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