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路地裏の国のアリス  作者: 和泉キョーカ
ジャックドッグ編
1/28

路地裏倉庫

アリスは本名らしい。

 パトカーのサイレンが鳴りやまない犯罪地方、ジャックドッグ。高層ビルが立ち並ぶジャックドッグ随一のオフィス街、ロードフランクの三番街大通りから一本入って少し車を走らせて、スクラップ置き場の角を曲がった細道に、そのぼろ倉庫は寂し気に建っている。

 ジャックドッグでも知る人ぞ知る何でも屋、『ワンダーランド』の事務所兼生活拠点である。早速蝶番もガタガタになった錆びたドアをくぐってみよう。

 まず真っ先に目に飛び込んでくるのは、これもまたごみ処理場で拾ってきたかのように異臭を放つ、ぼろぼろの緑がかったロングソファ。そこにタバコを咥えて寝転がっているのは、青のワンピースに白のエプロンドレス、手入れすれば輝くであろう薄汚れた金髪には青いリボンをつけ、白いニーソックスと黒い靴を履き、人を信じることを忘れたかのような、無垢の「む」の字も見当たらない細められた青い瞳を持つ年のころ十五ほどの少女のはずだ。彼女が『ワンダーランド』の代表にしてリーダー、人呼んで、『アリス』。

 彼女が寝転ぶソファの後ろで手を後ろ手に組んで直立する、高級そうな真っ黒いスーツを身に纏ったウサギ頭の大男が、彼女の護衛にして『ワンダーランド』の運転手ドライバー、『ホワイト』。

 『ワンダーランド』に依頼をするときは、ひとつのルールを踏まえなければいけない。それは、『アリスが気付くか起きるまで口を開いてはいけないし、ドアから離れてはいけない』。これを破ると、倉庫の梁の上でこちらをにやにや見下ろす双子の幼い兄妹、『ディー』と『ダム』に殺されてしまう。

 さて、アリスが起き上がったら、コホンとひとつ咳ばらいをしよう。そうすればアリスはこちらに気付いてその三白眼をこちらに向けてくるだろう。

「……何の用だよ。」

 そう言われたら、ようやく依頼を口にしよう。それは復讐だろうか? 人命救助だろうか? 盗品回収だろうか? それとも家出した猫の捜索? あぁ、最後の一つを頼むのなら、猫の命は百パーセントないと思ったほうがいい。なぜならディーとダムが殺してしまうから。

「……報酬は?」

 ものを頼むには見返りが必要だ。アリスに報酬交渉を取り付ければ、あとは家の安楽椅子でコーヒーでも飲んでいよう。自然と依頼は片付く。

 以上が、『ワンダーランド』に依頼するハウツーだ。もっとも、『ワンダーランド』に依頼をするなんて、この世でも指折りのイカレた選択だけどね。


 『ワンダーランド』本拠地中央、緑色のおんぼろソファに寝転がるアリスは、やることもなくただぼけぇっと、倉庫の梁の上を走り回るディーとダムを眺めながら、タバコを吸っていた。

「なぁホワイト。」

 そばで直立する兎頭の獣人に声をかける。

「なんだ。」

 無駄にいい声で、ホワイトが短く応答した。

「することがねぇ。」

「寝てろ。」

「寝た。」

「ディーとダムと遊ぶか?」

「めんどい。っつか死にたくない。」

「ハッターの実験でも見てればいいだろう。」

「死にたくねぇっつったろ。」

「そうなったら私に言えることはないな。」

「能無しかよこのウサギ頭。」

 盛大に舌打ちし、咥えていたタバコを吐き出す。すぐにエプロンの裏ポケットから『Griffon』と銘打たれた紙のシガレットケースを取り出し、タバコを一本取って上下の口唇で挟むと、すかさずホワイトがそれにジッポライターで火を付けた。

「あまり吸いすぎるのもいかんぞ。」

「父親面かよ。やかましンだよバぁカ。」

 歯で噛むようにタバコを咥えたまま、唇と舌で、梁の上の双子に怒鳴りつける。

「おいガキ共! 窓の外がタール色なの見りゃわかるだろ! さっさと寝やがれ!」

 ネズミを追いかけ回していた兄妹は、その言葉でぴたりと止まり、ネズミの頭部を鉄骨で叩き潰してから、アリスに反論した。

「アリスアリス! ぼくらまだ遊び足りないよ!」

「アリスアリス! ボクらまだ暴れたりないよ!」

 性格も顔の造形も表情もうり二つの兄妹を見分けるには、声の高さと、発言する順番しかない。先に発音する妹よりはやや低い程度の声の少年がディー、兄よりはやや高い程度の声の少女がダムで、何があってもまず先にディーが発言する。

「充分遊んだろ……さっさと寝ねぇとホワイトにおしおきさせんぞ。」

「アリス! ぼくらここ一週間人を殺してないよ!」

「アリス! ボクらここ一週間依頼を受けてないよ!」

「平和だねダム?」

「退屈だねディー?」

「うるさいわ! 依頼が来ようと来まいとわたしらは毎日寝て食ってションベンしてかねーといかねぇんだよ! わたしらだって人間なんだぜ!? おいバンダースナッチ! ふたりをベッドに連れてけ!」

 アリスが怒鳴ると、倉庫の奥から、下手な狼よりも大きな体躯を持った、赤目の黒犬がのしのしと闊歩してきて、ディーとダムを見据えた。兄妹は「ひゃー!」と言いながら梁の上を逃げ回ったが、結局二人とも『バンダースナッチ』と呼ばれた黒犬にフードを咥えられ、寝室まで連行されていった。

「アリス、君も寝たほうがいいぞ。君だってあの二人に偉そうなこと言えるような年齢でもないだろう。」

「だから親父面すンじゃねぇっつってんだろッ!?」

「……すまん。」

「もう寝たってさっき言ったばっかじゃねぇか。お前脳みそあんのか?」

 そう言って大ため息をつき、アリスはイライラとした表情のまま瞼を閉じた。


「アンハッピィバースデイ、ホワイト!」

「しっ。」

 真夜中の三時過ぎ。黒い中折れハットを被り、レンガ色のベストにネクタイ姿の青年が現れ、帽子を取って大仰な仕草でホワイトに挨拶したが、ホワイトは指を口元に当て、鋭く息を吐いた。彼の直下では、アリスが年相応の少女らしいあどけない寝顔を晒していた。

「おやおやお嬢はお散歩中・・・・だったかね。」

「あまり大声を立ててやるなよ……彼女ほどの年頃の子供はとかく睡眠が何より大事なんだ。」

「ホワイトもすっかりパパだねぇ。」

「……よく言われる。」

「しかしいつものあの顔を見てると、この寝顔はあまりにもらしくない、じゃないか? ほんとにお嬢かねぇ?」

 そう言って、中折れハットの青年――通称『ハッター』は、アリスの頭の近くにしゃがみこんだ。

「この顔のまま生活してりゃ今頃ハイスクールのプリンセスだったろうになぁ。」

「まったくだ。」

「プリンセスっつぅよりはブラッディ・マリーか? ケケ!」

 そう不敵に笑うと、ハッターは立ち上がり、背後に向かって声を上げた。

「おい双子ォ。」

 倉庫の隅で、ふたつの影がびくりと揺れた。そのまま、すごすごとホワイトとハッターの元へやってくる。それはハッターの言う通り、ディーとダムであった。

「お前らはお嬢以上に寝なきゃいけないだろうが。」

「だってハッター! 退屈だよ!」

「だってハッター! 暇だよ!」

 白いたっぷりとしたフードを揺らしながら、交互にぴょんぴょんと飛び跳ね主張する兄妹。それに聞く耳も持たず、ホワイトがふたりを寝室に連れ戻そうとしたとき。

『おりゃ。みんなお揃いじゃないか! ちょうどイイや!』

 虚空から声がした。そこから一秒経たぬ間に、ホワイトが双子を手放し、襟の裏から拳銃を取り出し声のした方向へそれを向け、ハッターも同じように拳銃を構え、ディーはどこからともなく斧を、ダムはどこからか鉈を取り出した。

『おぉ、コワイコワイ。あたいだよあたい。銃をしまっておくれ。』

 そう言って虚空から現れたのは、半獣人の少女だった。ピンク色のネコ耳と毛を持ち、中空をふわふわと漂っている。その顔は表情筋が固まったかのようににやにやしている。

「ハハ、お前ならなお銃はしまえねぇな!」

 そう言って、ハッターが安全装置を外す。

『ひどいなぁ、あたいは君らにチカラをあげた、いわばスポンサーじゃないか!』

「そのせいで確かに我々は得もしたが損もしているのだぞ。」

「チェシャ! 次動いたら殺す!」

「チェシャ! アリスに何かしたら殺す!」

『ひゃあ~コワイなぁ。わかったわかった、退散する前に情報をあげるよ。』

「情報?」

 『チェシャ』と呼ばれたフシギな半獣人は、くるくると宙を舞いながら、その情報とやらを開示した。

『ジャックドッグで一番大きな犯罪組織、ホワイトちゃん知ってるかしら?』

「……『クランベリー』。」

 ホワイトが、拳銃は降ろさずに、その超巨大組織の名称を答える。

『うん! そうだね! そのクランベリーのトップが「フシギ」を与えられたみたいなんだ!』

「何!? 貴様、どういうつもりだ!」

『わわ! あたい何もしてないよ! あたいはただのしがない武器商人さ! 「フシギ」を与えているヤツはあたいの他にもいるってことさ!』

「はん、にわかにゃ信じられねぇな。チェシャだし。」

『まぁまぁ、それが言いたかっただけだからさ! それじゃあたいはこの辺で!』

「おい、待ちな。」

 ハッターの制止に、チェシャはにやにや笑いながら振り向いた。

『ん?』

「お嬢が挨拶したいってよ。」

『んん――?』

 その瞬間、チェシャの腹部に風穴があいた。

『……ゴフッ。』

 チェシャは驚愕に目を見開きながら、にやにやと歪めた口の端から血を吐き出した。

「……オイ。」

 その銃弾の主は、睡眠を妨害されたアリスだった。いつもの悪すぎる目つきでチェシャを睨み、拳銃を構え直す。

「わたしゃあな、寝るのが何より好きなんだよ。わたしの至福のオネンネタイム邪魔してんじゃねぇぞクソビッチ猫サマよ。」

『はいはい、お邪魔しましたよ!』

 直後、チェシャは煙のようにその場から消え失せた。

Fuck offおとといきやがれ,scumbagクソやろう!」

 中指を突き立て、チェシャが消えた虚空に唾を吐くアリス。しかしその後、怒りの矛先はその場にいた面々に向けられた。今にも発砲しそうな様子のアリスをなんとかなだめ、ハッターは研究室に、双子は寝室に戻った。


「チッ。ざっけんなクソ共が。」

「だいぶストレス溜まってるな?」

「ったりめぇだ、ガキ共にあぁは言った手前、わたしだって暴れたりねぇさ、ここ一週間人の血を見てねぇ。」

「……アリス。来客だ。」

「噂をすれば、か。ネコ探しならネコもろともドタマぶちぬくけどな!」

 キシシ、と笑い、開かれた倉庫の扉に目をやる。その瞳は、おもちゃを買ってもらう直前の幼子のようにきらきらと光っていた。

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