132話 主役は玲衣さん
「か、夏帆!?」
「従姉の雨音さんにデレデレして、晴人ってば、だらしない……」
夏帆はジト目で言う。俺は慌てて雨音さんの手を放した。雨音さんが「残念」と肩をすくめる。
もちろん、夏帆もドレスを着ていた。雨音さんとは対象的な青いきれいなドレスで、大人しい清楚なデザインだ。
胸元や背中は開いていないし、露出度が高いわけじゃない。
ただ、スカート丈は膝上とやや短めで、肩も露出している。普段の制服や部屋着姿より、夏帆が大人びて見える。
俺の視線に気づいたのか、夏帆がえへんと胸を張る。
「どう? 似合ってる?」
「とてもよく似合ってるよ。可愛いと思う」
「良かった。こういうのが、晴人の好みかなって思ったんだよね!」
ドレスは遠見家が貸出用を用意してくれていて、使用人の女性たちが親切に選んでくれたそうだ。
可愛い、可愛いなんて彼女たちに言われながら、着せ替え人形のようにいろいろ試させられたのだとか。
「こんな綺麗なドレス着るの初めて! お母さんは毎年招待されてこのパーティに出ていたみたいだけど」
「佐々木家も江戸時代から続く医者の名門だものね」
「そうそう。今日はお母さんは仕事で出られないけど、あたしが代理。そういう晴人も、タキシード似合っているよね」
「そ、そうかな?」
「うん。すごくかっこいい! 晴人ってもともと顔も整っているし、かっこいいのはいつものことだけど、今日は特にかっこいいよ!」
「えっと、褒められると照れるな……」
「あっ、でも、蝶ネクタイが少し曲がっているかも。直してあげる!」
夏帆は俺の胸元に手を伸ばし、蝶ネクタイの位置を丁寧な手付きで直してくれた。
くすくすっと夏帆は笑い、俺を見上げた。
「制服のネクタイもよく緩んでいるから、直してあげたよね?」
「たしかに……。朝一緒に学校に行っていたからね」
「大人になっても、サラリーマンの晴人のネクタイを直してあげる」
「そ、それって……つまり、えっと……」
「晴人と結婚するのは、水琴さんでも琴音ちゃんでもなくて、あたしなんだから。覚えておいてね」
夏帆はその小さな頭を、甘えるように俺の胸に埋めた。すぐ目の前に、夏帆を見下ろす形になる。袖なしのドレスだから、白い肩や腕が露わで、俺はその艶やかな姿に目を奪われた。
「夏帆もすっかり女の子ね」
雨音さんが横からからかうように言う。
夏帆は俺から離れると、雨音さんをちらりと見る。
「あたし、雨音さんにも負けませんから。晴人が最初に好きになったのは、あたしなんです」
「そうね。私も夏帆に負けるつもりはないもの。晴人君とずっと一緒にいたのは、従姉の私」
夏帆と雨音さんがばちばちと視線で火花を散らす。む、昔は二人は仲良しだったのに。いや、仲が良いからこそ、互いを意識しているのかもしれない。
俺は緊張感に耐えきれず、そのままこっそりその場から立ち去ろうとした。けれど、夏帆が俺の右手を、雨音さんが俺の左手をつかむ。
「「どこ行くの?」」
二人揃って、俺をじっと見つめる。
俺は「ははは」とごまかし笑いを浮かべたが、逃げられそうにない。
とりあえず、二人とも玲衣さんの計画には協力してくれる。この後は、俺は玲衣さんとともにパーティに臨むことになる。
愛人の子だった玲衣さんは、今まで遠見家の開く行事に参加したことはないらしい。大げさに言えば、社交界デビューだ。
なるべく玲衣さんが優秀な少女だと出席者に印象付ける必要がある。そうすることで、玲衣さんは琴音に対抗しうる遠見家の後継者候補になれるかもしれない。
俺はそのサポートを行い、そして玲衣さんと一緒にいることをアピールする。玲衣さんと俺が親密な仲だと見せつければ、俺の婚約者が玲衣さんになりうる、と遠見家の関係者に思わせることができるだろう。
メイドの渡会さんやその両親をはじめ、遠見家代々の使用人もこの場には参加しているのだ。
「ところで、玲衣さんは?」
俺は話題をそらすことも兼ねて、聞いてみる。
肝心の玲衣さんがまだこの場に来ていない。
「あと少しで来ると思うけど……」
夏帆が言い、俺たちは会場を見回した。すると、ちょうど一人の少女が俺たちの方へ歩いてきていた。
慌てた様子で、彼女は――玲衣さんは俺たちに早足で近づいてきた。
「ご、ごめんなさい。遅れちゃった!」
玲衣さんは荒い息遣いで、はぁはぁと息を上気させていた。
白い透き通るような肌が、ほんのりと赤く染まっている。
俺も、隣の夏帆や雨音さんも目を見開いた。
玲衣さんは純白の美しいドレスに身を包んでいた。
胸元のあたりから膝下まで、ドレスが玲衣さんのすらりとした身体を覆っている。オフショルダーで露出度は高いけれど、嫌味な感じはしなくて、純粋に綺麗だと感じる。
豪華な髪飾りがついていて、それも玲衣さんの銀色に輝くロングヘアと相まって、優美な雰囲気だ。
玲衣さんはスウェーデン系の血が入っているからか、雨音さん以上にスタイル抜群だ。
洋風のドレスが似合うのも納得できる。
そして、スカートの丈こそ短いけれど、そのドレスはまるでウェディングドレスのようだった。
「ど、どうしたの? みんな?」
玲衣さんが俺たちをきょろきょろと見回す。夏帆はむうっと頬を膨らませて、雨音さんは肩をすくめていた。
「やっぱり今日の主役は水琴さんね」
雨音さんが小さく言う。夏帆もうなずいていた。
俺も同感だった。
「ど、どういうこと?」
本人だけはわかっていないらしく、可愛らしく首をかしげる。
白い肩に銀色の髪がふわりとかかった。
夏帆が俺と玲衣さんを見比べた。
「水琴さんが一番ドレスが似合っているってこと! 悔しいけど……晴人の目も水琴さんに釘付けだし」
「そ、そうなの!?」
玲衣さんがびっくりしたように俺を青色の瞳で見つめる。
夏帆と雨音さんの二人の視線が気になったけど、俺はうなずいた。
俺は玲衣さんを褒めようとして……言葉が出てこなかった。夏帆や雨音さんを褒めるときはすらすらと言葉が出てきていたのに。
玲衣さんは「あっ」と小さくつぶやくと、恥ずかしそうに顔を赤くして目を伏せた。
「晴人くん……顔、真っ赤だね」
言われてみれば、自分の頬が熱いのを感じる。言葉にしなくても、玲衣さんには……俺が玲衣さんを美しいと思っているのが伝わってしまったらしい。
隣の二人がヤキモチを焼いているかと思って見ると雨音さんが寂しそうな微笑みを浮かべ、夏帆の手を取る。
「私たちはお邪魔だろうから、行こっか、夏帆」
「で、でも、やっぱり晴人と水琴さんを二人きりにはできないよ! だって、このままだと晴人が水琴さんに陥落しちゃう!」
「そうね。でも、今日は二人きりにしてあげましょう」
雨音さんはきっぱりと言うと、不服そうな夏帆を連れて行った。雨音さんは水琴さんの計画のために、去ることにしてくれたのだろうか。
俺と玲衣さんは二人きりになる。玲衣さんは「えへへ」と照れたように笑う。
「聞かなくてもわかるけど……似合ってる?」
「すごくすごく可愛いよ」
俺が勇気を出して言うと、玲衣さんは嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。
「晴人くんにそう言ってもらえて、晴人くんの隣にいられて、わたしは幸せ。晴人くんもかっこいいよ」
「あ、ありがとう」
「行かなきゃ、だよね」
玲衣さんの言葉に俺はうなずいた。
遠見総一朗は、急用でパーティの途中から参加だそうだ。そのタイミングで全体に挨拶をするらしい。
説得するなら、その直後だ。ちなみに琴音もまだ会場に来ていない。琴音に妨害を受ける可能性もあるから、そのほうがありがたいが……どうしたのか気になる。
ともかく、ここで失敗すれば、琴音が婚約を大々的に発表し、俺はいよいよ引き返せなくなる。
「必ず、わたしが二人の婚約を阻止してみせるから」
玲衣さんはそう言って、深呼吸した。