第96回 世界平和と熱烈な愛の告白
短絡的ということばがある。
それはたぶんぼくのためにあることばなんだろう。対策本部は隔離施設とはいえ、抜けだすのはかんたんだった。ぼくは対策本部のうら、備蓄倉庫の屋上の電気施設のかげに身をかくした。
ここで改めて考える。
抜け出していいものか、どうか。ほんとうなら抜け出すなんてナンセンスだ。もどって対策本部のなかでやきもきしているのがただしい。
でも、無理。このままだとたくさんの命が失われる。
警報がなりひびいて、対策本部内は騒然とした。隔離されているとはいえ、モンスター討伐のかなめだ。あらゆる情報がとびこみ、前田本部長はその対応におわれていた。といってもさすがナナミさんの上司だ。差配はかんぺき……いまできることとしては。
対策「本部」だから、もちろん支部もある。だけど、支部も北海道、東北、関西、九州の4つをかぞえるだけ。関西はそこそこおおきいけど、それ以外の支部の武力には限界がある。
現場にいちばんちかいのは東北支部だ。前田本部長は東北支部の部隊を召集した。
でも、相手は巨竜型だ。
指令をうけた東北支部長は顔色をかえた。
「巨竜型20体を……われわれで?」
「自衛隊も援護する。関西支部からの支援も要請済みだ」
東北支部長はりっぱな眉毛をみけんによせ、鎮痛なおももちでうなりをあげた。
東北支部から現場まで、急軍行で半日あればまにあう。だけど、関西からの本隊支援は陸路が必須で1日以上が必要だ。交通機関はまだ完全には回復していないんだ。
「わかりました、至急、隊をむかわせます」
「たのむ」
ぼくはそのやりとりを間近でみていた。
飛翔・人型もややこしいモンスターだ。でも竜型、ましてや巨竜型となると、一筋縄じゃない。通常の攻撃手段がつうじない。飛翔・人型は警官の銃でもダメージをあたえることができる。すばしっこいからあたらないだけ。
だけど竜型はあついウロコのせいで銃も剣でもきずつけることができない。対戦車型ミサイルでもダメージがほとんどない。いたがりはするけれど、おこらせるのが関の山だ。
そんなやつとどうやってたたかうのか。
必死にたたかうだけ。
ちいさなダメージを繰りかえしくりかえしあたえ、ウロコの装甲をやぶり、急所をつらぬく。そのためには相当の武力、相当の部隊がいる。東北支部の部隊でどこまで応戦できるかなんて、前田本部長も東北支部長もわかっているんだ。
このままだと、東北支部も、自衛隊も、まちのひとも、いっぱい犠牲がでる。
そうして、ぼくは抜け出すことをきめた。
電気施設からは、動力音のほかに、対策本部を取り囲んでいるマスコミのざわざわとした声も聞こえる。バレないようにぬけだすのはむずかしい……そう考えているときだった。裏手から聞き覚えのある声が聞こえた。
電気施設から飛び降りると、その声の近くまで歩み寄る。
対策本部をぐるりと囲うかべのそとだ。かべにぴたりとからだを寄せると、
「あけみさん」
と声をかけた。「あけみさん、ぼくです」
「……ユウタか?」
あけみさんの声がかすかにきこえる。ふだんの声高とはちがう、あたりをうかがうような声だ。「あんた、無事だったんか? マオウ熱は?」
「まだわかりません。検査中です」
「そんなばかな。検査には長くても2日。対策本部、ましてや佐倉ユウタの感染確認は最優先やろ。なんでそんなにかかっているんや」
「わかりません」
「感染確認ができてへんのに……あんた、抜け出してきたな」
「巨竜型があらわれたと聞きました、どんな状況ですか?」
「パニックや。巨竜型もそやけど、退避のさなかに2人死んだ、事故や。怪我人の数はとんでもない」
くそっ。ぼくはこっそり舌打ちした。
「あけみさん、ここからぬけだしたい。周りにだれもいなければ、かべを超えてでていきます。そこにはひとはいますか?」
「ここはあかん。裏手やけど、人の目につく。かべにむかってひだりに。つぎの角のあたりだと人目はつかん」
「そっちのほうは対策本部からまる見えで、移動できません」
「わかった。ちょっと待って」
あけみさんはそういうと、誰かと話しをはじめた。たぶん、電話だろう。しばらくすると向かってくるまの走行音が聞こえ、ぴたりと止まった。
「くるまをかげにした。あたしの声がするあたりなら、見えん」
備蓄倉庫にのぼり、壁をいっきにとびこえる。
きゃっ、とおもわずだろう可愛らしい悲鳴をあげたあけみさんがつっけんどうにくるまを指さす。「乗れ!」
急かされて後部座席に駆け込む。あけみさんも助手席に座ると、あきれたようにつぶやいた。
「あいかわらず、むちゃくちゃやな。とびこえられるんか、このかべを。6メートルはあるんちゃうか?」
「倉庫のうえからです、そこまでじゃないです」
「十分、むちゃくちゃや」
あけみさんは笑っていうと、運転手のひとに出してと告げた。くるまはそろりと通りへ出ると、そのあとはぐんぐんと速度をあげ、対策本部からはなれていった。
「いいんですか? ぼくはまだマオウ熱の検査が完了していません」
マオウ熱ということばに、運転手さんが「えっ!」と声をあげたけど、あけみさんがそれを吹き飛ばすようにだいじょうぶ、といった。
「たぶんやけど、あんたはマオウ熱じゃない。検査に時間がかかっているのも気になる。もしかしたら陰性だったんじゃないか? 陽性ならすでに発病していておかしくない」
「でも、いったいなぜ?」
「わからん。せやけど、今回の対策本部のうごきは妙や。いつもとちがう……ちぐはぐな感じがする。なかはどんな感じや?」
「前田さんが陣頭指揮をとって本部内を統括しています……ぜんいん、個別の部屋に入って、検査をまっている状況です。外にでるのに防護服をきていれば、ある程度はうごけます」
防護服? とあけみさんは首をかしげる。宇宙服のようなやつです、というとあけみさんは、ああとうなずいた。
「対策本部はどんな妙な動きをしているんですか?」
「連携をしている軍隊が、だれかをさがしまわっておるわ、えらい剣幕で。なかには武装してるヤツもおんねん。捜索っつーか、戦闘態勢や」
エリカ捜索部隊だ。本部は軍隊に捜索を依頼したんだ。しかも、武装しているって。
モンスターは優先すべきだ。だけど、どうしてもエリカのことが気になる。理由はどうあれ、このままではエリカと軍隊の衝突はさけられない。
あけみさんはくるりとぼくのほうへ顔を向けた。
「このまま現場に向かうか? おおすじの場所の検討はついとる」
ぼくは考えた。
「いちど、ぼくのマンションへ寄ってください」
「うちはかまへん、あんたがいうなら、重要なことなんやろ?」
「はい」
「大至急や、飛ばせ」
運転手さんが任せろ、と快活に請け負ってくれた。住所を伝える。手ばやく案内システムに入力し、くるまはぐるりとひだりにおれた。
関南までのみちは比較的整備がされている。それは関西方面へむけてのおおきな道路の途中に位置しているからだ。ぼくが関南に住んでいるってこともちょっとは理由になっているらしいけれど、わずかにはずれた関北ではまだ道の補整ができていないことをみても、めぐまれている。
くるまの速度はぐんぐんとのびる。法定速度をかんぜんにオーバーしているような気がするけれど、いちだいじだ、仕方ない。それでも、道にはほとんどくるまが見当たらなかった。
マンションにつくと、ぼくはふたりに待っていてもらうようたのんだ。
階段をかけあがる。
その途中で、へんてこな違和感をおぼえた。
空間がゆがんだような、そんな感じ。
7階まで来ると、もう1階うえの「8階」にあがった。すると、目の前にはあるはずのない9階への階段が伸びていた。
マンション全体に魔法がかかっている。エリカの幻覚魔法だ。捜索部隊をこれでやり過ごしていたんだろう。この8階が本来の7階、ぼくらの部屋のあるフロアなんだ。
ぼくは7階のエリカの部屋に位置する8階の扉の前にたった。チャイムを鳴らす。けれどもチャイムはならない。
「エリカ! いないのか?」
でも、応答はない。エリカ! とふたたび声をかけてドアをたたくと、とたん拳に鋭いいたみがはしった。腕をひっこめててのひらをさする。冷たい。とんでもなく、冷たかった。ぼくはおそるおそるドアノブを掴む。しゅうううううっまるでドライアイスを掴んだような痛みのある冷たさがてのひらを突き刺した、……氷結の魔法を使ったように。
エリカは、なかにいる!
ぼくはもういちどドアをたたく。
「エリカ、いるのはわかっているんだ! ここをあけろ、エリカ! ぼくだ、ユウタだ!」
「わかっているさ、ユウタ。来ないことをオススメするよ」
ドアのむこう、すぐそばからエリカの声がきこえる。やっぱり、エリカは部屋にいた。だが、その声は弱々しかった。
「よかった、いたんだ。心配したんだぞ」
「あたしもユウタのことを心配していたさ。外に出られたってことは、マオウ熱ではなかったんだね」
「いや、検査待ちだ。でも、あけみさんから、検査に時間がかかるのはおかしいっていわれた。きっと陰性で、なにかの理由で、そのお……」
「結果が隠されていた?」
ぼくは肯定することをためらったけれど、うん、と答えた。
そう、とエリカは答えると、くすくすと笑う声がつづいた。「そうか、やっぱりね。そうくるか」
「そんなことより、どうしてすがたをけしたんだ。対策本部には、きみが魔法を使えることは知られている。監視される対象なんだよ。すがたをくらませたら探されるのは当然だ。ここを開けて。直接話をしたい。誤解をとかないとじょうだんじゃすまなくなる」
「話ならドア越しでもできるよ。それにいったよね、入るのはオススメしない」
「なんでだよ?」
「あたしがマオウ熱の罹患者だからさ」
一瞬、あたまが追いつかなかった。マオウ熱の罹患者だ。そのことばで、凍結したドアノブのように、あたりの時間が凍ってかたまってしまったようだった。
「す、すぐに病院へいかなくちゃ!」
「いいや、あたしはここにいるよ」
「なにいってんだ、治療しなくちゃ、きみも死んでしまうんだぞ!」
「おちついて、ユウタ。意味もなく病院にいかないんじゃない。たぶん、この病はあたしの世界でもあったものだよ。昨日今日、この病と向き合ったひとたちよりは対処のしようはある」
「エリカの世界にも、マオウ熱が?」
「この症状だと、うん。いわなかった? あたしは医学を学んでいたんだよ、それなりに対応できる。部屋を南極と同じぐらいに冷やしているのは、寒さでウイルスを駆除するため。あたしの部屋の上下にはだれもいないしね。ただ、きみの部屋の電子機器はこわれちゃったかも。まあ、いいよね? どうせ、えっちなサイトを見るぐらいだもん」
うふふー、とちゃかすようにわらった。でも、ざんねん、ぜんぜんわらえなかった。いや、えっちなサイトがみれないことを深刻にかんがえているんじゃない。こういうときの魔王エリカ様はただの強がりで、そして、状況がよろしくないことを意味しているからだ。
「部屋を寒くすれば、病原菌は死滅するのか?」
「大気中のウイルスはね。でも、体内のウイルスは違う。あたしの体のなかはいつもぽかぽか。ウイルスたちにとってはパラダイスだよ。お礼にあたしをパラダイスにつれていってくれるらしい……いや、地獄かな、あたしの場合」
「いますぐここを開けろ、エリカ」
「世界最強でも、この部屋を開けることはできないよ。あたしの傑作魔法、永久凍土につつまれているんだ。核兵器でも持ってこないかぎり、無理ゲー」
「じょうだんやっている場合じゃない。マオウ熱にくわえて、きみがきて対策本部は上を下への大さわぎだ。おまけにモンスターの襲撃。エリカ、きみがでてくれば問題はひとつ解決するんだ」
「そう、あたしが出て行って、銃先を向けられれば、ね」
「エリカ」
「幻覚魔法でかれらは空っぽの階下の部屋に押しいっていったよ。銃をかまえて、刃物をもって、爆弾も。まさに決死で、あたしを殺そうとしていた。ユウタ、あたしは殺される。姿をくらませなくても、マオウ熱の罹患という理由で、感染を未然に防ぐ目的で。死ぬのはいやさ。あたしはまだ、ユウタといたい」
ことばをうしなっていた。
ぼくがエリカを監視をする取り決めをナナミさんとしていた。
だけどぼくというエリカを止められる数少ない人間がいなくなれば? 長期のモンスター討伐もあれば、病気だってある。ましてやぼくが死んだら? 政府だって脅威を防ぐための手段を講じる。国民を守るために……世界をまもるために。
ただ、その速度があまりに早くて、ただただ、ことばをうしなっていた。
感染確認が遅くなっている。
それは口実つくりなのかもしれない。
政府は佐倉ユウタが病気という理由でエリカ捜索部隊をつくり、なにかしらの理由でこの脅威を排除した……そういう名目が欲しかったのかもしれない。
いつ爆発してもおかしくない核兵器なんて、さっさと処分したい。そりゃそうだよね。もし善良な国民の生活のとなりに、そんなものがおいてあったことを知ったら、パニックどころではすまない。アイノースの事件は過去の出来事だ。でも、これはいまそこにある危機なんだ。
対策本部のあれは、ぼくをだますための壮大なお芝居?
前田本部長はそこまで考えていたの?
ぼくのあたまのなかをいろいろなものがぐちゃぐちゃぐるぐるーと駆けめぐり、ヒートアップをつづける。
「マオウ熱には、勝てるの?」
「確率は半々。これでも高いほうじゃないかい? マオウ熱は発症から1週を過ぎるとウイルスが死にはじめる。あたしは1週間、生きのこるための処置ぐらいはできる。魔王の魔力をなめるなよ? ま、それが成功するかは、神さましだいだね」
エリカの声は弱々しかったけど、そのことばにぼくは安心した。
神さま次第。
転生をつかさどる女神さまにあっても、あれはシステムだとトコトン神さまを否定するエリカがその名前を出すときは、揶揄しているだけ。そんなものに頼らなくても、あたしはだいじょうぶ。エリカは言下にそういっていた。
だから、エリカがつづけた次のことばに、ぼくは戸惑った。
「ごめん、ユウタ」
あんまりとつぜんすぎてぼくはマヌケなこえをあげた。「へ? な、なにが?」
「ほんとうはすぐにでもユウタのところに行きたかった。あのあと何度も電話したんだ。でも、きみはでなかった。きっと端末を取り上げられたんだとおもった。いろんな連絡手段を試したけれど、だめだった」
彼女の魔法・永久凍土がどれほどの威力か、いちど見たことがある。魔王の巨大な空中軍艦を分厚い氷で一瞬で凍らせ、ロシアの北、ラプテフ海にしずめた。
そんな魔法で閉ざされたこの鉄のとびらの向こうからでも、エリカのほそい、物憂げで、かなしいため息を、ぼくは聞き逃さなかった。
「ぜんぶ放り出して、きみのところへ行きたかったんだ。そのためなら、なにしてもいいってそう思った。この部屋から出ようとしたよ。でもそのときさ、窓の外から聞こえたんだ。お母さんを呼ぶ女の子の声がさ」
エリカの、半径200メートルの世界の、あの親子だ。
「楽しそうに笑っていた。こわいものがいなくなって、これからしあわせにくらして、おとなになれる、あの子の声がさ。もし、感染したままあたしが外に出て、誰かにすれ違って、感染させたら? そのひとだけじゃない、そのまわりのひとも巻き込む。ねえ、ユウタ、あたしは自分勝手な魔王さまのままでいるには、あんまりにこの世界のひとたちを好きになり過ぎたんだね」
ぼくは彼女の名前を呼ぼうとした。どっちの名前を? 鈴本エリカというこの世界の名前なのか、それともただひたすらうんざりするぐらいの本当の名前? でも、それをさえぎるように、彼女はつづけた。
「だから、あたしはここにいる。そして、ユウタはモンスターをやっつけて。あたしが好きになったこの世界のひとたちを守って」
そんな熱烈な告白を送られて、だれがノーなんていえる? 伝説の樹の下じゃなくても、エリカとこの世界のひとたちが永遠にしあわせになれることを望んだっていいじゃないか。
でもまたこうして、この世界のひとたちは彼女に武器を向ける……向けてしまったんだ。
「ねえ、ユータ」
「うん」
「モンスター退治が終わったら、またここにきて。また声を聞かせて」
「うん」
「それと」
エリカは少し間をあけた。「あたしの部屋の侵入者を探して」
……侵入者? ぼくは困惑した。そして思い出した。前にエリカの部屋に何者かが侵入した。盗まれたものもない、盗撮カメラも盗聴器もない、不可解な侵入者の事件だ。
エリカはつづけた、
「そいつがマオウ熱の感染源となるなにかをこの部屋に仕込んでいた。さがして。そいつがきっとこの事件の裏側を結びつける」




