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 王太后の茶会は十日に一度ほどの頻度で開かれる。

 後宮の隣にある()()殿(でん)と呼ばれる宮殿の中庭にある四阿(あずまや)で、王太后が家族と友人を招いて催す私的な()()(かい)だ。

 石造りの四阿には、円卓とそれを囲むように椅子が並べられている。

 四阿の丸窓から見える庭は一幅の絵のように整えられており、庭を横切る小川と川辺に植えられた柳の木々が美しい。窓の外には()(たん)の木があり、色鮮やかな緋色の大輪の花が窓辺を飾っている。

 孜門はこの茶会を苦手としていた。

 招かれる客は王である孜門以外は皆女性ばかりだ。

 王太后とその取り巻きである大臣夫人たち、王妃と妾妃とその侍女たちだ。

 王の侍従でさえ、四阿に近づくことはできない。

 日頃、王である孜門が飲み食いするものは、井戸の水だろうが天から降る雨粒だろうが毒見係が検分することになっている。どんなに安全と思われるものでも、けっして勝手に口を付けてはいけないと、大臣や侍従たちからはきつく忠告されている。

 ところが、王太后の茶会にはその毒見をする侍従を連れて行けない。

 となれば孜門はなんとかして茶会で出された茶と菓子に口を付けずにその場を遣り過ごすしかない。

 まさか王太后が自分で主催する茶会の場で王を毒殺するほど浅はかではないだろうが、万が一ということもありえる。

 結果として、孜門は茶会の間中、茶を飲まず菓子を食べる暇がないくらい招待客である御婦人方と切れ間なく談笑し続けなければならなかった。喋り続けて口の中が乾き茶が飲みたくなっても、声が()れかけても、とにかく茶会がお開きになるまで王らしく(おう)(よう)に構えつつも大臣夫人たちの噂話に相槌を打ち、親戚たちの仕官の希望を聞き、未婚の令嬢たちの嫁ぎ先を一緒に考えてやるのだ。

 おかげで御婦人方の評判は上々だが、孜門にとっては苦行でしかない。

 毎回、王太后から茶会の開催連絡が届くたび(ゆう)(うつ)な気分になった。

 なにしろ話題が尽きないよう王宮内の面白可笑しい小話を用意し、御婦人方が不快に感じる話にならないよう細心の注意を払って会話の練習をしなければならず、王だからと言って手ぶらで出向けば良いというものでもないのだ。

 しかし今日は違っていた。

 琥珀という連れがいるのだ。

 侍従であれば玻璃殿の門前で追い返されるのが常だが、猫で、しかも(めす)となると玻璃殿の警備兵も「王太后様と王妃に見せたくて連れてきた」と満面の笑みで告げる王に対して為す術がなかった。

「王太后様、王妃、妃たち、皆様方、ごきげんよう」

 すでに席について王を待っていた女性陣に、孜門は(いん)(ぎん)なお辞儀をした。

「ごきげんよう、陛下」

 王太后が挨拶を返すと、王妃たちが口々に「ごきげんよう」と続ける。

 白粉を塗っているのか塗っていないのかわからないくらい肌が白い王太后は、鮮血のような(あか)い口紅で唇を彩っている。目は細く吊り上がっており、美しくはあるが、得体の知れない不気味さも持ち合わせていた。

 王太后は以前からこんな(よう)(ぼう)だっただろうか、と孜門は最近王太后の顔を見る度に考える。

 もっとも、彼女が王妃と呼ばれていた当時、孜門は彼女を遠目でしか見たことがなかった。

 妾妃の中でも一番身分が低かった母は、後宮内で王妃に声を掛けられることはまったくなく、孜門も王子とはいえ、王妃の近くに呼ばれることなど一度もなかった。

 父王の葬儀の際、初めて王太后となった彼女を間近で見たが、涙ひとつ見せず毅然とした態度を崩さない彼女の周囲で妾妃たちが泣き崩れている光景は異様だった。

「陛下、それはなんですか」

 孜門の腕に抱かれた琥珀を見つけた王妃が、あどけない口調で尋ねた。

 まもなく九つになる王妃は、侍女たちが甘やかしているからか、まだまだ幼さが残る。

 周囲から「王妃様」と呼ばれているので自分が王妃であることはわかっているが、呼称が「姫様」から「王妃様」に変わったていどにしか思っていないような素振りだ。

 孜門に関しては夫というよりは兄くらいの認識しかない。

 外廷ではこの王妃が王太后に唆されて女王の座を狙っているという話もあるが、どこまでが真実かは不明だ。

 王妃の実家が、王座を狙っていると考えた方が正しいのかもしれない。

 孜門にとって王妃の周辺の人々も注意しなければならないため、最近は昼間でも後宮を訪ねて妃たちの機嫌を伺うということをしなくなった。

 妃たちとは王太后の茶会で顔を合わせるのみだ。

「琥珀という名の猫だ。美しいだろう?」

 普段は交流がない王妃だが、動物の話題となると話も弾む。

 さっそく琥珀を自慢しようと、孜門が抱えていた琥珀を王妃の前に差し出したときだった。

「ひっ!」

 王太后が喉の奥から悲鳴を上げ、猫の視線から顔を隠すように着物の袖を上げる。

「王太后様、どうなさいましたか」

 王太后が猫を苦手としているという話は聞いたことがなかった。

 以前から後宮では猫を飼う妃もいたはずだ。

「王太后様?」

 王太后の背後に控えていた侍女たちも、怪訝な顔で主の様子を窺う。

「にゃーあ」

 琥珀が間延びした鳴き声を上げた。

 なにやら嫌味っぽい声に聞こえないでもないが、琥珀の視線は王太后にまっすぐに向けられている。

「可愛い! わたくしにもだっこさせてください!」

 この場の空気を読めていない王妃は、ひとり歓声を上げながら椅子から飛び降りた。

「許すぞ」

 孜門も王太后の異変には無視して、王妃に琥珀を差し出した。

「ありがとうございます!」

 孜門のそばまで駆け寄った王妃は、満面の笑みで琥珀に手を伸ばした。

 その時だった。

「くしゅん」

 王妃は大きなくしゃみをした。

「王妃、風邪か?」

 孜門は王妃の体調を心配して尋ねた。

「いいえ。わたくしは元気――くしゅん、くしゅん」

 喋りながら今度はくしゃみを連発した。

「昼間は暖かいとはいえ、夜は冷えることもあるからな」

 くしゃみをし続ける王妃は、なんとかして猫に触ろうとするが、顔は真っ赤になり、くしゃみが止まらなくなった。

「王妃様、それ以上猫に近づいてはなりません」

 王妃の乳母である婦人が、琥珀から王妃を引き剥がした。

「申し訳ありません、陛下。王妃様は猫に近づくとくしゃみが出てしまう体質なのです」

「大丈夫よ! くしゅん」

 なんとかして琥珀に触りたい王妃は乳母の制止を振り切ろうとしたが、乳母は王妃の両腕をしっかりと掴んで離さない。

「ほら、ちっともくしゃみが止まらないではないですか。鼻水も出掛けていますよ。陛下の前でそのようなお振る舞いはよろしくありません」

「でも――」

 王妃は必死で琥珀に近づこうとしたが、乳母は許さなかった。

「そうであったか。それは悪いことをしたな」

 王妃が猫を受け付けない体質だったとは知らなかった。

 これまで誰もそのようなことを言わなかったが、言えばわざわざ王妃に猫を贈る嫌がらせをする者もいないとも限らなかったからだろう。

「いいえ、陛下はなにもお悪くございません」

 乳母は深々と頭を下げたが、目の奥では「さっさとその猫を遠くにやってください」と告げている。

「王太后様も猫は苦手でしたか?」

 まだ袖の隙間から猫を睨んでいる王太后に、孜門は尋ねた。

 よく見ると顔は真っ青で、全身も震えている。

 くしゃみを我慢している様子ではないが、琥珀を睨む目は宿敵を見つけたときのようにかなり険しい。

「え、えぇ、そうですね。苦手ですね」

 王太后は大慌てで頷いた。

「そうでしたか。では、私は琥珀を連れて戻ることにします。皆様方は、ごゆっくりとご歓談を」

「陛下、帰っちゃうのですか?」

 なんとかして猫に触りたい王妃は、残念そうに顔を顰めた。

「王太后様もそなたも猫を苦手とするのであれば、仕方あるまい」

「猫だけ先に帰らせてはどうでしょうか」

 妾妃のひとりが提案する。

「まぁ、それがよろしゅうございますわね」

 他の妾妃や大臣夫人たちも手を叩いて賛同する。

「その猫は侍女に陛下のお部屋まで送らせればよろしゅうございますわ」

「そうですわね」

 どうやら夫人たちの今日の茶会の目的は、噂話ではなく王になんらかの提案をすることらしい。

 また、うちの娘を妾妃として後宮に入れてはどうか、うちの孫ではどうか、という話だろう。

「しかし、琥珀は私にしか懐かないので、侍女たちが手を焼くことになるだろう」

「それは陛下が他の侍従にお任せになったことがないからでしょう。案外、侍女たちの中にはその猫が気に入る者がいるかもしれませんよ。その猫、(おす)ですの?」

「雌だ」

 わざわざ孜門が「琥珀」と紹介したのに、わざと「猫」を連発する大臣夫人の態度が気に入らなかった。

 琥珀はただの猫ではないというのに、琥珀を軽んじるとは。

 あの夫人の娘も孫も姪も絶対に後宮に入れるものか、と孜門は心の中で固く誓った。

「侍従でも手を焼くのだから、侍女ならなおさらだろう」

 できるだけ平静を保って孜門は答えたつもりだったが、言い方が冷たかったようだ。

 大臣夫人の表情がみるみる(ゆが)むのがわかった。

「陛下が猫のために席を外されるなど、なりませぬ」

 まだ動揺しているのか、王太后は声を震わせながら告げた。

「わらわの侍女に陛下のお部屋まで連れて行かせましょう」

 王太后はひとりの侍女を手招きすると、耳元でなにかを囁いた。

 どうやら王の私室まで猫を運べという命令ではなさそうな雰囲気だ。

 この侍女の顔がまた、底意地が悪そうに見える。

「いや、そのようなことは――」

 孜門は繰り返し断ったが、王太后の侍女は素早く琥珀を孜門から奪った。

「ふぎゃー!」

 琥珀は大声を上げて抵抗したが、侍女は琥珀の口をがっちりと手で押さえ込むと、身体も抱え込んで拘束した。

「そのように手荒に扱うな!」

 孜門は抗議したが、侍女は聞く耳を持たなかった。

「猫を連れていかないでー」

 孜門よりも琥珀に興味がある王妃は侍女を追い掛けようとしたが、すぐさま乳母に取り押さえられた。

 侍女は王の宮殿へと続く小径を足早に歩いて行く。

 すこし歩くと柳の木の後ろに姿が消え、そのまま見えなくなってしまった。

(丹陽に迎えに来させた方が良かっただろうか)

 胸に浮かんだ不安で、孜門の顔が曇った。

 どうせ「宰相の使い方が間違っています」と王太后に叱責されて終わっただけだろうが、言ってみれば良かったと後悔した。

 王太后は丹陽を仇敵のように嫌っている。

 孜門が自分で選んだ宰相だから、ということではないようだ。

 丹陽に尋ねても「嫌われる理由はわからない」としらばっくれていたが、なにかふたりの間であったような雰囲気ではある。

 いまではすっかり好々爺にしか見えない丹陽だが、かつて仙人だった頃は色々とあったらしい。話は聞かせてもらっていないので想像するだけだが、仙籍を剥奪されるに至っただけのことは過去に幾度もあったのだろう。

(さて、どうしたものか)

 琥珀がいなくなると、王太后の顔色は元に戻り、王妃のくしゃみも少しずつ治まってきた。

(大臣夫人たちの妃を入れろという話は適当にかわせるから良いが、琥珀に毒見をしてもらおうと思っていたあてが外れてしまったな)

 こうなると、また大臣夫人たちの話を熱心に聞いてやらなければならない。

 断っても断っても夫人たちはなんとかして自分の身内を後宮に入れようとする。

 王妃にも新しい友人ができて楽しいだろう、と彼女たちは口を揃えて言うが、乳母は毎回渋い顔をしている。乳母にすれば、自分が大切に育てた姫が王妃としての本来の役目を果たす前に、他の妃が王子を産むことがないよう(けん)(せい)したいのだ。

 あの乳母のことだ。王が後宮に他の妃を入れるくらいなら、猫を溺愛していても目は瞑るだろう。

(今日はまずは、琥珀自慢からすることにしようか)

 猫の話であれば、王妃は喜んで聞くだろう。

 妾妃と大臣夫人たちは呆れるかもしれないが、彼女たちは王の御機嫌取りで琥珀にお世辞を言うくらいにはなるかもしれない。反対に、猫から興味をそらそうと、自分たちの身内の娘の自慢話をし始めないとも限らないが。

(王太后の茶会は毎回朝儀よりも難題だな)

 孜門は心の中で、小さく溜め息をついた。

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