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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第94回 仮想捜査ノート:交渉

 マオウ熱のワクチンの価値の大きさは十分認識している。世界中が渇望するシロモノだ。手に入れれば、巨額の富を得られる。


 しかし、それをこのCJと名乗る男が口にできるのだろうか?


「世界各国がやっきになって開発しているマオウ熱のワクチンを作ったって? 証拠でもあるっていうの?」


「左腕」


「え?」


「左腕を見ろ」


 視線を左腕に向ける。関節の近くに、ちいさな赤い円形の腫れが浮いていた。右の人差し指でその表層を撫でると、小さなしこりのような感触があった。その円形の中心には、ぽつんと赤い点があった……注射の痕だ。


「お前はここに来る前にマオウ熱にかかっていた。ひどい眠気に襲われていなかったか?」


 同意を求めるように、CJはわたしを見る。耐え難いまでの眠気がたしかにあった。カフェインで辛うじて意識を覚醒させていた。わたしがうなづくとCJは得意そうに口端を釣り上げた。


「マオウ熱の特徴だ、感染力を高める前、急激な眠気に襲われる」


 そういって自分の腕をめくる。遠目にも左腕に赤い腫れが確認できた。顔順も同様だった。


「接種後、2週間こんな腫れが続く。その期間は感染もしない。おまえは死ぬ予定だったんだ、真木村対策官。俺たちが助けなければ。これでも疑うなら、おれたちに提供できるものはない」


 CJの顔には何の感情も浮かんでいない。顔順もCJの斜めに座り、せせら笑うようにこちらへ視線を投げている。ふたりの余裕からは話を続ける価値を見出さざるを得なかった。


「いいわ。でもわたしを助ける意味はなに?」


「取引だ。ワクチンを提供してもいい。だが条件がある。提供の代わりに日本の大手製薬会社に口聞きをして生産ラインをつくれ。先駆けた垂涎のネタだ、悪い話じゃない。利益の9割は我々の利益だ」


「公務員にそんな権限があるとおもう?」


「あるさ。ある。日本の製薬会社は対策本部の許可を得て、研究用のモンスターをおろしてもらっている。戦いの先陣をきる真木村対策官の声なら連中も聞くし、信頼もする」


 モンスター研究のためには検体が必要だ。


 しかし、検体の提供は国際的なルールが定まっている。日本では政府、そして委任機関の復興対策本部がルールに則って管理していた。英雄教の古川正一、今井照政がおこした密売は抜け道を使ってなお、モンスターを手に入れたいという人間がいることの証左だ。研究所、企業にとって、対策本部の対策官の顔色は常に伺い、機嫌を取るに越したことのない存在である。


 CJ、そして顔順の組織はいったい何だ? 少なくとも、モンスターの検体の扱いについての概況は把握している。名前、顔、言語……総じてみれば中華圏の人間であると想定できる。だが、中国政府の人間ではないだろう。終末戦争後も一党体制が続き、モンスターの管理は徹底している。まして、マオウ熱のワクチンなど機密にちかい情報をやすやすと口にするわけもない。


 それにワクチンの開発データの提供と生産協力ならば、正規のルートでも引く手数多だ。わたしの拉致監禁のリスクを取る必要もない。


 しかし、いま取れる選択肢はない。わたしはうなづいた。


「最善の努力はする、だから……」


「ワクチンの提供は確証を持って、だ。悪い話じゃない。日本は大きなメリットを受け取れる」


「待って。あんたの話が本当なら、対策本部にパンデミックが起きて数日が経っている。対策はすぐに行わないと。わたしを釈放して。関係各所に交渉する」


「何いっているんだ、勘違いしてもらっちゃ困る。俺たちは対策本部を助けることが重要なんじゃない。わかるだろう?」


 CJはそう言って尻ポケットに入れていた紙タバコを引き出し、紫煙を上げた。


 カッと頭に血が巡る感触がわたしをおそうーー落ち着け、冷静になれ。顔に、表情に出してはいけない。ましてや行動などは持っての他だ。交渉において人間関係を軸にする手段は強い。金、食事、体。人間の欲求には際限がない。だが、大事な人のいのちに関わる場合、その材料は最大で、また裏切るリスクも少ない。わかっているはずだ、真木村ナナミ、落ち着け、落ち着けーー。


「話をつづけて」


「オーケー。良いビジネスパートナーになろう、真木村対策官。我々の条件はもうひとつ……」


 CJは続けた。「佐倉ユウタ、かえでとの会談をセットしろ」


 はじめて声色に緊張があった。


ーーこれが狙いか。


 だが、勘付いたように見えてはいけない。やや思案にふけるふりをして、これもわかった、とうなづいた。


「だけど、結論は彼らふたり次第よ」


「まだ分かっていないようだな。それともおれの日本語が間違っているか? おれはセットしろと言ったんだ。あんたなら、それができる。違うか?」


 佐倉ユウタ、かえでへの各国からのアプローチは時かたちを変え、多い。その一方で、彼と政府の橋渡し役であるわたしにも、様々な働きかけがある。国家公務員としての役割で彼との窓口を担っているわけではない。そのつながりこそが、日本がわたしを介して、佐倉ユウタをつなぎとめておくことができる理由だからだ。


「真木村対策官、おれたちは忙しい。あんたがここで中途半端な回答をすれば、もういちどもどってもらうことになる、あの真っ暗な部屋に。次にここに出てくるころには対策本部は壊滅している」


「選択の余地はないと思うけどな」


 あけっぴろげに、顔順は笑った。その笑い声が、部屋のなかを下品に響き渡る。


 だが、一方のCJの表情は変わらない。うがつようにわたしの目を覗き込み、かすかでもその動きを読み取ろうとしている。交渉はすべて彼らに優位だ。それなのに何をそこまで不安がる?


 わたしは、わかった、と答えた。その途端、CJの口から紫煙がゆらりと天井へ上がった。「忘れるな、その答えを」


「ええ」


「誰に言われても言えるか、イエスと?」


「それ以外の選択肢を提示された覚えがないわ」


 可愛げのねえ、減らず口を、と顔順が中国語で吐き捨てる。CJがじろりと視線を差し込むと、ふたたび視線を窓へと向けた。


「会ってもらおう、真木村対策官、われわれの代表・金浩宇に」


「金浩宇……将軍?」


「そうだ」


「J国」


「そうだ」


 あの手紙の内容と合致した。

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