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5話 男嫌いの女神様は行くあてがない

「ふうん。意外と綺麗に片付いているんだ」


 それがその女の子の第一声だった。


 その日の夜、寒さに震えながら、俺が築三十年のアパートの部屋に帰ってきて扉を開くと、玄関からすぐのダイニングキッチンにセーラー服の少女が立っていて、流し台をのぞき込んでいた。


 俺は一人暮らしだし、彼女もいない。

 以前は幼馴染の夏帆がこの部屋に頻繁に来てくれてたけど、告白に失敗した後、そういうことはまったくなくなった。


 だから、女の子が部屋に立っているなんてことはありえない。

 けど、よく見ると、俺はその少女を今日の昼間に見たことがあった。


 少女はクラスメイトの「氷の女神」だった。

 完全無欠にして、学校一の美少女。 

 銀色のストレートロングの髪に、青い瞳をした少女の名前は、水琴玲衣だった。


 なんで水琴さんが俺の部屋にいるのか。

 そもそもこの部屋の鍵はどうやって開けたのか。

 まったく心当たりはない。


「秋原くん、だよね? なんでそんなふうに固まってるの? 靴、脱いだら?」


 自分の名前を呼ばれ、俺は我に返った。

 水琴さんが澄みきった青色の瞳で、俺をのぞき込んでいる。


 俺は咳払いをした。


「水琴さんだよね。クラスメイトの。何が起こってるのか、よくわからないけど、たぶん、部屋を間違えているよ」


「ここは三〇一号室で、秋原晴人くんの部屋でしょう? 間違えていないわ」


「なら、なんで俺の部屋にいるのかな」


「だって、今日からここがわたしの家になるんだもの」


 当たり前のことのように、水琴さんは言った。


 俺はもういっぺん固まった。


 学校で「女神」なんて呼ばれていたりする有名人の同級生、水琴玲衣さんが俺のアパートに住むという。


 まさか、この部屋に一緒に住むということじゃないと思う。

 と、いうことは、だ。


 俺はしばらく考えて、おそるおそる言った。


「もしかして、俺がこの部屋から追い出されるの? 家賃の滞納なんてしていないのに、立ち退けなんて、そんなのは借地借家法違反だ」


「追い出すなんて誰も言ってないわ」


「でも水琴さんはこの部屋に住むんだよね?」


「そうよ。仕方ないからここに住むの。わたしは、秋原くんの住んでるこの部屋に住む必要があるの」


 水琴さんは美しい顔に何の表情も浮かべず、当然のようにそう言った。


 これからこの狭いアパートで、俺は学校の「女神」と共同生活を送ることになるという。

 いろいろな意味でちょっと信じられない。


 もしかして、これは何かのどっきり企画なのだろうか。


 友達何人かが、実はアパートの押入れに隠れていて、冷やかしに登場するとか。

 

 俺は押入れを勢いよく開けた。

 そこには誰もいなかった。


 どっきり企画ではないのかもしれない。

 水琴さんが不思議そうな顔をする。


「なにしてるの?」


「いや、なんでもない……」


 俺が答えると同時に、押入れからばさばさっと何冊かの本が崩れた。

 しまった、と思い、俺は隠そうとしたが、それより速く水琴さんがひょこっとこちらをのぞき込んだ。


 高校生の男子が押入れに隠すような本が、どういうものか。

 水琴さんには想像できていなかったようだ。


 表紙に水着のグラマラスな若い女性が載っているのは、最近人気のグラビアイドル、姫島アイリの写真集。

 こういうのはまあ、恥ずかしいけど、まだいい。


 問題は、左右に開いて中身が見えるようになってしまった一冊だ。

 端的に言って、それはエロ本だった。


 言い訳をすれば、これは俺のものじゃない。

 友人の大木というやつに押し付けられたのだった。


 けれど、水琴さんはそんなことは知らないし、まじまじとそれを眺め、それから軽蔑したようにつぶやいた。


「最低っ……」


 俺は水琴さんに凍るような冷たい目で見られた。

 たかだか十八禁の写真雑誌がある程度で、そんな非難するような目で見なくてもいいと思う。


 俺はため息をついた。


「水琴さんって潔癖症?」


「わたし、ああいうのって大嫌いなの! 男ってみんなセックスしたいとかそういうことばっかり考えて、バカみたい!」


「水琴さんが男嫌いだっていうのはよくわかったけどさ。それを俺に言われても困るよ」


「最低っ、最低っ! なんでわたしが男と一緒にこんな狭い部屋に住まないといけないわけ? ホントに最悪っ」


 女神様はご機嫌斜めのようだった。

 水琴さんがここまで感情を露骨に出すところを見たのははじめてだ。

 なにかこういう類のものを嫌うようになったきっかけがあったんだろうか。


 それにしても、よくわからない。

 少なくとも、水琴さんはこの家に住みたくて住むわけじゃないらしい。


 噂では水琴さんは大企業の社長令嬢だともいうし、こんな安アパートに住む理由がなさそうだ。

 俺は試しに言ってみた。


「なんだか知らないけどさ、そんなに嫌なら出ていけばいいよ。べつに俺は水琴さんにここにいてほしいわけじゃない」


 ぴたっと水琴さんが動きを止めた。

 どうしたんだろう?


 水琴さんは端正な顔に困ったような表情を浮かべ、青い綺麗な瞳で上目遣いに俺を見た。

 教室で見たときや、さっきまでと違って、水琴さんはとても気弱で、頼りなさそうに見えた。


 水琴さんがささやくように言う。


「ごめんなさい。怒った?」


「べつに。でも、早くこの部屋から出ていってほしいな」


「それはできないの。だって、わたしはもう、他に行く場所がないんだもの」


 水琴さんは消え入るような声でそう言い、俺を見つめた。


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