第87回 世界平和とパンデミック
自転車から飛び降りた。マスコミが大挙するひとだかりを割って入っていくと入り口には規制線の黄色いテープが幾重にも貼られていた。おまわりさんがじっとりと額に汗を流しながら、カメラとマイクを制している。
ぼくは口と鼻を覆ったシャツをもう一度縛り直すと、その中へと向かった。
カメラと記者たちの視線の先に、白い防護服に身を包んだ集団がいる。慌ただしく連絡のやりとりをしている。
「あぶないから下がって! カメラ、もっと後ろへ!」
防護服のひとが手を大きく振りかざし、集まった集団を後ろに引かせようとしている。だかれど、好奇のこころに押された集団はじりじりと前へ前へと押し進む。いったい何が起きているんだ、って。
白い防護服の集団の頭上には建物の名前が書いてあった。
復興対策本部。
日本のモンスター対策の要だ。
その要塞がまさにパニックに陥っていた。
マスコミのひとたちはその姿を間近に見ようとぐんぐんと押し寄せる。
でも、「あっ!」と誰かが叫んだとき、その動きはぴたりと止まった。対策本部の扉からストレッチャーで運ばれてきた男のひとの姿を見て、そして、そのひとを恐れるように、何かから逃れようとするように、体が仰け反らせた。
「いま、感染者と思われる方がはこびだされていきました……男性のようです。対策本部のメンバーでしょうか……ぐったりとした様子で……」
ぼくの後ろ側でアナウンサーらしい女性がその状況を解説する。
感染者……ぼくはそのひとの姿に見覚えがあった。
「竹下さん!」
ぼくは集団の中をくぐり、前へと進む。すると、おまわりさんがぼくの腕を掴み、後ろへと押しやる。「だめだ、きみ、下がりなさい!」
「待て!」
と、白い防護服のひとがこちらに近づいてきた。防護服の半透明のマスクのうしろにあったのは、前田本部長だった。
「佐倉ユウタくん、君は拘束させてもらう」
その言葉に次いで、ふたりの防護服のひとたちがぼくの腕を掴んだ。
※※※
海は、ふたつの電話で解散しなくちゃならなくなった。
ひとつはメイにかかってきた電話だ。
「すみません、佐倉さん、緊急対応をしなければならないことができました」
その目はめずらしく、うんざり、と訴えていた。メイは名残惜しそうに海を立ち去ったあと、正直ぼくらはだれていた。おまわりさんに声をかけられ、すっかり中心人物になっていたメイが帰ってしまい、テンションだだ下がり。
それでも、最高の天気と、程よい波の打ち付ける海は楽しむだけの十分な価値がある……でも、ぼくにかかってきた電話がそれを打ち砕いた。あけみさんからだった。
「対策本部がやばいで」
電話ごしのあけみさんはいつも快活なものいいではなく、秘密を打ち明けるように囁いた。
「やばい?」
「マオウ熱の感染者が出たってしらせが入った」
言葉を失った……マオウ熱だって? あたりを見渡す。みんなは少し離れたところにいた。ぼくは背中を向け、もう少し距離を置いた。話すには、慎重になるべき話だったからだ。
マオウ熱はこの崩壊戦争後に発見された新種のウィルスを発端とする感染症だった。まったく未知の病原体は、その原因が何かはわからないけれど、その時の世界のながれでは、未知のものはすべて異世界からの転生者、そして、その恐怖の象徴は魔王だったからマオウ熱という名前がついた。
転生者、そしてモンスターの死者と同等の猛威を奮ったマオウ熱の死者は数万人だという。空気感染をする病原体で、感染力も強い。そして、感染から発症までに時間がかかるから、パンデミックしやすい特徴もある最悪のものだった。致死率も高い。突然、嘔吐と頭痛をともなう熱を発症し、1週間の長期にわたって苦しんだのちに命を失う。モンスターにおそわれた街が、撃退後にマオウ熱で壊滅したという話もある。
マオウ熱。
対策本部。
「ユウタ、どうした?」
「ぼくも罹患しているかもしれません」
「なんやて?」
「対策本部にいました」
息を飲む音が聞こえる。「いつや」
「4日前ぐらいです」
「マオウ熱の発症期間は5日から7日……」
あかんかもしれんな、というあけみさんの声は辛そうだった。
ぼくは着ていた上着の喉元で鼻と口を覆う。
「病院に行きます」
「いや、そこから対策本部に行った方がええ。マオウ熱の対策チームが急行しているという情報もある。あそこは隔離施設になる。それに、英雄がマオウ熱を発症したなんて情報は極力秘匿したほうがええ」
なるほど。ぼくはうなづいた。
「わかりました」
「……ええか、ユータ、マオウ熱は高い致死率のウィルスや。でも確実やない」
「はい」
「死んでも……死ぬんやないで」
「むちゃくちゃな」
ぼくは笑ってみせた。
それからぼくは携帯端末からほのかに連絡した。いますぐ病院へ行って、感染の診断を受けるように伝えると彼女はふるえた声で「わかった」と言った。
さきに別れたメイにも連絡をしたけれど、彼女は捕まらなかった。移動中なんども連絡をする。メイがもし感染していたら、アイノースでもパンデミックが起こってしまうからだ。
ぼくは対策本部から一室に隔離された。
そこは取り調べ室のひとつで、ぼくの目の前にはマジックミラーがあった。蛍光灯のあかりに照らされて、心なしか青白い自分の顔を、ぼくは見つめていた。
いったい、何が起きているんだ。




