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 どうせ獣の姿になるのなら、(しっ)(こく)に短毛の美しい猫になりたかった。もしくは艶のある羽根が美しい(からす)

 天女の中でも特に美しい黒髪を持つ者として皆から羨ましがられた珠璃は、せめて自慢の黒髪だけは残して欲しいと心の中で願っていた。

 ところがそんなおごりを天帝に見透かされていたのか、気付けば赤茶色の毛並みの猫になっていた。

 しかも癖のある長毛だ。

 雑草が生い茂る(けもの)(みち)を歩けば種子やら花粉が毛にくっつき、毎日手入れをしてもすぐに毛は()ねてしまう。

 陽の光をあびてきらきらと輝く毛は目立ち、やたら鷹や(からす)に絡まれた。

(まったく、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか)

 空腹で気が短くなっているせいもあり、珠璃は()(つゆ)をしのぐために入り込んだかつて仙人の(いおり)だったという空き家の柱で爪を()ぎながら考えた。

(すべては、あの丹陽様のせいだ)

 真夜中だというのに梁の上を勢いよく走り回る鼠の親子を()(かく)しながら、珠璃はふつふつと沸き上がる怒りに毛を逆立てた。

 獅崙山の仙域で暮らしていた丹陽が、仙籍を失い山を下りたことは山の主から聞いていた。

 百年の精進潔斎の間は獅崙山で過ごせば良い、と山の主から進められたものの、珠璃は到底墨絵のような(いん)(うつ)な山の中で百年も暮らす気にはなれなかった。

 山の仙人や精霊たちは、珠璃が天界から堕とされた天女であることを知っている。

 皆、口には出さないが、丹陽に振られたことの(てん)(まつ)も詳細に知っているようだ。

 まるで()(もの)に触るように珠璃を(なぐさ)めてくれたが、それがまた天女としての珠璃の誇りを傷つけた。

 聞けば丹陽は元・仙人という肩書きで都に仕官しに行ったという。

 すでに仙人であった頃の若々しい姿は失い、長寿もなくしたということだが、それでも人として新たな栄華を手に入れようとしているという話だ。

(あの顔に爪を立ててひっかくくらいのことはしてやらねば、わたしの気が済まない!)

 百年の精進潔斎を命じられたということは、精進潔斎を続けていれば百年は猫としての寿命も約束されたようなものだ。猫として不老不死で過ごせるのかどうかはわからないが、日々(えさ)を探す苦労はせずとも命は繋げるらしい。

 腹は減るし喉は渇くが、飢えは我慢できないものではない。

 しかし、することがなくては退屈で百年も地界で生きていけそうにない。

 鼠を捕るのも魚を捕るのも天帝より命じられた精進潔斎に背くことになる。

 最初の頃こそ、周囲の鼠臭さや猪や狸の獣臭さは、天界で(かぐわ)しい薫りに包まれて過ごしてきた珠璃には耐えがたいものだったが、近頃では鼻がひん曲がるていどになった。とはいえ、空き家の中で暇潰しに鼠を追い回していては精進潔斎にはならない。

(しかし、丹陽様の顔をひっかくことは精進潔斎とは別だ。殺すわけではないのだし、ほんのすこし傷つけるくらいのことはしても、天帝も見逃してくださるに違いない)

 決意を固めて獅崙山を出た珠璃は、猫の身で王都・(けい)(せい)を目指した。

 といっても、人の世は右も左もわからない。

 人に道を尋ねても言葉は通じず、雀に声を掛ければ逃げられる。蛇に出会えば即座に(にら)()いとなり、猫拳の連打を繰り出しているうちに逃げられていたこともある。(からす)は珠璃の金色の毛を狙ってくるので、要注意だ。

 また、夜陰でも光る琥珀色の瞳は不気味なのか、人間たちは猫となった珠璃を目にすると薄気味悪そうに目を逸らす。

 それだけならまだしも、人間の中には猫を見るだけで石を投げてくる者もいる。

 市場の中を歩いていると、売り物の魚や肉を盗りにきたのかと()(とう)されたり棒で叩かれそうになることもあった。

 こちらは精進潔斎の身でなにも食べることはできないのだから、そんなつもりは毛頭ないと叫んでも人間に伝わるわけもなく、這這(ほうほう)(てい)で逃げるしかない。

 それでも荷馬車にこっそり忍び込んだり、爪が磨り減るまで歩いたり、肉球が痛くて歩けなくなるまで歩き、半年かけて珠璃はなんとか桂成に辿り着いた。

 桂成で丹陽の居場所を探してさまよった珠璃は、貴族の屋敷が建ち並ぶ区域をあちらこちら歩いたが、なかなか目当ての屋敷を見つけ出すことができなかった。

 大きな屋敷では衛兵がいたり、大きな犬が飼われていたりして、なかなか猫が近づけない場所もあった。

 このままうろついていても(らち)が明かない、と思いだした頃、珠璃は王城に迷い込んだ。

 王城は国王が政務を執る外廷と、その家族が暮らす内廷(ないてい)とがある。

 珠璃が偶然にも入り込んだのは内廷だったが、どうやらこの王城の外廷に丹陽という名の宰相が出入りしているらしいという話を聞かせてくれたのは、珠璃を拾い上げた男だった。

 男は珠璃に『琥珀』という名を付けた。

 二十代半ばの精悍な男で、容姿も整っているかなり珠璃好みの青年だった。

 『孜門』と名乗った男は、汚れきった珠璃を自分の部屋へ連れて行き、風呂に入れて埃と塵にまみれた毛を洗ってくれた。その後、水や食べ物を与えようとしたが、それらは丁重に断った。

 この『孜門』が臻国の王であると知ったのは翌日のことだ。

 孜門は『琥珀』がただの猫だと思っている。

 王という立場上、誰にも話せない()()を延々と『琥珀』に喋ることがある。

 ただただ『琥珀』を抱きしめて、黙り込んでいることもある。

 嬉しいことがあると『琥珀』を抱いて鼻歌を唄うこともある。それがまた下手くそなのだが、珠璃は尻尾を振りながら黙って聞いてやるようにしていた。

 孜門の相手をしているうちに、丹陽の顔をひっかくという桂成にやってきた目的は半ば忘れかけていた。

 なのに――今日になって丹陽に出会ってしまった。

 予想以上に皺だらけの顔や手は、かつての仙人時代の面影がほとんどない。白い髭や眉はまさしく仙人といった風貌で、全身から枯れた雰囲気が漂っていた。目の下にはくっきりと(くま)が浮かび、宰相職が激務であることを物語っている。

(別に、いますぐひっかかずとも良いか)

 まがりなりにも一国の宰相をひっかいた猫となると、いくら国王が溺愛しているとはいえ、王宮から放り出されないとも限らない。

 また、丹陽は背筋を伸ばしてまだまだ現役だと主張しているが、身体がすっかり老いてしまっていることは珠璃の目にもはっきりと伝わった。

 丹陽は人としての年月を着実に積み重ねて年老いたのではない。仙籍を(はく)(だつ)され、急激に老いたのだ。そのため、身体は高齢でも気持ちが追い付いていない部分がある。

(人として十年やそこらで生を終えるのと、猫として百年生きるのとでは、どちらが幸せなのだろうか)

 そんなことを考えながら珠璃が丹陽を見つめていると、孜門は愛猫の視線が他の男に向いていることが気になったらしい。

「どうした、琥珀。丹陽が気に入らぬのか? あいつがいつも話している口うるさい宰相だ」

 にゃあ、と珠璃が声を上げると、孜門は目を細めた。

「陛下。まさか猫に政の話をしていらっしゃるのですか」

「琥珀は私の話を親身になって聞いてくれるのだ」

「猫は良案をもたらしてはくれませぬぞ」

「別に私は意見が欲しくて琥珀に話しているわけではない。ただ聞いて欲しいだけなのだ。琥珀ほど聞き上手な者はこの王城にはおらぬぞ」

 孜門は誇らしげに愛猫を褒め称える。

 そんな主を見つめる宰相の目は胡乱げだ。

 丹陽は孜門が王座に就いた経緯を知らないのだろうか。宰相だからそのようなことはないだろう。

 前王の死後、王太后が孜門に王位を継がせたのは、他に適当な王子がいなかったからだ。王太后には自分で腹を痛めて産んだ王子が一人だけいたが、その王子が王になることはなかった。前王が亡くなる直前に不慮の事故で死亡したという話だ。

 一番地位の低い妾妃を母に持つ孜門が王になれたのは、妾妃腹の王子たちの中で一番王太后に従順だったからと言われている。王太后が選んだ王族の姫を妃に(めと)り、大臣たちの娘の中から妾妃を迎え、王太后の傀儡として玉座に腰を下ろしている。

 そんな彼が自分の主張を通したのは、仙人崩れの丹陽を宰相として登用したことと、猫の琥珀を拾ったことだけだ。

 王太后がどのような人物か、珠璃はまだ会っていないので知らない。

 ただ、常に孜門の命を狙っているという噂があり、丹陽や侍従たちは警戒している。

 孜門の代わりに傀儡の王になる王子を見つけたのか、自らが女王として王位を奪うつもりなのかは不明だ。

 臻国では女王が王位に就いた例はないが、法律で禁じているわけではない。

 しかし、甯王家の直系ではない王太后が女王になろうとすれば、朝廷ではかなりの混乱が生じるはずだ。

 もしくは、孜門の妃を女王にするつもりなのかもしれない。

 もっともこれは憶測の域を出ないし、孜門が酒を飲みながら愚痴混じりにこぼした話なので、どのていど現実味がある話なのかは珠璃もよくわからない。

 孜門の妻である王妃は、前王の弟の娘なのだという。

 王族の姫として幼い頃から教育を受けて育った王妃は、いくら王妃になれるとはいえ妾腹の王に嫁ぐことをあまり喜ばなかったという話だ。

 王太后に(そそのか)され、女王になることを本気で考えているという噂もあるらしい。

「私も琥珀と同じく猫になる方法はないものか。丹陽、人が猫に化けられる仙丹などはないものか?」

「そのようなもの、見たことも聞いたこともありませぬ」

 きっぱりとした口調で丹陽は撥ね付けた。

「私も猫になりたいものだ。晴れた日は窓辺に座って微睡み、雨の日は部屋の奥の柱で爪を研ぎ、月夜の晩には屋根の上で月見と洒落込みたいものだ」

「猫の暮らしがそのように優雅なものかどうかは存じませんが、陛下がその猫の生活に憧れていることだけはわかりました。つまり陛下は、ご自身が猫になったときにしてみたい生活をその猫にさせてやることで気を紛らわせていらっしゃるということですな」

 ぐっと言葉を詰まらせた孜門は、憮然とした表情で丹陽を恨めしげに見つめた。

 どうやら図星だったらしい。

「まぁ、王宮内であれば陛下が猫を抱いて政務に励んでいるからといって、威厳が損なわれるわけではないですから良いですが、猫の姿が見えないからといって王宮内をうろつくのはやめてください。猫探しは侍従たちにさせてください」

「琥珀は私の呼び掛けにしか応じないのだ!」

「では、猫の首に鈴でも付けておきましょう」

「そんなに琥珀を束縛して嫌われたらどうしてくれるんだ!」

 王と宰相のくだらない会話に飽きた珠璃は、大きな欠伸をした。

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