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32話 名前

 結局、俺が水琴さんを連れて行くのに選んだ場所は、校舎の屋上だった。

 まあ、学校内で雰囲気の良いところ、というのはやっぱり難しい。


 ただ、この学校の屋上は基本的に閉鎖されているので、ここに入るのはなかなかできない体験だ。

 

 冬の風が屋上を吹き抜ける。

 転落防止のフェンスと空調関係の機械が少しあるのを除けば、屋上には何も置かれていない。


 ただ、屋上からは市内の風景が一望できて、市の西側を区切る広い川も見ることができる。

 その向こうに見える山々は雪をかぶっていて、綺麗な姿だった。

 そして、目をこらせば、遠見の大豪邸も、川の向こうに見ることができた。


 水琴さんが「わぁ」とつぶやき、顔をほころばせた。

 そして、フェンスの手前まで行って、俺を振り返る。

 

「いい眺めだね」


「気に入ってもらえてなにより」


「でも、秋原くんはここの鍵ってどうやって手に入れたの?」


 屋上へ続く階段の先には、扉があった。

 その扉の鍵を俺は持っている。


「雨音姉さんにもらったんだよ。雨音姉さんはこの高校出身だからね」


「そうなんだ」


「まあ、優秀だった雨音姉さんと、落ちこぼれ一歩手前の俺では、だいぶ差があるけどね」


「秋原くん、あんまり勉強が得意じゃないんだっけ?」


「はっきり言わないでほしいな……」


「わたし、こないだのテストで学年で二番目の順位だったの」


 水琴さんが満面の笑みを浮かべて言う。

 そんなこと宣言しなくても、有名だから知っているけれど。

 女神様は美しいだけでなく、成績も優秀なのだ。


 でも、水琴さんが言いたいのは自慢ではなかった。


「だから、わたしが秋原くんに勉強を教えてあげよっか」


「え?」


「高校生の彼氏と彼女って、勉強会とかするものじゃない?」


「まあ、そういう人もいるかもね。でも、俺と水琴さんは彼氏彼女というわけではないような……」


「でも、彼氏彼女のフリをしているんだから、そういうところも真似しないと」


 そういうものだろうか?


 そういえば、高校受験のときは夏帆にだいぶ助けてもらった。

 おかげでぎりぎり進学校に受かったんだから、夏帆には感謝しないといけない。


 水琴さんがくすっと笑った。


「場所は家でやればいいよね。わたしたち、同じ家に住んでいるんだもの」


「ぜったい家だと勉強しない気がするなあ」


「イチャついちゃったりして、とか?」


 水琴さんが青い瞳で、上目遣いに俺を見た。

 単純にダラダラしてしまうと言いたかったのだけれど。

 あくまで俺たちは恋人のフリをしているだけなんだから、その、イチャイチャして勉強が進まないとか、そういうことは心配しなくてよいと思う。


 けれど、水琴さんはちょっと頬を赤くして言う。

 

「それはそれで……アリかも」


「アリなの?」


「だって、彼氏彼女のフリをするんだから」


「家でまでする必要がある?」


 あくまでクラスメイトにいろいろ噂されるのが面倒だから、いっそのこと誤解されたまま彼氏彼女ということにしておこう、というのが趣旨のはずだ。


 だったら、家でまでカップルの真似事をする必要はないと思うんだけれど。


 水琴さんは不満そうに俺を睨んだ。


「だったら、外でできる彼氏彼女っぽいことを考えてほしいな」


「それっぽいことねえ」


 俺は考えた。


 なにがあるだろう?

 いかにも恋人らしいこと。


 意外と難しい。

 キスをしたりとか、そういうのは論外だ。


 偽装にすぎないのに、そんなことをするのは水琴さんだってたぶん嫌だろう。


「下の名前で呼ぶとか?」


「え?」


「俺は水琴さんのことを『水琴さん』って呼んでいていて、水琴さんは俺のことを『秋原くん』って呼ぶ。でも、もっと親しげな感じなほうが、恋人っぽいかもしれない」


 我ながら安直な案だと思ったけれど、水琴さんはぽんと手を打った。


「名案ね!」


「こんなのでいいの?」


「もちろん。つまり、わたしは秋原くんのことを、ええと、晴人……」


「お兄ちゃん?」


「それはこないだやったから、もういいんだってば!」


 水琴さんが顔を真赤にして怒った。

 こないだ、水琴さんは俺のことを「晴人お兄ちゃん」と呼んでいて、これもたしかに下の名前で呼んでいるけど、ちょっとダメそうだ。

 変なふうにクラスメイトたちに誤解されてしまう。


「普通に晴人くん、でいいんじゃない?」


「まあ、そうだよね」


「晴人くん」


 そう言うと、水琴さんはちょっと恥ずかしそうにうつむいた。

 たしかに、言われた俺もちょっと気恥ずかしい。


 俺も水琴さんのことを下の名前で呼ぼうとしたけど、それは水琴さんに押し止められた。

 不思議に思って、理由を聞くと、水琴さんはこう答えた。


「とりあえず、わたしの方だけが、晴人くんの呼び方を変えれば大丈夫だと思うの」


「そう?」


「うん。晴人くん、わたしのことを下の名前で呼ぶの、今はちょっと恥ずかしいでしょう?」


「まあ、そうだけど」


「だからね、晴人くんが本当にそうしたいと思ったときに、わたしのことを『玲衣』って呼んでくれたほうが、嬉しいかな」


 水琴さんは優しくそう言った。

 俺が本当に水琴さんの名前を呼びたくなったときってどんなシチュエーションなんだろう? 

 例えば、水琴さんが俺の本当の彼女になったとき、とかなのかもしれないけど。


 相手は学園の女神様。

 まさかそんなことは起こり得ないと思うけれど。


 水琴さんは人差し指を立てて、身を乗り出した。


「さあ、教室に戻ったら、みんなの前でわたしたちの仲をアピールしないとね。ね、『晴人くん』?」


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