《第三章 芸術ほど奥が深いものはない》
勇者が魔王討伐して世界に平和が戻ってから幾度めかの秋。緑に繁る葉は色を変え、やがてひらひらと地面に落ちる。
勇者が帰還せし村にて、そこから少し離れたところにある勇者とその妻が暮らす家から今まさに勇者が出るところであった。
「う~さみぃ……」
ローブを羽織っても秋空から吹く風が刺すように染みこむ。
妻のシンシアからまた小言を言われないうちに現実逃避で散歩に出かけたのはいいものの、この寒さは厳しい。
てくてくと歩いていくとやがて村の真ん中に位置する広場にかつて魔王を倒し、世界に平和をもたらした英雄、すなわち勇者の銅像が見えてきた。
凛々しい銅像とは対照的に役目を終えた勇者は今や丸っこくなっていた。
誰が見てもこの腹が突き出た男がかつての勇者だとは思わないだろう。その銅像の下に人だかりがある。
勇者はそこへと歩いてみる。みな何かを興味深そうに見ているようだ。
「どうしたんだ? なにかあったのか?」
「おお、勇者様。なんでもお城のほうでお祭りみたいなのやるんだとか」と村の若い男。
「バカ、違うだろ。お祭りじゃなくてコンテストだろ」と別の男が立て札を指さす。
勇者がその立て札を見る。そこにはこう記されていた。
《告知》
以下に記載されし日時にて、グラン城城下町
にて芸術コンテストを行うものとす。
各部門にて最優秀賞を収めた者は金貨一袋を
進呈する。
部門
•彫刻部門
•絵画部門(人物画)
•造形部門
最後の日時を見ると明後日のようだ。
「金貨一袋とはけっこう大きく出たな」
「お前絵心ないだろ?」
「俺、出てみようかな」
わいわいと村人たちが立て札を指さしながら言う。
「勇者さまはどうするんで?」とそばにいた若者が聞く。
うーんと少し考えて「確かに賞金は魅力的だけど絵心ないし、めんどくさいしで行かないかな」と勇者。
「確かに」と勇者含め一同が笑う。
と、そこへ村の入り口から若い男がはぁはぁと息せき切って広場へ向かってくる。
「た、大変だ……城のコンテストが……」
「なんだ、ニコじゃねぇか。コンテストならこの立て札にも書いてあるぞ」と若者のひとりが立て札を指さして言う。
「そうじゃねぇ……そのコンテストの絵画で、テーマが……」
ニコと呼ばれた若者は肩で息をしながら話す。ニコのただならぬ様子に一同はごくりと唾を飲む。
そしてニコが話す次の言葉を待っていた。
「テーマが裸婦 らしいんだ……」
ニコの言葉を聞いた一同は一斉にざわめく。
「ら、裸婦だと……?」
「あれだよな? 女の人が裸になるやつの……」
「おい、それは本当なのか?」
ざわめく男達を制するように勇者が腕を伸ばす。
「待て、落ち着け。本当かどうかもわからないし、だいいちモデルが誰なのかも問題だ」
いつになく真面目な顔で勇者が言う。
「そ、そうだよな。モデルが年取った婆さんじゃおらぁごめんだ」
「さすがは勇者さまだ」
「んだんだ」と一同が首肯する。
「それが……モデルがリーナさんなんだ……」
ニコの発した言葉に再び一同がざわめく。リーナさんと言えば街の酒場の女主人だ。
その美貌と気の良さを目当てに酒場に来る客(おもに男だが)は後を絶たない。
「リ、リーナさんが出るって……」
「その話が本当ならおら、コンテストに行くだ!」
「勇者さま、どうするおつもりで?」
一同が勇者のほうを見る。
「う、うろたえるんじゃあないッ! 勇者はうろたえないッ」
言葉とは裏腹にぎくしゃくと明らかに動揺していた。
こほんこほんとわざとらしく咳をしてから一同に向き直る。
「と、とにかくだ。事の真偽を確かめるためにも本人、リーナさんに聞いてみようじゃないか」
おおっと男たちの喚声があがる。
「さすがは勇者さまだ! おらたちに出来ないことを平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!」
その日の夜。
リーナが店主を務める酒場はいつものように賑わっていた。
酔客が踊り子たちに喚声をあげる喧騒のなか、勇者と村の若者たち一行はカウンターに座していた。
「珍しいわね? 勇者様と村の人が一緒に飲むなんて」
豊満な双丘の上で両腕を組みながらリーナが言う。
「リーナさん……つかぬ事をお聞きしますが、此度の城の絵画コンテストのテーマがリーナさんの裸婦とは真 ですか?」
しごく大真面目な顔で勇者が問う。他の者達も真剣な顔つきで回答を待つ。
問われたリーナがあら? という顔をする。
「秘密にしてたのに、もう広まっちゃってるのね。そうよ。私がモデルになるの。ちょっと恥ずかしいけど……」
リーナの頬にぽっと朱が差す。
リーナ本人から言質が取れたのを確認すると男たちは示し合わせたようにみなこくりと首を振る。そして全員席を立つ。
「あら? もう帰るの? せっかく来たんだし、もう少しゆっくりしていってもいいのよ?」
「いえ、またの機会ということに……」
勇者一行はそのまま酒場をあとにする。
てくてくと歩いて酒場から離れたところでぴたっと足音が止まる。そして勇者含め男どもは夜空の下で快哉を叫んだ。
「っしゃぁああああーーッッ!!」
歩行者がびくっと身構えたのも無理はない。
「珍しいわね。あんたがお城の絵画コンテストに参加するなんて」
翌朝、勇者から明日のコンテスト参加表明を聞かされたシンシアが朝食の後片付けをしながら言う。
「だって優勝すれば金貨一袋だぜ? ひと月は遊んで暮らせるんだぞ」
シンシアが細い人差し指を顎にあてがって考える。
「んー……まぁいいんじゃない? 参加しないと当たるものも当たらないしね。やるからには手を抜かないでよね?」
「おう」
もちろんモデルがリーナさんのことは伏せてあるし、目的が裸婦を描くのではなくただ鑑賞するだけなのも胸の内にしまってある。
「そういえば、あんたって絵心あったっけ?」
「ない」
即答だ。
「んなキッパリと……」
さすがのシンシアもあきれ顔だ。
「そんなんじゃ勝算ないわよ。せっかくだから練習してみたら? なんだったらあたしがモデルになってもいいわよ?」
シンシアが結婚当初から変わらぬプロポーションを勇者に見せつけるようにうっふんとポーズを取る。
「別にいいよ。めんど」
シンシアの手が勇者の口を塞ぐ。
「もぅ! そんな反応したら殴るわよ?」
可愛らしくぷんぷんと頬を膨らませながらめきめきと音を立てて勇者の頭蓋を万力のごとく締め付けるシンシア。
「ず、ずびばせん……」
翌日、すなわち絵画コンテストの当日。
勇者の住む村から街へは馬車で十数分、さらに街から乗り換えてしばらくすると城が見えてくる。
この国、グラン王国を治めるグラン城だ。
なお、年に3回勇者に報奨金という名の年金を支払っているのもここである。
勇者含め村の若者たち一行は会場であるグラン城の城門へと来ていた。
見上げると首が痛くなるくらいの高さの城壁でぐるりと囲まれており、その入り口である城門を二名の兵士が槍を持って守備に就いている。
勇者がコンテストに来たことを伝えると快く通してくれた。
城内には様々な人種、ドワーフ、ホビットなどが通りを所狭しと歩いていた。
その左右には屋台や出店が並んでおり、威勢の良い啖呵が飛ぶ。
「名物の黒毛豚の腸詰めだよ!」
じゅうじゅうと焼けた腸詰めの香ばしい匂いがただようかと思えば、向かいでは青果店の店主がリンゴを手に採れたてのリンゴだよ! と道行く人に声をかける。
その隣では商人がシルクを手に「ここいらじゃ買えない上等な品だよ!」と婦女子の通行人に見せる。
その人の多さに村の若者たちはほぇえと口を開ける。
無理もない。街へ行くことはあっても、ここグラン城の城下町へ来ることは滅多にないのだから。
だが、勇者は勝手知ったる風に会場である広場へと向かう。当然だ。勇者の魔王討伐の旅はここから始まったのだから。
国王に謁見し自らが天啓を受け、魔王を討伐する勇者なのだと証を立てて旅立ったのだ。
しばらく歩くと程なくして開けたところに出る。白いキャンバスが置かれたイーゼルが放射状にずらっと並んでいるところを見るとここが絵画部門の会場なのだろう。
そしてその中心には椅子が据えられている。
おそらくあの椅子にモデルのリーナさんが座するのだろう。
程なくしてコンテストの参加者がめいめいにイーゼルの前に腰掛けると準備を始める。
自前の鉛筆や筆を用意しているのもいれば木炭を手にしている人もいる。
勇者一行は向かい合って肩を組んで円陣を組む。
「みんな、準備はいいな? 勝敗とか絵の良し悪しは関係ない。しっかりとこの目に焼き付けて帰るんだ!」
勇者の掛け声にみながおう!と応える。
勇者一行はそれぞれキャンバスの前に腰掛ける。
そして本命のリーナが来るのを今か今かと獲物を狙う獣のように待ち構えていた。
「お待たせしました! ただいまより芸術コンテストの絵画部門を開催します!
今回のモデルは街の酒場の麗しき女店主のリーナさんです! 拍手をどうぞ!」
拍手に迎えられて現れたるはローブに身を包んだリーナだ。
おおっ! と参加者、主に男だが、の喚声があがる。
勇者の隣で腰掛けている一行のひとりが勇者にぼそぼそと囁く。
「ゆ、勇者さま、あの人、服脱いでないようだが?」
「落ち着け。恐らく椅子に腰掛けたあとに脱ぐのだろう」
「なるほど」
そんな会話を交わしているうちにリーナが椅子の前に立つ。
そしておもむろにローブをぱさりと脱ぐ。
だが、そこには裸身ではなく自前であろう、お洒落な装束で纏われていたリーナが立っていた。そのままちょこんと椅子に座って手慣れたように身動きしない。
「ゆ、勇者さま、あの人、服着ているようだが?」
「落ち着け。恐らくこのあと一枚づつ脱いでいくのだろう。以前そんな店に行ったことがあるからわかる」
もちろんシンシアには内緒だ。
「な、なるほど……」
審査員の始め! の声がかかり、全員キャンバスと向かい合う。
周りが真剣に取り組んでいる中、キャンバスの前で絵を描くフリをする勇者一行はリーナがいつ服を脱ぐのか今か今かと待ち構えている。
だが、10分、20分経っても一向に脱ぐ気配がない。
それどころか終了時間まであとわずかだ。
「ゆ、勇者さま、全然脱がないだよ……」
「おかしい……」
全員ニコをじろりと睨みつける。睨まれたニコはぶんぶんと首を振る。
「おら確かに聞いただ。それにリーナさんもはっきりと認めてたぞ」
確かにそれもそうだ。酒場でテーマが裸婦なのかの真偽を問い合わせたのを全員聞いているのだし。
ん……? 裸婦……?
勇者はリーナのほうを見る。彼女の着ている服は自前のようだ。そしてその服を脱ぐことなくただじっと座っている。
まさか……。
「なぁ、もしかして裸婦 って私服 のことじゃないのか……?」
勇者の指摘に一同はあっと口を開ける。そしてそのままその場にくずおれた。
周囲がすわ何事かと見る。
そしてリーナの私服がテーマの絵画部門のコンテストは幕を閉じた。
コンテスト終了の後日。酒場の女店主リーナはカウンターであははと笑っていた。
「裸婦って、だってこの寒い時期よ? やるわけがないじゃない」
「リーナさん恥ずかしいって言うから紛らわしいんすよ……」
勇者の愚痴に一同もんだんだと首肯する。
「私服でも恥ずかしいものは恥ずかしいわよ」
勇者ははぁあっと溜息をつく。と、ふと思い出したように言う。
「そういえばコンテストで優勝した絵ってどんな感じなんすかね?」
「絵ならそこに飾ってあるわよ。隣町の新進気鋭の若手画家の作品みたいよ」
勇者一行はリーナが指さすほうを見る。
壁に掛けられ、金の額縁に収まったその絵は異様なものであった。
被写体、つまりリーナの顔は左右でずれてるし、目の向きがそれぞれあらぬ方向を見てるし、おまけに体のバランスも均衡が取れてなく、腕なんかもあり得ない向きに曲げられている。
リーナさんがモデルを務める必要があったのかと疑いたくなるような出来だ。
「芸術って……なんなんだ……?」と勇者。
「んだ……」一同も口を揃える。
次回の冒険?に続く
感想、評価ありがとうございます!
次回はシンシアが勇者のえっちな本を見つけてしまう回です。