18話 幼馴染vs女神
あられもない姿の水琴さんが押入れの中には隠れていて、そして、夏帆はその押入れの戸を開けてしまった。
もうおしまいだ。
俺は天を仰いだ。
けれど、次の瞬間、夏帆は楽しげな声を上げた。
「やっぱり貸してた本あるじゃん! 本棚にちゃんと置いておかないとダメだよ?」
夏帆は文庫本を何冊か片手に持って微笑んでいた。
その姿を見て、俺は拍子抜けする。
どうなっているのか。
なかにいた水琴さんはどこへ行ったんだろう。
俺は押し入れの中を眺めていて気づいた。
押入れの中には毛布があって、水琴さんはそれをかぶって隠れているらしい。
押入れのなかは薄暗いし、夏帆が注意を払わなければ、毛布をかぶせられた荷物だと思って気にもとめないだろう
俺はほっとした。
水琴さんの機転のおかげだ。
「ごめん。その本は返すよ」
俺は微笑して、夏帆に言った。
そのとき。
水琴さんが可愛らしくくしゃみをして、立て続けに咳き込んだ。
押入れの扉越しだったさっきまでと違って、今度はくっきりとその音は聞こえた。
夏帆はびっくりした顔をした。
「いま、女の子の声がした」
「気のせいだよ」
「押入れのなかから、たしかに聞こえたよ。たぶん、その毛布の下の……」
夏帆は不自然な形の毛布の中身にようやく気づいたらしい。
俺は押入れと夏帆のあいだに割って入り、言った。
「本当になんでもないから。本は返したから、もうこの中を覗かないでくれるかな。男子高校生の押入れのなかには、見られたくないものがたくさんあるんだよ」
「つまり、そこには女の子がいるんだね」
「いないよ」
「あたしに嘘をつくの?」
「嘘なんてついてないよ」
「隠し事をするなんて、晴人は悪いことをしてるんだ」
「悪いことなんて何もないよ」
「なら、そこにいるのが誰か、教えられる?」
俺は何も言い返せずに、黙った。
もう夏帆には、押し入れのなかに女子がいることには気づいてしまった。
でも、ここで夏帆を通さなければ、少なくとも中にいるのが、クラスメイトの水琴さんだということは隠せる。
しかし、夏帆はさっと俺の横を通り抜けた。
しまった。
俺は夏帆を止めようとしたが、間に合わない。
夏帆は毛布を取り去った。
そこには、当然、水琴さんがいた。
上半身はブラジャーしか身に着けていない、震えている女の子だ。
水琴さんはすごく怯えた表情で、俺をすがるように見た。
でも、今の俺には何もしてあげられない。
夏帆が言う。
「水琴玲衣さん、だよね。クラスメイトの女神様」
「わたしは女神なんかじゃない」
水琴さんは消え入るような声で言った。
その言葉に夏帆が重ねて問う。
「なんで下着しか着ていないの?」
「それは……」
「晴人とエッチなことをしようとしてたんだ?」
夏帆が冷え冷えとした声で言う。
予想通りの誤解だ。
俺は天を仰いだ。
言い訳を口にする前に、夏帆が俺を振り替えった。
「学校をずる休みして『やりたいこと』って、そういうこと?」
「違うよ」
「やっぱり、晴人はさ、こういうエッチなことがしたかったんだ」
「だから、違うって」
「あたしじゃなくて、可愛ければ誰でもいいんだ。水琴さん、美人だもんね。胸も大きいし」
「そうじゃなくて、水琴さんの様子を見てみてよ。水琴さん、高熱を出しているんだ」
俺の言葉に、夏帆がはっとした顔をする。
それから、夏帆は水琴さんの額に手を当てた。
水琴さんがくすぐったそうに身をよじる。
「ひどい熱……」
夏帆がつぶやき、それから、びしょびしょに濡れた水琴さんの胸のあたりに目を止めて、息をのんだ。
水琴さんが苦しげに、ひゅーひゅーと呼吸する。
「晴人! なんでこんなところに水琴さんをほったらかしてるの!? 早く身体を拭いて、服を着せてあげないと!」
「夏帆が見たら、誤解すると思って、隠れてもらってたんだよ」
俺が正直に言うと、夏帆がきつく俺を睨んだ。
「それって、水琴さんの体調よりも大事なこと?」
「いや……」
たしかに、どうかしてた。
水琴さん自身の意見も聞いたとはいえ、よく考えたら、高熱で苦しんでいる病人なんだから、これ以上、病気が悪化しないようにするほうがよっぽど大事だ。
実際に、水琴さんは寒い押入れのなかで、濡れたままの下着姿で過ごし、そして今、とても苦しそうにしている。
夏帆はつぶやいた。
「水琴さんが可哀想」
「わたしは……可哀想なんか、じゃない」
水琴さんが途切れ途切れに夏帆の言葉に答えた。
そして、うるんだ瞳で俺と夏帆を見つめた。
「佐々木さん。秋原くんを……責めないで。悪いのは、ぜんぶ、わたしだから。秋原くんは、すごくわたしに優しくしてくれた。学校を休んで、看病もしてくれたの。」
「そう……なんだ」
「わたしね、この家に住んでるの」
夏帆は大きく目を見開いた。
「秋原くんは……襲われてたわたしを助けてくれた。料理も作ってくれたし、それに、震えるわたしを暖めてくれた。秋原くんが、わたしをたくさん助けてくれてる。だから……わたしは可哀想なんかじゃない」
水琴さんは熱のせいで震えながら、でも、はっきりとそう言い切った。
俺に直接向きあっているときと違い、他人に対して俺のことを話す水琴さんの声は、優しかった。
戸惑うように、夏帆は押し黙り、そして、話題を変えようと思ったのか、こう言った。
「と、とにかく、濡れてるところを拭いてあげて、新しい下着を持ってくるから。それは晴人がやるより、女子のあたしがやったほうがいいよね?」
けれど、水琴さんは首を横に振った。
「平気。それも、秋原くんにやってもらうから」
「な、なんで!?」
「佐々木さんは、秋原くんのことを振ったんだよね。それで秋原くんのことを傷つけて、なのに、今も秋原くんの好意に甘えてる。でも、わたしは、そんな佐々木さんに、もう二度とわたしたちの家に関わってほしくないの。わたしは……秋原くんを傷つけたりしない」
水琴さんは碧い瞳をまっすぐに夏帆に向けて、そう言った。