第85回 仮想捜査ノート:わたしが見つけた少女
がちゃん、がちゃん……金属がぶつかる音がする。金属がすれる音も。
暗闇の奥から順繰りに、順繰りに近づいてくる。その方向へ、体をすり動かす。冷え切った石床の感触が体温をうばう。それが痛みにも感じて、わたしは動くのを止めた。
こつこつと床を鳴らす靴のリズム。
わたしの鼓動。
建物の隙間を循環する空気の乱れ。
ギイっときしむ音がして、視線の先の暗闇に切れ目が入った。
「よう、生きているか」
ここにきて、6回聞いた声だった。日本語だがイントネーションがアジア系の言葉の音調だった。ここがどこだか、わからない。時間もわからない。ほこりとカビのにおいに包まれた暗闇と、冷たい石床の感触。最初に目が覚めたときに敷かれていた薄いマットの手触り。そして時折、金属音とともにやってくる闇の切れ目と、この声。
「ほらよ、飯だ」
一瞬、切れ目が途切れ、ぱさっとビニルが床に落ちる音がする。ついで、ぼとんという音。
手を伸ばす。丸みを帯びた柔らかなもの。菓子パンだ。手をゆらゆらと動かすと、筒状のものに触れる。ペットボトルだ。
今までに5回投げ入れられていた。日にちの感覚はないけれど、空腹ペースを見れば、日に2回提供されているのだろう。これで6回目。おそらく3日経ったのだろう。わたしがあそこから連れ去られて。
「食えよ。死んで腐られても困る」
「死ぬ気はないわ。できればもう少しまともなものが欲しい。もしくは牛乳」
へっ、と笑い声。
「ずいぶんと余裕だな。政府のお偉いさんはちょっとしたことで弱音をあげるもんだと思っていたぜ」
「お生憎。人気と金で作った紙の台座に座っていたわけじゃないわ。汗と血と労苦だけを捧げて這い上ってきたの」
「ご立派なこった」
今度は声をあげて笑う。
毎回、この男はわたしとの会話に時間を使う。からかうように、檻の中の動物をいたぶることを楽しむように。
「一体、何が目的なの? わたしをここに閉じ込めて、それっきり。用がないなら解放して頂戴。暇じゃないのよ」
「俺らも暇じゃねえんだよ。余裕がでたら相手してやる」
複数。
「その割にはあんたは暇そうね」
「なんだと?」
「役立たずだから、ウェイターをやらされているんでしょう、ボーイさん? それともあっちの方も役立たずなのかしら?」
「クソあまがっ!」
ドアを殴る。
その後、シューっと息を鋭く吸う音、吐く音。5秒だ。
「生意気なこと言うじゃねえか。今にその体に嫌というほど思い知らせてやるからな」
男の声の調子がさっきのように戻った。アンガーマネジメント……少なくとも、激昂する癖を直す必要のあるコミュニティにいるのだろう。
暗闇の切れ間がぱたんと閉じる。
コツコツという靴のリズム。
がちゃん、がちゃんという鉄のドアの閉まる音のリフレイン。
完全に音が途切れるのに、48秒。
男が次に現れる時間まで、おおよそ4万3200秒。
薄いマットの上に横になり、菓子パンを口に頬張った。
指で空中をスワイプする。
頭の中のノートをめくる。
わたしの癖だ。
そうするとあたまに描いたあらゆる図表が手書きのメモのように現れる。時系列、登場人物、今の現状と課題と、リスク。
佐倉ユウタを見送った後、わたしはコンビニに寄った。
その時にみた少女の顔に、違和感を覚えたのだ。
あの少女はどこかで見た。そしてそこにいてはおかしい存在だったのだ。しかし、頭の中のノートには記載がなかった。そうなると、わたしの必要認識外の情報だ。つまり、街中、テレビ、新聞の情報……どこで見たのだろう?
疑問は疑念に。
わたしはその少女を動向を目で追った。
少女は辺りを気にするように見渡して、コンビニの端の駐車場の助手席に乗り込んだ。ややあって、車は鈍いエンジン音を上げて、町の中心街の方へとハンドルが切られた。
暗闇の中で、運転者の顔は見えなかった。
脅威判定、不明。だけれど、見逃してはいけない。そう思った。
車での追跡は比較的得意な分野だ。だが、車の姿を紛らせられるほどの混雑ではない。慎重にホイールを回す。
対象は、急ぐわけでもなく、速度は遅い。普通の公道なら、苛立ちから追越してしまわないとおかしいぐらいに。
だから、距離は十分に取った。
相手は追跡を警戒している。
疑念は疑惑へ。
脅威判定のパラメータが要注意となった。
助手席の携帯端末を見る。連絡をしておくべきか。誰に? たけ坊でいいだろうか。ただ、その躊躇が命取りだった。ミス1。
車は商店街に入る。
ユウタくんがあの男に接触させられた商店街だ。
助手席のドアから少女が降りる。
呼び止められたのか、車内に視線を投げると小さく三度うなづく。
対象がふたつに分かれる。
車が再び走りだす。
少女が商店街の路地へと消える。
どっちを追う? 躊躇する余裕はない。
車を降り、影を追った。そのとき、車に携帯端末を忘れた……ミス2。痛恨。
夜の街灯は間引いたように点々とともり、少女の影をまだらに千切る。
路地の構図はシンプルだ。それでも瓦礫にうもれ、深い影を落としている。
まるで踊るように、彼女の影は右へ左へと折れ曲がる。
昼間だったら問題ないだろう、しかし暗闇にあしもとを取られて思うように追いかけられない。
それでもしかし、わたしは多分ものすごく疲れていたのだろう。
だから、あり得ない凡ミスを繰り返していた。少女が大きく円を描いて動いていた。少女の足がぴたりと止まった時に、わたしはそこが最初に追いかけはじめた場所であることに気づいた。
少女がくるりと顔を向けるのと、わたしの視界が、突然何かに閉ざされるのは同時だった。
硝煙にまみれた、黒い手のひら。




