第89回 アイノースメイド業務日誌:お嬢様との定期報告会
ぼんやりと白い部屋のなかで画面が浮かび上がっております。
「メイ、問題なくて?」
お嬢様が私をカメラ越しに見つめます。そのお顔は、ほかの人からみれば普段となにも変わらないでしょう。ですが、わたしにはわかります。お嬢様はわたしを心配してくださっている。嬉しくも、とても申し訳なく思います。
「申し訳ありません、お嬢様、ご心配をおかけしまして」
「答えになっていないわ」
「問題ありません。検査では陰性とのことです」
「そう。重畳よ」
お嬢様はまぶたを閉じると、細く息を吐いたようです。最近のマイクの性能はすばらしい。お嬢様のかすかな衣擦れの音、息づかい、身振りで空を切る音もわたしは聞くことができます。まるで、目の前にお嬢様がいらっしゃるようです。
佐倉ユウタさんからマオウ熱の連絡が入ったときには、わたしはすでに検査をうけておりました。
日本の対策本部でマオウ熱の感染が確認されたこと、パンデミックの恐れがあると連絡があったからです。すぐに返信をすべきでしたが、わたしは外部との連絡手段を遮断されてしまっていました。アイノースのお嬢様に近い人間に感染の恐れがあるとなると、一層大きな問題になりかねないからです。
「お嬢様は、体調におかわりはありませんか?」
「ええ。こっちは大丈夫」
「しかしマオウ熱の感染は突然ですから、ご注意ください」
ありがとう、とお嬢様はおっしゃると、視線を手元に落とします。「日本の対策本部は混乱しているわね……」
はい。
そう、わたしは答えました。
対策本部において、マオウ熱のパンデミックが発生した当初は、マスコミが本部前に集まって報道は過熱しました。
ですが、佐倉ユウタさんに感染の疑いがあると情報が出回りますと、報道各社は自社、そして契約するジャーナリストやカメラマンたちの稼働を制限しました。
世界的英雄が病に倒れた……そうなれば、さまざまな思惑が動き出します。だからこそ、政府からマスコミ各社に箝口令が敷かれたのでしょう。
政府の対応は素早いものでした。復興対策本部を隔離し、半径1キロメートル内を立ち入り禁止区域とし、近隣住民のマオウ熱検査を徹底。その上で、感染ルートの完全なる断絶により、これ以上の拡大の恐れはないことを繰り返し伝えました。それに効果があるかはわかりませんが。
佐倉ユウタさんは、いま、復興対策本部のなかで隔離されているとのことです。わたしが仮に携帯端末を持っていても、彼と連絡はできないでしょう。
「メイ」
「はい」
「わたしはしばらく日本に戻ることはできません。復興対策本部の件は、ゆゆしき事態。逐次……報告して頂戴」
佐倉ユウタさんのことを、という言葉を、お嬢様ははぐらかしたようです。かすかに視線をそらし、短く息をはく……ほんとうに、最近のマイクは性能が素晴らしい。憎らしいほど。
それと、とお嬢様は言いました。
「J国のこと、これは面倒ね」
わたしの顔がおもわず、眉をひそめていなければいいのですが。
提示報告の一環として、もちろんJ国・高俊熙のことは報告をしていました。数多あるお嬢様をはじめとしたアイノースに関する事案でしたが、やはり日本国の「相談」である以上、一介のメイドが判断を下すことなどできません。でも、やっぱり本心はお嬢様に読み流して欲しかったのです。
「高俊熙はお嬢様との会談を希望しています」
「ええ。でもなんでかしら? わたしと高俊熙につながりはありません。アイノースとの交渉ならわかりますが。メイ、思い当たる節はある?」
「ありません」
あるわけがありません。
「しかるべきルートから日本へは回答をするわ。それと、こっちで彼の身辺調査を行います。あなたは日本と高俊熙……J国のことをしらべてください」
「はい」
「任せました。緊急がなければ、三日後の定時報告で会いましょう」
「はい」
「メイ」
「はい、お嬢様」
「J国、高俊熙、マオウ熱も重要。でも、一番は佐倉ユウタよ。彼の身になにかがあったら、世界のパワーバランスが崩壊するわ」
お嬢様は、すっと目を細めました。「かえでと連絡を取れる状態にしておいて」




