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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第91回 仮想捜査ノート:顔順とCJ

 その時は突然だった。ふたつの足音が響いてくると、扉が錆びついた鉄の擦れる音を立てて開かれる。四角く切り取られたひかりが放射線状に部屋の中を照らす。


「出ろ、真木村ナナミ対策官」


 初めて聞く声だった。


 わたしは久しい圧倒的な光量に目を細めながら、その声の主の顔を見定めようとした。グズグズするな、そう言いかけた男は鼻を鋭く鳴らすと、もう1人に向かって言った。「何だこの匂いは」


「仕方ねえだろ」


 こっちの声は聞き覚えがある。「お前がさっぱり戻って来ねえんだ、この部屋に監禁するしかないし、出すこともできねえ」


 汚臭のことを言っているのだろう。私がこの部屋に閉じ込められて、扉が開いたことはこれがはじめてだ。トイレも風呂も完備されているような上等なホテルの一室ではなかったのだ。


「真木村対策官、お前にはまずシャワーを浴びてもらう。CJ、お前の服をこいつに貸してやれ」


「合わねえよ、こんな華奢な女の体にゃ。顔順、お前の方ががたいは似ているぜ」


「つべこべ言うな! 時間がないんだ。あの方に面通しするのに、こんな姿でできるわけないだろう!」


 CJと呼ばれた男は舌打ちをした。


「あんた、立てるか」


「……立てるわ、そこをどいて。こっち見ないで、シャワーへ案内なさい」


 わかった、と顔順と呼ばれた男は明後日の方向に顔を向けた。だが、決して油断はしていない。わずかでもおかしな行動をすれば、組み伏せられるだろう。


 シャワーは簡易的なものだった。


 3メートルほどの高さに窓ガラスが貼られ、そこから鈍い光が差し込む。


 どうやら空模様は曇りのようだ。


 水しかでない流水に、かけらを寄せ集めたような石鹸で体をかきむしるように洗った。


 シャワールームのドアが数分置きにがんがんと殴られ、「さっさと出ろ! いつまで入っていやがる!」とCJの声がする。


「待ちなさいよ!」


 わたしは叫び返す。


 3回目になってやっと泡立つようになった。


 わたしは時間をかけて洗った。


 寒さよりも、自分にまとわりつく匂いをぬぐい取りたかったし、あわよくばこのシャワールームで、逃走経路、あるいは武器になるようなものを探った。だが、残念ながら見当たらなかった。


 シャワー室から出ると、CJがドッカと壁にもたれるように座っていた。隠すようなタオルもない。CJは下卑た笑いを浮かべたけれど、汚物に包まれていた女を抱こうとは思えなかったようだ。


 着替えたあとに通されたのは、広い部屋だった。


 ソファーと、机、小さな冷蔵庫があるだけだから、なお一層に広く感じた。


「まずは詫びよう、真木村対策官。あの環境に置いておくのは本意ではなかった」


「日本では謝罪するときは地面に膝と手のひらをついて、土下座をするものよ」


「日本人の謝罪は形式だけだとわたしたちは知っている」


「そう」


 わたしはため息をついた。「そこに座っても? コンクリートの上に座っていたら、すっかり腰を冷やしたの」


「構わない。だが、茶の用意はないんだ」


「いいわ、今更歓迎されているとは思ってない」


「いいや、あなたはわたしたちにとって非常に重要な客人だ。だが、歓待する余裕がないのだ。わたしは非常に残念に思っている」


「だとしたら、さっそくその歓迎されている理由を聞けるかしら? どうやら待ち合わせよりも早くお迎えが来て、さんざっぱら待ちぼうけを受けたの。わたし、じつはせっかちなのよね」


「会ってほしいお方がいる。そして、その人の希望を叶えてほしい」


「ご冗談」


 わたしは笑ってみせた。


「こんな扱いをされて、はいはいもちろんです、とでもいうと思って? あなたたちが国なのか、組織なのかはわからないけれど、いずれにしても、これはテロ。わたしは日本国の政府機関の一員として、テロに屈することはないわ」


「ほう、見上げた意見だ。この状況でそういえるとはね」


「命の保証はなくなったかしら。でも、お生憎様。平和なご時世の役人なら従うでしょうけれど、あの戦争の最中、国に仕えていた人間に半端なのはいない」


 ますます素晴らしい。


 顔順は大げさに手振りを添えて、わたしを絶賛した。


「だが、お前の命を奪うつもりは毛頭ない。むしろ、お前の命を守ってやったと、感謝されて然るべきだ」


 命を守った。


「あんたたち、復興対策本部に一体なにをしたっていうの」


 顔順がCJをじろりと睨みつけた。


 CJは慌ててかぶりを振る。


「何を知っている、真木村ナナミ対策官」


「さてね」


 わたしはもういちど艶然とわらってみせた。


 顔順は手を口元にあて、しばらく思案している様子だったが、その顔には一ミリも慌てた様子もなかった。


「お前が考えていることは、間違っている。わたしたちは復興対策本部には何もしていない。だが、復興対策本部が壊滅的であることは事実だ」


「……壊滅的?」


「復興対策本部は今、マオウ熱のパンデミックが起きている」


 マオウ熱!


 背中をぞわりと寒気が走った。


 モンスター、そしてマオウ熱は魔王との戦争終結後も世界に残った巨大な爪痕だ。その対策こそ、政府が心血を注いでいる。


「復興対策本部のパンデミックは人為的なものだ。だが、我々は関与していない。それは別の組織の動きだ」


 俺らはパンデミックが起きる前にお前をここに隔離した、とCJは言った。


「命の恩人だと思えよ、ありがたいとな」


「状況は? 対策本部の状況は?」


「知らねえ」


 顔順は興味がなさそうに答えた。


「だが、知っていることは話してやろう。少なくとも、正しい判断をお前にさせるためにだ。パンデミックのインフルエンサーはお前たちが捉えた中華系のあの男だ。わかるだろう? 名は李秋木。あれはもともと同じ組織だったが、ある日突然に裏切った。あいつがなぜ、マオウ熱にかかったのか、なぜ、わざと捕まって、対策本部内で感染させようとしたのか、そんなことはわからない。だが、あいつはあいつの目的を達成させたようだ。対策本部は現在隔離されている。そして、職員にも感染が確認されたようだ」


 わたしの頭に突然と、竹下の顔が浮かんで……そしてそれがこびりついた。


「李は死んだ。マオウ熱は猛威を奮う。そこで、お前に朗報だ」


 顔順のかんばせに、はじめて笑みが浮かんだ。


「わたしたちはマオウ熱のワクチンを開発したのだ、真木村対策官」

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