第81回 世界平和と暗闇の中で子供
「あなたは××地区の山沿いで午前中から午後3時頃まで戦闘をしてきた……おそらく3から4体。四足歩行のモンスター。でも、疲れているのは戦闘のせいではないですね。夜は眠れていますか? 睡眠薬も役に立ちます」
ベーカー街221Bの薄暗い階段を登ってドアを開けたっけ?
関北駅から歩いて7分、雑居ビル群が織りなす細かい路地に面している喫茶店が、メイから指定された待ち合わせ場所だった。
不自然に縦長な間口のせいで、入店も躊躇われる。
店内はいつもがらんとしていて、どんな時間でも、3組以上お客さんがいるところを見たことがない。その時は、メイしかいなかった。
「ホームズの推理に感嘆して、どうしてわかったんだ、と尋ねるべきかな?」
メイド服の名探偵の向かいに腰を下ろしながら、問いかける。
「簡単なことだよ、ワトソン君、と定型の返しをしておきますね」
メイはにっこりと笑った。「推理の基本は靴ですよね」
「赤土でも付いている?」
「戦争で土壌がえぐれていますから。目視で演繹的に推理ができるのは便利ですね」
「慧眼に恐れおののくよ。頼むからプライベートまで推理しないでくれよ」
「では、この先は披露しないでおきます」
「助かるよ」
「私の価値はわかってもらえましたか?」
「君の評価はいつも最高評価だよ」
「でも、あれっきり連絡もありませんね」
「あれっきり?」
「事件の捜査です」
「それはワトソンが何も動いていないからだ」
「なら、レストレイド警部になって立ち回ってください。彼は優秀で、新しい何かを名探偵に持ってきます」
「今日は忠告をするためだったりするのかな」
「それなら電話で済ませます。英雄を軽々しく呼びつけません」
「なら?」
「明日の海は楽しみですね」
「からかっているな」
「今のは少し」
ふふふと笑った。「でも楽しみなのは本当ですよ。ユウタさんたちと遊びに行くなんて考えられませんでしたし」
「リンカは結局来ないの?」
「残念ながら。何度もお誘いしましたが、楽しんでいらっしゃい、とだけ」
「残念だ」
「お嬢様のスタイルをご覧いただけないのは、まことに残念です」
「へえ?」
「あら。お嬢様にご不満で?」
「不満も何も」
「女性らしさは胸では語れませんよ?」
ん?
さっきの竹下さんとの会話まで推理されたのか?
「そんなことは全く言っていないからね」
「はい」
本当にあることないことは言いふらさないで欲しい。
「お呼びたてしたのは他でもありません。真木村さんのことです。対策本部から話はもれ聞きました」
視線をコーヒーカップの中身に落とし、声質も変える。ナナミさんの失踪は機密事項だ。ぼくのお守り役として、インテリジェンスの世界で知らない人はいない。事態はすでに公然となっているだろうけれど、むやみに広めるものではない。
アイノースも情報を押さえていた。
「ユウタさんは、この件、どうお考えですか?」
「わかんないってのが本心。ただ、ナナミさんは誰かに連れ去られたと思う。あの人は何も言わずに姿を消したりしない。必ず何かの形で、それを伝える」
「わたしは真木村さんのことをよく知りません。ですが、同意です」
「メッセージはぼくと別れた後の彼女の行動だと思う。車のルートだ。あれだけ疲れていて、それでもどこかに向かっていた」
あるいは……。「誰かを追いかけていた?」
「はい、その可能性はとても高いと思います」
「誰かに追いかけられていた可能性は?」
「いえ、追いかける必要性がありません。拉致が目的なら、彼女はコンビニに寄っています。場所次第ではありますが、その機会はありました。また、行動把握の必要もないでしょう。模範的な国家公務員。朝から晩まで対策本部にいるのに」
「私生活を知りたかったのかも知れない」
「魅力的な女性ですから、あながち否定できませんね」
「冗談だよ」
「わたしもです」
冗談がわからないよ。
「対策本部からナナミさんの行動ルートを聞こう。そこに答えがある……」
そう言いかけたときに、メイが、うーんと唸った。
「ごめんなさい、そこに行動原理はあると思いますが、居場所には繋がらないでしょう。人海戦術が叶う警察があらゆるデータ、可能性を集めてくださいます。そちらは、任せましょう」
「でも」
「私たちがするべきは仮説検証です。事実をかき集めた先に事実がありますが、どこに事実があるかを示すのが推理であり、仮説検証です。私たちふたりしかいないのであれば、仮説は重要です」
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるってこと?」
「どんぴしゃり。命中です」
今日のメイは少しテンションが高いようだ。
「誰かを追いかけている最中、真木村さんはさらわれた。追跡の対象と彼女を連れ去ったのは同一、または利害関係のある人たちでしょう。たまたま別の人にさらわれた確率は少ないと思うからです。じゃあ、なんでさらったのか?」
「見られてはいけないものを見た」
「おそらく。その場所は、あの商店街の裏手なのでしょう。対策本部の方たちの話し方から、真木村さんは一旦車を降りています。危険な追跡なのにどうして車を降りたのか。車は逃げるための手段になるのに。ユウタさん、あの場所は車では入れないような場所はありますか?」
「あるよ、細い道が多い」
「そこまで追いかけて行ったと考えるのが妥当でしょう」
ぼくはかぶりを振った。
「それはおかしいよ。ナナミさんは格闘技経験者だけど、危険を顧みないで突っ込むことはない。仮に何かそうせざるを得なかった場合、本部に通報していたはずだ」
「そうしなかった理由を考えましょう。おそらく2つ。真木村さんの個人的な問題であった可能性、または脅威を見誤った可能性」
「脅威を見誤った?」
「対象が女性、または子どもであった可能性があります。またはその両方」
コンビニに寄った。
エナジードリンクを買った。
対策本部へ向かう途中で子供、女性にからむ出来事を目撃して、追走する。本部に通報するまでもないちょっとしたこと。すぐに済むはずだった。
対象が商店街で止まり、細い路地に入る。
ナナミさんも追う。
そしてそこでアクシデントに巻き込まれた。
ユウタさん、とメイが呼ぶ。
「もしテロ行為での誘拐じゃないなら、事態は良くありません。人を閉じ込めておくことはリスクがあり、負担も大きい。動きも読めません。テロは、交渉行為です。だから屈することはしてはいけない。でもこれは、場当たり的な犯行の可能性があります。ましてや、子どもなら何をするかわからない」
子ども。
この戦果をくぐり抜け、大人になれる……竹下さんはそう言っていた。まだ大人になっていない子ども。
もし、そうなら、彼らはいったいナナミさんをどうするんだ。




