ジャックドッグ小規模戦争鎮静化任務(前編)
ハッターの愛用する拳銃はSIG SAUER P250らしい。
ジャックドッグは犯罪地方である。その治安の悪さは折り紙付きであり、大統領すらジョークに使うほどだ。ともなれば銃声なんて犬の吠え声と同じような頻度で耳にするし、特に気にもならない。住人たちは「あぁまたか」なんて暢気に思いながら、朝のコーヒーを淹れる。
「だがよォ……。」
『ワンダーランド』本拠倉庫、ダイニングキッチンスペース。まさしく『ワンダーランド』の面々も朝のコーヒーブレイクの真っ只中であったわけだが、穏やかな空気はハッターの一言で打ち破られた。
「こりゃあんまりにもうるさすぎじゃねェ!?」
ハッター以外のメンバーは割と余裕そうにコーヒーをすすっているが、その実はピリピリとしていた。まず、本来なら朝に弱いアリスが剣呑な表情でコーヒーに入れたミルクをかき混ぜている。兎の獣人であるホワイトの長い耳はひくひくと動いているし、双子の兄妹ディーとダムはそれぞれフードの内側とローブの裾に手を突っ込んだ状態で固まっている。終始バンダースナッチは唸っているわ、マーチの手はポケットの中の超小型手榴弾を掴みっぱなしだわ、『非常事態』を表すのにこれほど最適な光景はないだろう。
その時、通気口がガタリと音を立てて開き、中からラルヴァが這い出てきた。瞬時にその場にいた全員によって銃口を向けられたラルヴァは、冷や汗を垂らしながら笑って手を振り、現状報告をする。
「多分、イタリア系の麻薬カルテルの連合武装組織と、中華系のマフィアが対立してる。戦況は一進一退。どちらが優勢とも、どちらが劣勢とも言えないね。」
「戦闘範囲はわかるか?」
「僕が見てきただけでもとにかく広範囲。もうほとんどジャックドッグ全体を使った小規模戦争だよ。」
「流れ弾が来ないことを祈るばかりだな。」
ホワイトがそう呟いた時、正面玄関の方から声が聞こえた。
「アリス! いるんだろう、出てこい!」
そこにいたのは、誰あろう、ファイランだった。少数の手下を連れて、錆びたドアの前で腕を組んで待っている。そしてファイランが口を開いた瞬間。
「ぬわっ!?」
ファイランの首筋には、右に斧、左に鉈の刃がぴたりと当てられ、そこにいた『ワンダーランド』のメンバー全員に銃を向けられていた。ダイニングキッチンにいなかったダンテも、遠く車庫からファイランに向かって狙撃銃を突き付けている。
「お、おい待てってば! 別に今回はお前たちに何かしようとして来たわけじゃないんだ!」
「ハァ? んなしょうもねぇ嘘がわたしに通じると思ってんなら、ファイラン。テメェは自分の計算違いで首刎ねられて蜂の巣にされるアホ丸出しの雄鶏だぜ。」
「本当だ! 俺たちが今回ここに来たのは、お前たちに依頼をするためだ!」
「……は?」
急ごしらえの応接間(ただ単に余っていたソファをアリスのお気に入りソファの前に持ってきてテーブルを据えただけ)のソファに座らされたファイランは、未だに首から離れない一対の刃に脂汗をかきながら、アリスに事情を説明する。
「アリスも気付いてるとは思うんだが、この銃声のロック・フェスはいつものそれとは違うものなんだ。」
「ピザ好きな薬売りの兵隊さん共とチョンキーたちがドンパチしてんだろ。」
「あぁ。で、中華系の方ってのが、うちの副長の弟がやってるトコでよ。あんまり劣勢になられるとこっちのメンツにも関わる。かと言って桃杯商会が堂々と首突っ込んじまえば新しい火種にならんわけがない……。」
「それでうちに依頼、というわけか。」
「お前らくらいしか心から腕を信用できる傭兵集団いねぇんだよ……。」
アリスは大溜息をつきながらホワイトにタバコを点火してもらい、ソファに盛大に倒れこんだ。
「ファイラン……つい一週間前だぞ、お前がわたしのどてっ腹にトンネル開通させたの。」
「この世界昨日の敵は今日の友なんてザラだろ。」
「そもそもお前ウチに借りがあるはずだよな。何しれっと同じ目線で頼みごとしてんだよ。お前一週間前言ったよな。『それとこれとは別』ってよ。」
ぐっと言葉に詰まった総髪の青年は、アリスに向けてピースサインを見せた。
「……二回。」
「あ?」
「お前たちが窮地になった時呼んでくれれば、二回までなら応じる。」
「あぁ、うち一回はこの倉庫の大掃除で頼むわ。」
「ハァ!?」
「んだよ、人手と機材が足りねぇんだよ。舐めんじゃねぇぞウチの倉庫の広さ。」
「知らねぇよんなこと!?」
口角泡を飛ばすファイランに、アリスはにやにやしながらスカートをめくり、ワンピースの下の腹部の銃創痕を見せつける。
ファイランは歯ぎしりをしながら苦々しく承諾の言葉を吐き、アリスも依頼成立の握手をファイランとするのであった。
「アリス。」
「あ?」
去り際、ファイランは思い出したようにアリスに注意していった。
「パンツ履けよお前。」
アリスはキシシと笑うだけだった。
「連合武装組織……言いにくいから連合軍とでも呼んでしまおうか。奴らの戦力は未知数。ラルヴァの脚をもってしてもすぐには計測できない数いる。対して中堅中華系マフィア『清楼組』の総戦闘員数はおよそ三百人。圧倒的すぎるな……よくここまで持っているものだ。」
ホワイトの状況整理から、『ワンダーランド』の作戦会議は始まる。
「ハッ、『300』ってか? いつからあのチンキー共はスパルタ兵になったってんだよ。アイツらに比べたらスパルタ兵とレオニダス王の方が何千倍も優秀だぜ。」
「優秀かどうかは置いておいて、確かにテルモピュレの戦いさながらの奮戦だ。あの戦力差、加えて『清楼組』が使っているのは中国製の武器だ。蹂躙されるのが目に見えているというのに、そうされていない。」
「やっぱ……アレのおかげなんだろうなァ。」
「『清楼組』にも、フシギを持っている人間がいるってことか?」
マーチの質問に、ホワイトはタブレットを操作しながら頷く。
「これを見てほしい。」
ホワイトがタブレットをタッチすると、壁のスクリーンに、何人かのアジア系の顔立ちの男女が映し出された。
「ファイランから先程送られてきた、『清楼組』に所属するフシギ使い達だ。」
「どいつもこいつも厄介な物持ってるな……。」
「あのビッチ猫は一体何が目的だってんだぁ?」
アリスの言葉で、頭を抱え始めた面々の耳に、鋭い破裂音が突き刺さる。どうやらホワイトが音高く手を叩いたようで、短く注意しながら、テーブルの上に地図を広げる。
「今はそんなことを考えている暇はない。この規模だと、要所要所を攻め落として勢力を弱体化させるか、波状的に手あたり次第無力させていくかの二択になってくる。」
「要所?」
「今ラルヴァと彼のドローン達が、連合軍が潜伏している『要塞』を探している。それが調べ終わり次第、そこを重点的に攻め落として、兵力の供給や作戦本部なんかを――。」
ドン、と、重い音が響いた。ホワイトが顔を上げれば、アリスが口元を三日月型に歪めながら、異を唱えていた。
「つまらん。」
「……だが、もっとも効率がいいのは……。」
「効率で刺激が得られるかよ! それじゃつまんねぇ! 出会ったウォップは皆殺し! それで良いだろ!」
「……言うと思った……。あー、ラルヴァ。聞こえるか。ドローンを撤退させてくれ。あぁ、案の定だ。すまんな。」
ホワイトはラルヴァに電話をかけ、謝罪も兼ねた指示を飛ばすと、携帯電話をスーツの裏ポケットにしまう。アリスはそれを見届けると、ガタンと盛大に立ち上がり、その場にいた面々に、外の止まない銃声にも負けないほどの大声で檄を飛ばした。
「そら、状況開始だ野郎共! 人狩りの時間だぜェ!!!」
その声に応えるように、ある者は苦笑しながら、ある者は無表情のまま、またある者は狂気を孕んだ笑みを浮かべながら、手にした拳銃にマガジンを装填し、スライドを引き、ホルスターに納めていく。
「出発だ!!」
ロードフランク七番街大通りは、銃弾が飛び交う戦場だった。否、今に限っては、ジャックドッグのほぼ全域が戦場と化しているが、七番街大通りはその中でも一、二を争う苛烈さとなっていた。装甲車を盾に、大人数で斉射するイタリア系麻薬カルテル連合武装組織の兵士たちは、なんと全身を覆うアーマースーツに身を包み、最新式のライフルを使っている。
対して中華系中堅マフィア『清楼組』の戦闘員十数名は、こちらは一般乗用車を盾に、粗悪な作りの銃器で応戦している。何人かのフシギ使いによって戦線は維持されているが、それでも徐々に押されつつある。
「本部が言ってた『応援』ってまだか!?」
「んなこと言ってる暇があったら撃て!」
詰まった拳銃を捨てては新しい拳銃を乱雑にリロードして、連合武装組織へ牽制射撃を続ける。しかし、敵勢に到着した装甲車から降りてきた兵士は、ロケットランチャーを担いでいた。
「やべぇ、やべぇってアレ!」
「退避! 退避イィッ!!」
悲鳴にも近い怒号を飛ばされ、戦闘員たちが逃げるように距離を取っていく。そして、ロケット弾が発射され、逃げ遅れた戦闘員の眼前まで飛んでくる。
「ヒ――!」
彼が死を覚悟した、その瞬間。
「どけどけどけェっ!」
ロケット弾が、明後日の方向に逸れていった。そして、彼らを飛び越えるように、ひとりの少女と二人の青年が前へ出ていく。いくらジャックドッグに根を下ろして日が浅くとも、その強烈な出で立ちは、その場にいた誰もが――そう、敵勢すらも知っていた。
「わ、『ワンダーランド』!!?」
金髪の少女が、手にした二挺拳銃でアーマーの弱い部分を的確に撃ち抜いていき、それを援護するように中折れ帽の青年がまだ息のある兵士のヘルメットを蹴り脱がし、脳天に銃弾を撃ち込んでいく。
その間も、銃弾の嵐は止んでいない。だというのに、まるで無抵抗の人間を殺戮するかのように蹂躙していく傭兵達。
「あいつら、不死身なのか!?」
確かに弾丸が身体を貫通している。血も噴き出している。なのに止まらない。先に装甲車に備え付けられた武器を無力化し、それから兵士たちを皆殺しにしていく。
少女と中折れ帽の青年が一方的な銃撃戦を繰り広げている間、最後に残った巻き毛の青年は、乗用車のボンネットを開いて、何やらガサゴソと動いている。
「マーチ! 後片付けだ!」
少女は、兵士たちが抵抗ができなくなる程度に急所に銃弾を埋めていくと、最後に巻き毛の青年に合図を送った。
戦闘員たちが中折れ帽の青年の退避指示を受けてその場から離れると、巻き毛の青年はボンネットから取り出したソレ――ぱっと見はエンジンオイルのタンクに旧式の携帯電話が貼り付けられた物だった――を放り投げ、兵士たちが動けないでいる相手側に落下しきる直前に、手に持った旧式携帯電話の発信ボタンをぐっと押した。
「ヒュウ! やっぱパーティの始まりはクラッカーじゃなきゃな!」
少女が大笑いする先で、巻き毛の青年が放り投げたソレが大爆発を起こし、兵士たちはその爆炎のなかに呑み込まれた。
戦闘員たちが唖然とする中、三人はハイタッチを交わし、ジャストタイミングでその場にやってきた白いSUVに乗り込み、どこかへと去っていった。
これが、後にジャックドッグ中の犯罪者たちが一様に恐れることとなる、「『ワンダーランド』による小規模戦争鎮静化までの三日間」の始まりであった。