30話 女神の望み
水琴さんはユキの断固とした言葉にひるんだようだった。
小さな声で水琴さんはユキに反論する。
「なんでわたしが、桜井さんにそんなことを言われないといけないの? わたしが秋原くんと佐々木さんが付き合うのに協力して、そして秋原くんのことを好きになっちゃいけないとか……」
ユキは微笑みを浮かべたままだった。
「ぜんぶ、アキくんのためなんだよ。アキくんは夏帆と一緒にいることを望んでる。夏帆もきっと本当はそれを望んでる。アキくんと夏帆が付き合えば、これまでアキくんが傷ついたのも、夏帆が傷ついたのも、すべてなかったことになる。問題は最終的に解決するの」
ユキはメガネの向こうの瞳を光らせた。
俺は絶句した。
俺と夏帆が付き合ってすべてハッピーエンドで終了。
もし夏帆がそれを望むなら、たしかに俺と夏帆にとってはそれですべて丸く収まるかもしれない。
けど、そこに水琴さんを巻き込む必要はないはずだ。
あまりにもユキの理屈は勝手だ。
まるで世界が夏帆を中心に回ってるかのような言い方だ。
「秋原くんのために、か」
水琴さんは小さくつぶやいた。
その青い瞳は曇り、綺麗な白い頬には陰がさしていた。
まずい。
なんとなく、まずい話の流れの気がする。
そして、水琴さんは「でも」とつぶやいた。
水琴さんはためらいがちに続きを言った。
「でも、桜井さんは秋原くんのことを好きなんじゃないの……?」
言い終わる前に、ユキが水琴さんを鋭く睨んだ。
「私がアキくんのことを好きだと思っているなら、それも、誤解だよ」
「だって昨日は……」
昨日のユキの言葉は、水琴さんの目から見ても、俺に好意をもっているとしか考えられなかったらしい。
だから、今回ばかりは単なる俺の思い込みということはないと思う。
「私の望みは、アキくんの隣に夏帆がいることなの」
俺は口をはさんだ。
「なんでユキは俺と夏帆の関係にそんなにこだわるの?」
「私はね……アキくんと夏帆みたいな幼馴染に憧れているの。小さい頃からずっと一緒にいて、私のことをなんでも理解してくれる人が、私のことを好きだと言ってくれる。私はそんな人がいたらいいなって思っているの」
立ち上がったユキは、ぱんぱんとスカートの裾をはらった。
その姿を見て、改めて思ったけれど、ユキは本当に小柄だ。
俺よりも水琴さんよりも夏帆よりも、ずっとちっちゃい。
ユキは寂しそうに笑った。
「でも、私には幼馴染なんていないの」
「小学校のころは、ずっと転校続きだったんだよね」
「うん。だから、わたしが恋しているのは、アキくんにじゃない。アキくんと夏帆の関係に恋してるの」
ユキは小さな声で、そう言った。
それがユキの本心なのか、俺にはわからなかった。
しばらく、俺達は黙ったままだった。
もうとっくの昔に一時間目の授業ははじまっていると思う。
沈黙を破ったのは、やはりユキだった。
「私のことなんてどうでもいいの。水琴さんがどうするか、だよ」
「わたし?」
「アキくんと夏帆のために協力してくれるよね? あなたがアキくんのためにできることをしてあげるべきだよ。アキくんの望みを叶えてあげなくちゃ」
「わたしは……たしかに秋原くんのためにできることをしてあげたい。借りを……返さなくちゃ」
水琴さんは両手で肩を抱き、つぶやいた。
迷うように水琴さんは床に目を落とした。
このままだと、水琴さんは本当に俺のために、俺が夏帆と付き合えるように、彼氏彼女のフリをしてくれると言い出すかもしれない。
俺もユキも、もしかしたら夏帆もそれでいいかもしれない。
けど、水琴さんの気持ちはどうなるのだ。
俺は二人のあいだに割って入り、水琴さんの前に立って、その青い瞳をまっすぐに見つめた。
ユキが「アキくん!」と俺を慌てて呼んだけれど、俺は振り返らなかった。
「水琴さんさ、こんな話、聞く必要ないよ」
「え? で、でも……」
「ユキはきっと俺のためにこういう提案をしてくれてるんだと思う。その気持ちはありがたいよ。でも、ユキは決して水琴さんのために言っているわけじゃない。だから、水琴さんがユキの言うことを聞く必要なんてないんだよ」
「でも、わたし、秋原くんにいっぱい迷惑をかけた。だから、わたしは秋原くんのためにできることをしてあげたい。秋原くんが佐々木さんと付き合いたいなら、手伝ってあげたいの」
「前も言ったよね。貸し借りなんて気にしないでいいんだよ。水琴さんは自分が望むようにすればいい」
「わたしの望み?」
「そう。だから、恋人のフリなんて、べつにしなくてもいいよ。誤解は普通に解けばいいんじゃないかな。少なくとも、水琴さんが俺に迷惑をかけているから、ユキの言うことを聞かなきゃならないなんていう理屈は変だ」
「でも……」
「水琴さんがしたいようにしてくれるのが俺の望みなんだよ」
水琴さんは青い瞳をもう一度、大きく見開いた。
綺麗な長いまつげに縁取られたその瞳は、きらきらと輝いていた。
「そっか、わたしがしたいように、すればいいんだよね。どんなわがままでも、秋原くんは聞いてくれる?」
「もちろん」
俺は水琴さんを安心させようと微笑んだ。
そして、水琴さんは俺とユキを見比べる。
水琴さんは一瞬ためらって、それから、はっきりとこう言った。
「わたしはわたし自身がしたいようにする。秋原くんがそうしていいって言ってくれたから。だから……わたしは……秋原くんの恋人になりたいの」
それから、水琴さんははっとした顔をした。
俺も、そしてユキも驚愕の表情を浮かべて水琴さんを見た。
いま水琴さんはなんて言った?
聞き間違えでなければ、水琴さんは俺の恋人になりたいと言っていたけれど。
水琴さんははっとした顔をして、それからみるみる頬を真っ赤にしてしまった。
よほど恥ずかしかったんだろうけれど。
でも、水琴さんは俺とユキから目をそらさず、続きを言った。
「い、いまのは言い間違いだから。わたしはわたしが望むから、秋原くんの彼女のフリをするの。絶対に、秋原くんを佐々木さんに渡したりするためなんかじゃ、ないんだから!」






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