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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第78回 世界平和と失踪当時の状況は?

 鼻血で真っ赤に染まった布。


 最初に目にとまったのはそれだった。取り調べ室の前、ソファーにうずくまるように、ボロボロになった竹下さんは座っていた。


 対策本部を入ると、目の前には受付カウンターがある。そこではいつもいかめしいおじさんたちが本部を訪れる一般のひとたちの対応をしている。転生者を見たという話や、終末戦争からいまだに戻ってこない家族についての質問をする人、ただただ何かの文句を延々と言い続けるひと。そのうち何人かは受付カウンターの常連でもあった。


 入口を右手に折れると暗い廊下が50メートルぐらい伸びている。昼間はいっさい電気がついていない。だいたいが窓から入る日の明かりだけだ。ちょうど真ん中あたりに、階段がある。受付すぐに設置をしていないのは、単なる設計ミスだろう。


 会談までの25メートルの廊下には倉庫や、事務関係の部屋が並んでいる。ぼくはそこには入ったことはないけれど、その前にぺたぺたと貼られている大小のポスターにはいつも目を引かれる。


――世界平和のために人類みんなで助け合おう


 この人類のなかに、転生者は入っているのかな。


 取り調べ室は対策本部の4階にある。


 そこに呼ばれていた。


 階段を上って左手、夕方でまだ電灯がついていないほの暗い空間に、竹下さんはいた。


 階段を上る足音に気づいたのか、うつろな目を乗せた顔をこっちに向けると、鼻血以外にも顔がひどいことになっているのが分かった。口元から血が流れ、目の上も腫れている。これはひどくなるやつだ。


 竹下さんはぼくの顔を見て、「きみか」とつぶやいた。普段の能天気な雰囲気とは違う。空気の抜けた風船のように、顔には深いしわが刻まれていた。


「何があったんですか?」


 尋ねても竹下さんはもごもごと口のなかで声を反すうしているようでまるで聞こえない。


 少しは効きやすくなるかと体をかがめて耳元を近づけたけれど、近づくほどに彼の声は小さくちいさくなっていった。


「そいつは取り調べ室であばれたんだよ」


 顔を上げると、廊下の先にひょろりとした影が伸びているのがわかった。背中に夕日を浴びていて、顔が判別できないけれど、その声には聞き覚えがあった。そして、その声音は説明というよりも、竹下さんを暗に責めているようなニュアンスだ。


 前田対策本部長。


 ナナミさんのボスであり、竹下さんの大ボスだ。


 ただ、武闘派の面々がそろう対策本部のボスという役職名にそぐわず、前田本部長は武闘派の雰囲気も空気もまとっていない。「ケンカごとはさっぱり向いていない」と自他共に認めているところだけれど、それを補って余りある頭脳とネゴシエーターであるとナナミさんは全面的な信頼を置いている人物だ。


 前田本部長の歩き方は特徴的で、どこかふわふわとしている。見ているほうとしてはステンっと転んでしまうんじゃないかとはらはらするような歩き方だけれど、音もなく、するりと近寄ってくる雰囲気もあって、ぼくはちょっと苦手だ。


「ナナミがいなくなったって聞いて、公安の取り調べ中に飛び込んで、被疑者に殴り掛かりやがったんだ。見た目じゃあ想像できないぐらいにこいつは強くてな。公安と対策本部の連中5人がかりで抑え込んだんだ。ユウタがいればもう少し早かったかもしらんなあ」


 へっ、っと鼻でわらうような音が竹下さんから聞こえた。「……もうちょっとで、聞けると思ったんすけどね。あと一発入れたら顎の蝶番も壊れて口がスムーズになったのに」


「ナナミの部下とは思えんほど短慮だな。なんであいつがお前みたいなやつをひいきにしているかがわからん」


「ダメな奴ほどかわいいもんですよ」


 前田本部長はため息をついた。


「ナナミが戻ってきたら、伝えておいてやる。そのひん曲がった鼻も、逆方向から殴られれば元の色男にもどるんじゃねえか?」


 そういって手に持っていた紙コップを竹下さんの脇に置くと、柔和そうに垂れた目をぼくのほうに向けた。


「英雄。ナナミが失踪する直前にあいつと一緒だったんだろう? すまねえが、くわしく聞かせてくれねえか?」


「はい」


 ぼくはナナミさんの動向について覚えている限りのことは話した。


 しばらくして、うーむ、と前田本部長がひとつ唸り、「こっちの調べと、合致するな」


「ナナミさんはいついなくなったんですか」


 前田本部長は手元の手帳をめくり、細い指で頁の上からゆっくりと文字をたどった。「お前の証言だと23時頃にわかれてから本部にもどるといっていたらしいが、本部にまっすぐはもどらなかったようだ。途中で、監視カメラにナナミの車の姿がとらえられている。よしんば、最終的に本部に戻るとしても大回りをしているな。監視カメラに映ったあとに、コンビニに寄っているようだ」


「買っていましたか、エナジードリンクを?」


「よくわかるな」


「眠気覚ましにって2本差し入れました。そしたら3本飲まないと効かないとかいっていましたから」


「なるほど。それで自動車のなかにコンビニで買ったもの以外の空き缶があったのか」


 ん?


「自動車のなかに、ってどういうことですか?」


「言葉の通りだ。ナナミはいなくなったが、あいつの自動車だけが見つかった」


 前田部長は少し間をあけてからつづけた。「繁華街の路地裏でな」


「隠されていたってわけじゃないみたいですね」


「ああ、ただ止めていた、という感じだ。あいつはコンビニで飲み物と食べ物を買ったあとに、また大きく進路を変えて繁華街に行っている。そして、消息はそこまで。ただひとつあるとすると、その繁華街は、英雄、お前が昨日取り調べ室の中の男に話しかけられた場所から100メートルも離れていないところだ」


「だから言っているじゃないですか!」


 前田部長がたんたんと話しを進めていると、竹下さんがぐいっと顔を上げて、ぎらぎらとした目をぼくらに向けた。


「ナナミさんがいなくなるなんて、事件か事故に巻き込まれた以外にありません! ユウタくんの家から本部までの道すがらで事故が起きた報告は現在上がっていないのなら、人的要因によるアクシデント……事件しかありません。ましてや、昨日の出来事があった直後、ほぼ同じ場所ですよ!」


「おいおい、落ち着け」


「これが落ち着いて……」


 竹下さんがつばきを吹き出しながら反論しようとしたその瞬間、前田部長の細い手がぐんっと伸び、竹下さんの胸元をつかむと、壁に音をたてて押し付けた。


 その勢いで、脇に置いてあった紙コップが倒れ、水が座面を濡らした。


「落ち着けってんだ、小僧。いい大人が、それも国を守る対策本部の人間が高校生のまえでうろたえんじゃねえ。お前だって、自分のいっていることが道理に沿っていないことはわかるだろう?」


 前田部長の声は、とたんにトーンが落ち、腕の力で御す以上に竹下さんの言葉をのど元で押しとどめた。まっすぐに注がれた視線に負けたように、すとん、と竹下さんの視線が上司の手首に落ちると、すみませんでした、と彼は弱々しく謝罪の言葉をこぼした。


 前田部長はぽんっと手を離すと、鋭く鼻から息を吸い、細く長く吐き出した。


「すまんな、英雄。見苦しいところを見せた」


 ぼくは首をふった。


 正直、取り乱した竹下さんに、ひどく共感をしていた。少なくとも、ナナミさんが消えた理由は事件だという点は、主観とはいえ、ぼくも本当だと思う。そういう人間なんだ、ナナミさんは。


「ユウタ、とりあえずだが、ナナミが不在のいま、お前との窓口は俺になる。緊急の折には即時の対応を頼む」


「はい」


 ぼくはそううなづいて、しかし、視線は前田部長の背後、取り調べ室のドアに注がれていた。


 正体不明の男。


 本当にあいつは関係していないのだろうか?


「前田本部長」


「なんだ」


「ぼくに出来ることはありますか?」


「お前にしかできないことがたくさんある。しかし、ナナミの件では、ない」


「ですが」


「なら」そういって、はじめて感情に似たものがふわりと浮かんだ。「あいつが無事であるよう、どこぞの神様に祈っておいてくれ」


 前田本部長も後ろにいる男に、ナナミさん失踪の理由があると思っているんだろう。でもぼくへのアプローチが、なぜ対策本部のいちメンバーであるナナミさんを巻き込むことになったのだろう?

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