アダム・アバークロンビー殺害任務(前編)
アリスが普段よく使う拳銃は、アリスのためだけに作られた特注の物らしい。
そこに立っていたのは、中肉中背で、前を開けた黒のロングコートにフードを被り、迷彩柄のバンダナをマスクにした、見るからに悪そうないで立ちの青年だった。
「よぉ、お前は運がいいな。わたしが起きてるときにやってくるなんてよ。」
青年は、ロングコートのポケットに手を突っ込んだまま、アリスを睨み、低い声で尋ねた。
「……お前が、アリスか。」
「あぁ、わたしが何でも屋『ワンダーランド』主人、アリスだぜ。」
久々の依頼人だからか、アリスは高揚した語調でそう答えた。青年は、きょろきょろと辺りを見回してから、近付いてもいいかと尋ねた。アリスは承諾し、青年はアリスの数十センチ先の場所まで歩み寄ってから、依頼内容を伝えた。
「……俺、トーマスってんだ。フルゼルンの方でモノ売ってる……しがない商人さ。今回あんたらを訪ねたのは……俺の仕事が軍にばれそうだからなんだ。」
「はん。」
アリスは鼻で笑い、先を促した。
「ひとりの男がいてさ……。ソイツ、俺の顧客だったんだけど、軍人だったんだ。そろそろ……ヤバそうでさ。」
そう言って、青年はこめかみの辺りで指をくるくると回した。
「このままあいつが軍務を全うしちまうと、いずれあいつの上官があいつがキメてるってことに気付いちまう。そうなると俺が塀の向こうでオネンネすることになるのも時間の問題だ。そうなったら俺商売あがったりだぜ。上物の顧客の不満買ってムショ出た途端今度はカミサマのお膝でオネンネなんてイヤだぜ。」
「つまりそのドラッグピクルスの野郎をぶち殺せってのか? それだけのために『ワンダーランド』に?」
「問題はそこからなんだ。あいつ、何を考えたのか自分が殺されそうなことに気付きやがった。あいつは数人の傭兵を雇ったんだ。俺も普通の殺し屋も何人か雇ったけど、全員その傭兵に殺された。」
「それでウチに――か。」
「もう頼れるのがあんたらしかいないんだ、頼むよ!」
そこまで聞いて、アリスは青年に向かってゆっくりと手を差し伸べた。青年が困惑しながらアリスの手を取ろうとすると、アリスはその手をはたき、今度はびしっとまた手を差し出した。
「いくら出すんだ?」
「あ……あぁ、そういうことか……あいにくと持ち合わせがほとんど前の暗殺者たちで消えてるんだ。五万ドルじゃダメか?」
「……おいおい、聞き間違いか? おいホワイト、このガキ今なんつった?」
「嘘だろ!?」
アリスの不敵な笑みに、青年は絶望の悲鳴を上げる。
「……五万ドルと。確かにそう言ったな。」
「はっはー! おいおい小麦農家さんよ、ナメてもらっちゃ困るんだよ、わたしらは天下の『ワンダーランド』……ジャックドッグいち頭のイカレた何でも屋だぜ? そんなはした金で動くと思ったらそりゃお前のママはお前の育て方間違えたな!」
「この金キチガイのビッチが! こっちは金がねぇっつってんだろホントに耳大丈夫かよ!?」
「ゼロふたつ足りねぇなぁ。」
唾を吐くほどの罵倒も意に介さず、アリスは青年の眼前でピースサインをする。
「五百万ドルだ……それなら乗るぜ。これからの人生とドル札、どっちが大事だよ? しかも今ドル札選べば確実な安全が保障されるぜぇ?」
青年はたじろぎ、一歩後ずさった。その額には、これでもかというほど汗がにじんでいる。コートの袖で汗を拭い、歯ぎしりをしながら、言葉を紡いだ。
「そ、……そんな大金、用意できない。」
「じゃ、交渉決裂だな!」
「ま、待ってくれ!」
「……なぁんか勘違いしてるみたいだけどよ、ビジネスマンさんよぉ。わたしゃあ、何も今払えなんて言ってないんだぜ?」
「……え?」
「『払えるときに』五百万ドル払えっつってんの。」
その言葉で、青年の表情に一気に明るさが戻った。その瞳には、涙すら浮かんでいる。
「ほ、ホントにいいのか!?」
「いいっつってんだろ。気が変わらねぇうちに『それで』っつっとけタコ。」
「ありがとう! よろしく頼む、『ワンダーランド』!」
「毎度あり!」
アリスは、その目つきの悪すぎる視線で青年を睨み、にかっと笑って青年と握手をした。
「アリスアリス! 久しぶりの人殺しだね!」
「アリスアリス! 久しぶりの依頼だね!」
「あぁそうともよ……この時を一週間待ち遠しみにしてたぜ! これでその傭兵とやらが弱っちょろかったら、あのブツ売りのガキの脳みそでプラマイゼロだな。」
倉庫に設けられた一室で、『ワンダーランド』の面々は作戦会議を行っていた。真ん中にスチール製の大きなテーブル、四方の壁にはジャックドッグの指名手配犯の顔写真や、主な観光名所のパンフレットが広げられた状態でピン留めされている。
今、テーブルの上には、ジャックドッグ全体の地形図が広げられている。そして、テーブルを囲んでいるのは、まず北側にアリス、東側にホワイト、ハッター、西側にディー&ダムと、ハッターの従弟で爆弾処理を得意とする『マーチ』がいるような形だ。
「この倉庫から件の軍人……名前を『アダム・アバークロンビー』。ちなみに階級は陸軍軍曹だそうだ。アバークロンビー邸までは、私の運転であれば三十分あれば到着する。ラルヴァによる情報が正しければ、アバークロンビー邸に配置された傭兵の総数は六人。二人は正門前、二人は庭番、ひとりは屋根の上、ひとりは邸内を警邏しているらしい。」
ホワイトが、倉庫から目的地までのルートや基本情報を伝達していく。
「まぁ、大抵の暗殺者はやられてるって言うし、あまり正面突破はしたくないところだな……。」
アリスが呟くと、ディーとダムが飛び跳ねながら反論した。
「アリス! ぼくら正面から行けるよ!」
「アリス! ボクらヘイト集めできるよ!」
「なる、ほど。」
アリスは二人を見て何か思いついたのか、その場の面々に作戦を伝えた。
「暇だな。」
「暇つってもこれが仕事なんだぜ?」
アバークロンビー邸正門。二人の防弾チョッキ姿の男が、銃を携えた状態で会話をしていた。
「ちょっと前まではなんか暗殺者だの狙撃手だの来てたんだけどなぁ……。」
「クライアントは命を狙われてるのかね?」
「さぁ……。俺にはただのヤク中にしか見えねぇけどな。」
そこへ、白い厚手のローブを着た、二人の子供がやってきた。子供は正門のふたりの前で立ち止まると、両手をふたりに差し出した。
「「トリックオアトリート!」」
息を揃え、そうにこにこ笑顔で言い放つ。正門を見張っていた二人は、一瞬唖然としてから、大笑いして、ひとりが彼らの目線に合うようにしゃがみこんだ。
「おいおい坊ちゃんたち、双子かい? トリックオアトリートってのはな? ハロウィンの時に言うセリフだぜ。」
「おじさんお菓子持ってないの?」
「おじさんトリート持ってないの?」
双子はそう確かめ、また息ぴったりに叫んだ。
「「それじゃ、トリックだね!!」」
双子のうち声の低いほうはフードの中から斧を、声の高いほうはローブの裾から鉈を取り出し、しゃがんでいた男に斬りかかった。しゃがんでいた男の頭蓋に斧と鉈がめりこみ、血の噴水を作り上げながら男が倒れこむ。
「こッ、こいつら!?」
立っていたほうの男は、手にしていたAk5を乱射しながら後退し、身に着けていたトランシーバーに怒鳴りつけた。
「き、緊急! ファルコが殺られた! 敵は正門にいる! 応援頼む!」
幼子の速度とは思えぬスピードで次々に得物を振るう双子から距離を取り、開けた前庭に逃げ込んだ時、斧を持った幼子の胸部に一撃の銃弾がぶすっと音を立てて貫通した。その場で鉈を持ったほうの幼子が相方に駆け寄ると、その幼子の肩にも銃弾が撃ち込まれる。
狙撃の主は、アバークロンビー邸の屋根の上にうつ伏せの状態でライフルを構える、やせ型の男だった。
「こちらビクター、ガキの死亡確認を頼む。」
狙撃手がそう言って退屈そうに欠伸をしたときだった。突如狙撃手のこめかみから血が勢いよく吹き出し、狙撃手が屋根の上に力なく倒れた。その傷口は、完璧な円形だった。
「……アタマ入ったよ。移動して。」
そう淡々と伝えて、少年は搭乗していたヘリコプターの座席に倒れこむ。
「危ないからシートベルトを付けろ……。」
ホワイトが呆れながら言うも、少年は既に寝落ちしていた。この小さな体躯のどこにそれを扱う筋力があるのか、狙撃銃H&K G28を抱えて眠る白髪のこの少年は、『ワンダーランド』狙撃担当、『ダンテ』。アリスが拾ってきた、アリスと同じく孤児である。
ホワイトはやれやれと首を振りながら、なるべく揺れぬようヘリコプターを操作し、その場から離れるのであった。
既に死亡した狙撃手の通信を受け、Ak5を持った男は、折り重なるように倒れる幼子のもとに歩み寄り、その弾痕を確かめる。確かに、片方の幼子の心臓の直上から、背中に向かって貫通しているし、もう片方の幼子だって、肩から入って首を貫通している。
「……こんなガキが……殺し屋だってのか……? クソッ! なんだって俺はこんなガキ相手に……。」
そう、男が悔悟の毒を吐いた時だった。男の視界の端で、ふたつの死体が動いた。
「え――?」
「「トリックオアトリート!!」」
瞬間、男の両目に、銃弾がめり込んだ。
「――っ!? っ、ぐ、ぎゃああぁぁ!!?」
死ぬに死にきれず、男が悲鳴を上げながらのたうち回る。
「見えない! 何も、何も見え、ひいぃぎゃ、あああぁ!!!」
「うるさいよおじさん。」
「やかましいよおじさん。」
幼子の似たような声が、男の耳朶に触れる。状況判断をするならば、幼子が男の眼球目掛けて銃を発砲したのだろう。
「おじさん、だめじゃないか、子供に銃を向けたら。」
「おじさん、いけないことだよ、子供を銃で撃つなんて。」
「「だからぼクらが、おじさんに銃の使い方、教えてあげる!」」
なぜ生きているのか、喋れているのか、そんなことを考える暇もなく、男は撃たれ続けた。即死するような場所ではなく、ギリギリ生きていられるような箇所を重点的に。
「はーいさっさと入ってー。」
アバークロンビー邸、庭園。別動隊のアリス、ハッター、マーチが、垣根を飛び越えて邸内に侵入していた。ハッターとマーチは抵当姿勢で隠密行動をしていたが、アリスは臆することもなく堂々と庭内を闊歩している。
「お嬢、ちったぁ隠れてくれよォ! ばれたらどうすんだよ!」
「ハッター、今更ってもんだぜ、それこそ……。」
「ばれたら? こうするんだよ。」
突如、発砲方向も見ずに、アリスが手にした拳銃の引き金を引く。その数メートル先で、ライフルを手にした男が、プールの中に水しぶきを上げて倒れ落ちた。
「おバカーーー!!」
「お嬢、消音機もなしに撃つとかバカか!?」
ハッターとマーチが顔を真っ青にしてアリスを叱るが、アリスは耳を塞ぎ、
「あー、あーー。んなギャアギャア言う暇あるならアレ殺ってこいよ。」
と言って、プールの奥から現れた巨漢を指さした。巨漢は毛むくじゃらで、熊の頭を持ち、銃器の類は一切所持していなかった。
「わーお、ハッター、獣人だぜ獣人。」
「見りゃアわかるわ!」
「じゃ、せいぜい死んでこいや子犬共。」
「お嬢ー!?」
直後、ドカンと大きな音と衝撃が感じられたが、アリスは構わず邸内に侵入した。
「『ワンダーランド』とお見受けするが、どうかな。」
エントランス・ホールのど真ん中に仁王立ちしていたのは、細身の青年だった。手には二挺拳銃。アリスは手にした拳銃を握り直し、その質問に答えた。
「あぁ、確かにわたしらは『ワンダーランド』だぜ。よくわかったな。」
「この街に住んでいる裏者として、その名前とメンバーの顔くらいは覚えていないとね。」
「なるほど……な!」
次の瞬間、青年とアリスは同時に走り出していた。