カーティス・スカーレット殺害任務(前編)
ディーの斧とダムの鉈は、アリスからプレゼントされたものらしい。
ジャックドッグといえど、表面上だけ見れば他の地方となんら変わらない。大手企業の本社も揃っているとなればそれはなおさらだ。
スカーレット社は五十年の歴史を誇る建築会社だ。スカーレット社に所属する一級建築士が手掛けた建造物は、国土中にごまんと存在する。しかし、一部の人間だけが知っているその実情は、決してアメリカの名を高めるだけの建築会社ではない。武器の密輸、麻薬売買、人身売買、人間が知りえる『悪』を余すところなく行っている犯罪会社なのだ。
今、ジャックドッグは歓楽街リングホールにそびえたつタワーホテルに新たに仲間入りした六十階建ての高級ホテルのエントランスロビーでは、ジャックドッグに別荘を持つ芸能人や、ジャックドッグに本社を持つ超大手企業のトップたちが、それぞれ男性は烏を思わせるような燕尾服を、女性は宝石よりも眩いきらびやかなドレスを身に纏って、そのタワーホテルのオープンセレモニー会場、大食堂へと歩を進めていた。
車寄せに群がる報道陣やマスコミのフラッシュが夜闇を切り裂く中、そうそうたる顔ぶれが、タワーホテルの中へと入っていく。
「おい、あれ! この前結婚を発表した俳優、アラステア・マリガンだぞ! 撮れ、撮れっての!」
「馬鹿、揺らすな! こっちゃそれどころじゃないんだ、あっち見ろ! 『ホーク&シルバー』社の若社長、ヘクター・ファレルとファレル夫人だぞ! あぁもう、何でこんな一大イベントだっていうのに編集長は俺たちしか派遣しなかったんだよ! ヘカトンケイルになりたいぜ!」
どこからか聞こえるそんな悲鳴すらも掻き消えるような喧噪の中、ひとり、またひとりと超有名人がホテルの中へと消えていく。
「皆様、ようこそお集まりくださいました! 今宵開かれるは我が社の観光開発部門最新作、『グランド・スカーレットホテル』のオープンセレモニーでございます!」
大食堂の最奥に設けられたステージの上でマイクを握る初老の人物こそ、スカーレット社二代目社長、カーティス・スカーレットである。カーティスは一度胸ポケットから取り出したメモを読み上げようとマイクを口元に引き寄せたが、すぐにメモをしまい、明朗な笑顔でこう言った。
「こういうパーティにおいて必要なのはスピーチスキルではありますが、私は昔から図面一辺倒でして、あまりこういうことは慣れていないのです……と、いうのも何回目でしょうね。我が社の観光開発部門が誇る数多のホテルのオープンセレモニーの常連である皆様方ならば、もうおわかりでしょう。えぇ、皆様もこのような老害の説法など聞きたくもないでしょう。では、是非ともパーティを楽しんでいってください!」
そう言ってカーティスが壇上を降りると、優雅な音楽が流れ始め、参加者は立ち上がり、各々ブッフェスタイルのパーティ会場を歩き回り、同じ参加者と交流を始めた。
男性も女性も関係なく、社交辞令や挨拶回りをして、語り、笑い合っていた。だが、人々の視線を読むのが得意な者であれば、いや、そうでなくても、参加者たちの視線や話題は、自然と一転に注がれていた。
血のように真っ赤なカクテルドレスを身に纏い、よく手入れされた、太陽のように煌めく金のロングウェーブにはユリのコサージュを付け、人形のように整った顔立ちをした、年の頃十五ほどの少女だ。ひとりテーブルにつき、周りの視線など気にも留めず、優雅な所作で皿に控えめに盛った色とりどりの料理を口に運んでいる。傍らには屈強な体つきをした兎頭の獣人が、執事のように立っており、その様相は、『絵のようだ』と形容するにはあまりにも言葉が足りなかった。もっと超自然的な、おとぎ話の挿絵のような光景だった。
人々が口々に「あれは誰だ?」「是非語り合ってみたい……。」と言うのにも全く気にせず、ひとり黙々と料理を食していく。そして、どの料理も一口分残した状態で少女は立ち上がり、会場の隅へと消えていった。その場にいた人々も、徐々に彼女から興味を失い、また社交的な交流へと戻っていった。
――誰もいない大食堂の隅の窓際で、肩で息をして脂汗を垂らす少女がひとり。
「あっ、あー、あーっ! やべぇ、やべぇよ……ハッター、今わたし大丈夫か? 顔面から血とか噴き出してねぇ?」
アリスである。ぱっと見優雅な赤いカクテルドレスを身に纏い、ユリのコサージュをワンポイントに際立たせた煌めく金髪を揺らす、普段の三白眼をカラーコンタクトで無理矢理大きくした美少女は、衆目にさらされるという何度やっても恐怖でしかない苦行を乗り越え、仲間の元へと逃げてきていた。
「ケケケ! やっぱお嬢はそうやってるとホント美少女だよなァ! 惚れちまうぜ!」
「ハッター、お前帰ったら内臓全部引っこ抜いて西海岸に沈めてやるから覚悟してろ。」
「おォこわ。」
でもよォ、とハッターは軽口をやめない。
「お嬢ォ、場の空気に順応しすぎだぜェ、んなカワイイ声で脅されたって怖くねェっての!」
「しゃあねぇだろ、ちょっとでもいつものトーンに戻すと元通りにするの面倒くせぇんだよ……っつかハッター、お前本気で沈めるぞ。西海岸に。」
その瞬間、何かがアリスの中で奔ったらしく、アリスはまた脂汗を流しながらハッターにビクビクと震える手を差し出した。ハッターは意味を理解しきれず、頭の上に『?』を浮かべて首を傾げる。アリスの顔は次第に青ざめていき、足で床をダンダンと踏みつけ始めた。
「あ、中毒緩和薬か。」
ハッターがようやく閃いた時には、アリスは傍らに立つホワイトの胸ポケットからタバコを奪おうと彼と小さな戦争を巻き起こしていた。
「お前天才の割には変なとこ抜けてるよな……。」
そう言ってハッターの差し出した薬品をひったくり、一気にあおるアリス。ふぅ、と息をついた時には、顔色も正常に戻っていた。
「で、何か掴めたかよ。」
「なァんも。」
「お前の目ン玉と耳とついでにチンコにバイバイするか?」
「いや、そうは言ってもよォ! 『何でもいいからジジィの情報掴め』だなんて大雑把すぎるぜ!? せめていつもみてェに具体的な指示をくれよォ!」
「ハァ……。なんかジジィの弱みとかよ、生活ルーティンとかよ。そういうことだよ能無し。お前ホントに『ワンダーランド』の便利屋かよ……。」
「アリス。」
その時、アリスのドレスの裾を引っ張る人物が現れた。この場所にふさわしくない、完全に隠密行動用のボディスーツを身に纏ったダンテだった。
「おーダンテ。お前はこんな役立たずとは違って優秀だもんな。なんかあったか?」
ダンテは、無言で手にしていたものをアリスに見せた。それは、法律ぶっちぎりでアウトな児童ポルノビデオだった。
「あん? なんだこりゃ。」
「カーティスの控室に置いてあった。」
「あのジジィこんなもん見てんのか……?」
もうひとつ、ダンテはカバンから一冊の書籍を取り出す。それもまた、ティーンエイジャーの少女と姦淫する方向の雑誌だった。
「……ひょっとしなくてもよォ、お嬢。あのジジィ……。」
「……マジもんかもな……。」
その時、こちらに近づいてくる気配を察知し、ダンテはカーテンの裏側へ、ハッターとアリスはさも旧友が談笑しているかのような雰囲気に瞬時に切り替えた。
だが、そこにやってきたのは、アリスもよく知る裏方の人物だった。その姿を目視した瞬間、本能的にアリスは「うげっ」と吐いてしまった。
「おいおいアリス、なんかあんまりじゃないか? なんだよその態度。」
「お前が相手でどうして『あら貴方でしたかオホホ』なんて言えるかよ……『桃杯商会』頭領……悪狼。」
その中国人青年は、にかっと笑い、手下を下がらせると、アリスを見下ろしながら、手元のワインをちびちびと飲み始める。
「何で君がいるんだい。なんか依頼?」
「でなきゃこんなとこいられねぇよ……。ファイランは何だよ、お前も依頼か? ジャックドッグの勢力図の一端を染め上げる桃杯商会のトップ様が、こんなところにいていいもんじゃねぇだろ。」
「そ、俺も依頼。とはいえ表向きは俺たちだって不動産とかやってるし? 実際、このホテルの土地、うちのだし。」
「さっさとどっか行ってくれねぇかな……せっかく作った声が戻っちまう。」
「そうそう! かわいいよなそのカッコにその声! アリス絶対売れるって! どう? 何回もしつこいようだけど……。」
「お前んとこにゃ行かねぇよ。ウチはそこまで落ちぶれてねぇからな!」
「そ。ざーんねん。」
軽薄な態度の向こう側に見え隠れする凶暴な気配に、アリスは冷や汗をかきながら言葉を続ける。
「ファイランの依頼はなんなんだ? お前を直々に指名したんだろ? 相手はかなりの上物じゃないか?」
「そーぉ、近年まれにみる上物。」
「……。」
ファイランはにやにやと笑いながら、見透かしたかのように言葉を投げかけてくる。
「アリス~。行動は慎重にな? あんまり焦りすぎると、いつぞやかみたいに大切なモノをなくしちゃうぜ?」
「ヘッ、言われなくても……そのつもりだよ。」
アリスの虚勢も、そろそろ限界が近づいていた。例えどんなに『勇気』に特化したフシギを持っていようと、潜在的な恐怖、遺伝子レベルで刻まれたトラウマというのは払拭するのが大変困難だ。ファイランを前にしたアリスは、さながらに蛇に睨まれた蛙だった。それでも窮鼠は猫を噛まんと臨戦態勢を取り続ける。
「おぉ、怖い怖い。アリス、せっかくのメイクが台無しになっちゃうぜ。それじゃ、俺はここらで退散するから。せいぜい頑張れよ~。」
手を振り振り、その場を去っていくファイラン。アリスはどっと押し寄せてきた疲れに身を任せ、その場にへたり込んでしまった。
赤いカクテルドレスの少女が再び戻ってくると、また少し周囲がざわついた。そのざわめきを聞きつけたのか、そこに、当のカーティスが現れた。
「おぉ、これは見目麗しいお嬢様! よろしければ一曲、踊っていただけませんかな……?」
少女はにっこりと微笑み、カーティスの手を取って、完璧なダンスステップを披露した。絹糸のような金髪がさらさらと揺れるたびに、周りの観衆やダンスをしている人々からも感嘆の吐息が漏れる。
そんな風景を遠くから眺める人物が二人。ラルヴァとダンテだ。ふたりは通気口の中から、その様子を眺めていた。
「ラルヴァ。カーティスはどうしてアリスにダンスしようなんて言ったの。」
「それはあのカーティス爺さんがロリコ……少女趣味だからさ。あぁほら、ダンテが拾ってきたビデオとか雑誌とか……あれ、小さな女の子を相手にラブラブイチャイチャするよろしくな~い物なんだよ。」
「そうなんだ。」
しばらくの沈黙。
「ロリコンなんだね。」
「ぶっふ!」
ラルヴァはダンテの言葉に、らしくもなく吹いてしまった。
「ど、どこで覚えたダンテ……。」
「アリスが言ってた。『わたしに任せろ、ロリコンのひとりやふたり、余裕でオとしてやるよ!』って。」
「ま、まぁそうだねロリコンだね……まぁ、普段から狙撃銃なんか担いでる時点でもう後戻りはできないのか……しかし何だこの罪悪感。」
「どうしたのラルヴァ、さっきからぶつぶつ。」
「いや、何でもないさダンテ、ほら異常がないか見ておかなきゃ。」
「うん、そうだね。」
そうこうしているうちに夜は更けていき、パーティは解散とされ、客人たちはばらばらと帰っていく。
アリスはドヤ顔だった。片手にメモを持ち、敵将の首のように掲げている。ホワイト、ハッター、マーチ、ラルヴァ、ダンテ、ディー&ダム、バンダースナッチは、そのメモをなんとか読み上げる。
「住所か?」
マーチの言葉に、アリスはキラキラした表情でマーチの鼻先を指さし、コクコクと頷いた。
「この住所……カーティス・スカーレットの別荘だな。」
今度はホワイトの鼻先を指さし、首振り人形のように激しく頷く。
「お呼ばれしたってこと?」
ラルヴァの鼻先を指さし首肯。
「はーん。つまりセックスのお誘いかァ。」
ハッターの双肩をがっしと掴み、数秒の後、満面の笑顔でサムズアップして見せる。
「アリス、どういうこと?」
「アリス、何が起きてるの?」
兄妹の疑問に、アリスはソファの背に腰掛け、タバコを取り出し口に咥え、ホワイトに火をつけさせ、すぅっと吸って、煙を吐きながら答えた。
「今回ファイラン共が邪魔をしてくるような方法でしか暗殺は不可能かと思っていたんだが。」
「あァ、あれそういう意味だったのかァ……。」
「恐らく今回ファイランが受けた依頼はカーティス・スカーレットの護衛だったのだろうな。」
「ファイランのあずかり知らねぇところ……つまりだ! ベッドの中で殺しちまえばこっちのモンってわけよ!」
「そんな上手くいくのかァ?」
「いく! ……多分! で、だ! ハッター、遅効性の猛毒でかつ最初は強力な媚薬効果のある薬って作れるか?」
「何だその無理難題!」
「頼むって、な? 報酬天井知らずって言ってたじゃねぇかよ~!」
ハッターは頭を抱えてぶつぶつと呟きながら、研究室に引きこもってしまった。ミス・ドルフィンの武器商店に行くとき並みのはしゃぎっぷりのアリスを見て、ホワイトは突き刺すように言った。
「今回の任務、あくまでカーティス・スカーレットの殺害が目的であって、性行為が本来の目的ではないことは頭に入れておけよ。」
「うぐ。」
固まるアリス。ホワイトは呆れの溜息をつき、また口を開く。
「御無沙汰なのは確かにそうだろうが、そっちにのめりこみすぎて、依頼内容を忘れないようにな。」
「わ、わかってるって、大丈夫、大丈夫……。」
アリスは汗を垂らしながら、メモをカレンダーにピン留めし、もう一度キシシと笑うのであった。