114話 雨音さんとお風呂
「えっと、その……どちらにしても、まずは琴音との婚約を解消しないと……この家には戻れないよね?」
玲衣さんと雨音さんは顔を見合わせる。二人とも「たしかにそれはそうだ」という表情だった。
玲衣さんはくすっと笑う。
「ごまかすんだね、晴人くん?」
「ご、ごめん……」
「いいもの。最後に晴人くんが選ぶのは、わたしだって信じてるから」
玲衣さんは胸にぎゅっと文庫本を抱きしめ、微笑む。
ちらっと雨音さんを見ると、雨音さんは優しい視線で、俺と玲衣さんのことを見ていた。
雨音さんは、もう俺の姉ではない、と言った。そうは言っても、年上の雨音さんからしてみれば、俺たちは守るべき存在でもあるのだろう。
雨音さんの好意に応えられないのに、これからも俺は雨音さんの力を頼ることになる。俺はそのことに強い罪悪感を覚えた。
すると、雨音さんがそっと俺に近寄り、耳元でささやく。
「気にしなくていいんだよ。これは私が決めたことなんだから」
「あ、雨音さん……」
「晴人君の考えていることは、何でもお見通しなんだから。心配しないで。晴人君は私に甘えていいんだよ」
片目をつぶって、雨音さんがウインクする。
その可憐な表情に、俺は惑わされる。すいっと雨音さんは俺から離れると、媚びるように俺を見つめた。
「私を選んでくれたら、晴人君をいっぱい甘やかしてあげるんだけどな。水琴さんは晴人君に甘やかされる側だものね」
「わ、わたしだって、晴人くんを甘やかすことができます!」
「たとえば?」
雨音さんに問われ、玲衣さんは固まってしまった。
きっと思いつかないんだと思う。
「えっと、えっと……」
玲衣さんが必死で考えて、「うーん」とうなっている。そんな玲衣さんの姿もいじらしくて可愛い……と思ったけど、口にしたら、玲衣さんと雨音さんから別々の意味で怒られそうだ。
玲衣さんがぽんと手を打ち、ぱあっと顔を輝かせる。
「手料理を作ってあげるとか!」
玲衣さんは「名案!」という顔をしていた。たしかに、女性の手料理を食べられるのは多くの男が喜ぶだろう。
けれど……。
「玲衣さんって、料理できないんだよね……?」
俺はつい、そう尋ねてしまう。玲衣さんは、うっと言葉に詰まる。
以前、お弁当について話した時にそう言っていた。そういえば、手作り弁当を俺が作るって約束したんだっけ。
玲衣さんが料理をできないのは、お嬢様なのだから当然といえば当然だ。
夏帆やたぶん琴音も同じだし。
ちなみに、ユキは料理が得意で、他の面でも家庭的みたいだ。見た目のイメージどおりとも言える。
玲衣さんはちらりと俺を上目遣いに見る。
「こ、これから頑張るもの……。ね、晴人くん、料理教えてくれる? 晴人くんのために手料理作ってあげたいから……!」
「もちろん。嬉しいよ。でも……」
玲衣さんに料理を教えるのはお安い御用だし、すごくカップルっぽいイベントなきもする。
ただ……。
「それって、結局、水琴さんが晴人君に甘やかされているんじゃない?」
雨音さんから鋭いツッコミが入る。そのとおり。俺が料理を教えると、結局のところ、玲衣さんが俺を甘やかす……という当初の趣旨からはズレている。
玲衣さんが「がーん」と音がなりそうな、ショックそうな表情を浮かべた。
かわいそうなのでフォローしたいけど、フォローが思い浮かばない。
雨音さんは得意げにえへんと大きな胸を張る。そのはずみに胸が揺れて、俺は慌てて視線をそらす。
「私だったら、晴人君にいろいろしてあげられるわ。たとえば、マッサージをしてあげたり、料理だって少しはできるし。あ、あと、約束したよね?」
「……約束?」
「ほら、遠見家のお風呂に一緒に入って身体を洗ってあげるって言ったじゃない?」
「そ、そんな約束は……」
「したよね? 一緒に入って甘やかしてあげる」
ふふっと雨音さんは笑う。
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