第77回 世界平和とショックドクトリン
「ひどいな、俺の名前ぐらい覚えておいてほしかった」
ナナミさんの部下、竹下マコトさんはがっかりした顔で待合室までむかえに来てくれた。
電話があったのは、その2日後だった。ナナミさんじゃなくて、竹下さんからだったことだけが想定とは違っていた。もしもし、サクラくん? ぼくだけどやっぱり対策本部にきてくれる? そんな感じの電話。彼としては顔みしりだから名乗ることもないと思っていたらしい。
だからぼくが対策本部の受付で、
「ナナミさんの部下の、ほら、あの男のひとで……」
と四苦八苦しながら説明したのを受付のひとが正直に伝えてしまった。受付の美人さんはクスクス笑ってる。竹下さんはバツの悪そうだけど、それはぼくもだ。
「ちゃんと覚えてくれよな」
「もう忘れませんよ」
……たぶん。
ぼくが案内されたのはいつものオフィスじゃなくて別の部屋だった。
ドアに入って、すぐ左側におおきなガラスがはめ込まれている。それと向き合うようにつくえとイスがならべられている。ナナミさんは手前のイスにすわり、ガラスのさきに目を向けていた。となりの部屋がみえ、ふたりの男がいた。ひとりは背中を向けている。雰囲気からして捜査官なんだろう。そしてもうひとり、こちらを向いているのはさっきのぼやけた顔の男だった。連行されているのにあいかわらずねむそうにとろんと目がたれている。
「防音してあるから、よほどの物音じゃなきゃ、向こうに声は聞こえないわ」
「初めてみました、マジックミラー」
「うそでしょ?」
「ふつう見る機会なんてないです」
「君がふつうというのは異議があるけれど。説明の必要ある?」
「こっちからは向こうは見られるけれど、向こうからは見えないんでしょう? わかってますよ」
「あ、そう」
と、急に興味を失ったようにナナミさんはマジックミラーの先に視線を向けた。
でも、しばらく経ってもガラスの先の光景は変化がない。
「音声は聞こえないんですか?」
「向こうのは聞こえるわ」ナナミさんがあきれたような視線をぼくに投げた。「でもあの男はまったくしゃべらないのよ」
ナナミさんは不愉快そうに鼻を鳴らした。「何を聞いても、口元をゆがめたまま鉄仮面よ」
確かに、男はひきつるように口腔を上げ、正面の捜査官の顔に視線を向けているようだ。捜査官は何とか口を割ろうとしているのだろうけれど、ひとつも喋らなければ、調書も書けない。
「ああいう奴は歌わせるのが難しい」
「力にものを言わせるのはどうなんですか?」
「きみ、アホのフリしてあたしを怒らせたいの?」
それはかんべん願いたい。
「私たちは法に準拠する公務員よ。崩れてしまった法治国家のルールを積み上げるためには、いかなる取り調べも法令に準拠すべき。オーケイ?」
「オーケイ」
楽はできる。でも、世界平和に必要な法の統治を遠ざけることになる。
「彼が誰か、きみは知らない?」
「はじめてみたよ」
「そう」
そりゃあ、そうよね、と言わんばかりにナナミさんは言葉を吐き出した。
※ ※ ※
それからのことは特に書くことがない。
男は終始だんまりを決め込んでいた。持ち物もかばんのなかに拳銃が無造作にほおり込まれていただけ。後からわかったけど、銃はアイノースが戦時につかっていたもののひとつで、戦いのさなかに消失していたらしい。死線のまっただなか、武器のひとつの行方なんて、十分な管理なんてできないよね。アイノースに男の照会を依頼したけれど、むこうもバタバタの最中ですぐに回答はなかったらしい。正式に回答があったのはずいぶん後で、ただシンプルに、「当該男性はアイノースに関連のある人物ではない」とだけだった。
男が何者か。
ナナミさんの問いかけ先はぼくだった。男はぼくにだけ話をしていた。ほんの少しだけだけど。片言の日本語で、まるで文法の本を片手に読み上げるような不自然なしゃべりかただったことはおぼえている。
それ以外で、あるとすれば。
「あなたはわたしたちのことをしらなければいけません」
ナナミさんは腕組みをして、宙に視線を投げた。「男はきみにそういった」
「はい。それの先は、竹下さんが取り押さえたので聞けませんでした」
「その言い方は、ちょっとアレじゃないか、佐倉くん」
竹下さんはムスッとした顔をぼくにむけた。
「たけ坊はいつもタイミングが悪いのよ。ギリギリまで情報は引き出さないとだめ。佐倉くんなら多少の怪我ぐらいさせてもいいわよ」
「おいこら役人」
「ナナミさん、ひでえっすよ」
対策本部のエリートはぴりぴりしているようで、切れ味の鋭い言葉を抜き身で持ち歩いているようだ。
ただ、その理由は、簡単だ。
ナナミさんは眠いのだ。
ぼくと話をしている最中もやたらとあくびをしては、ウンウン唸りながら、長身を狭い場所で器用に伸ばしている。でも、ぜんぜん眠気が取れないらしい。
くわえて遅々として進まない取り調べだ。
苛立ちも募るのだろう。
寝ればいいのに。
「ナナミさん、やけにねむそうですね」
「超絶ねむい。あの男がこっちをみながらしきりにあくびをするから、こっちだって眠くなってくるのよ。ちんたらちんたら取り調べしてさ」
そういって、ナナミさんはぐいーっとコーヒーカップをあおる。内側は複雑怪奇な模様がうかんでいた。みなきゃよかった。
「そもそも、ナナミさんが取り調べをすればいいんじゃないですか? いつもはあんなに前に出て行くのに、なんで今日はマジックミラー越しなんですか」
「……色々あるのよ、少年」
ナナミさんによれば、復興対策本部の取調の権利は転生者、およびモンスターに関することだけ。それらにひもづく事案には逮捕権や捜査権がある。
つまりはそれ以外は適応外だ。
彼女のしごとのもうひとつに、ぼくとの窓口があるけど、それはモンスター討伐にひもづくやり取りが頻繁にあるから。それ以外の国際的な駆け引き……終末戦争前でいえば公安がになうスパイの逮捕・調査権は彼女にはない。
竹下さんは、あくまでも佐倉ユウタという保護対象に危害がくわえられたという事由で、男を緊急逮捕したにすぎなかった。その目的が他国からの佐倉ユウタへの接触という国家公安的問題は明確だからこそ、その捜査権がマジックミラー越しにいる公安担当者にもっていかれてしまった。
ほんとうなら、公安捜査に他部署の人間がはいることもだめだ。
でも、コトがぼくに起因しているから、窓口であるナナミさんへの秘匿が捜査に支障があると判断されたようだ。
公安のひとからの調査もあった。でも、話すことなんてナナミさんに伝えたことと何にもかわらない。公安のひとはどうやらくらい部屋が好きなようで、復興対策本部のすみっこ、物置のような場所にぼくを連れて、ぶつぶつと質問をした。
時折するどくあたりに視線を向ける以外は、じっとぼくの眉間にぴたりと焦点を当てていて、解放されたころにはどっと疲れが全身をおおっていた。
「またお話を伺いにいくと思います」
公安のひとはぼそりとつぶやくように言うと、口もとに笑みをうかべて「逃げてはだめですよ、いまは緊急事態なんですから」と続けた。
はあ、と気のない返事をしたけれど、そのときには公安のひとはきびす返すように反対側へと歩をすすめていた。
終末戦争で法律がなくなったわけじゃない。
日本は国家緊急権的措置をとった。
でもそれは終末戦争が終わったからってすぐにストップさせるわけじゃない。モンスターたちの横行もある。だから、いまも国家緊急権はつづいている。
かえでは「ショック・ドクトリンだね」とよくわからないことを言っていた。
それを聞いた政府のひとはおもしろくなさそうな顔をしていた。たぶん、なにかふくみがあるんだろう……ドクトリン? ドクトル・ジバゴみたいなものかな。あの映画、ぼくは好きなんだけどな。
ぼくが対策本部からの退出を許可されたころには夜もずいぶんと更けていた。
いつもならひとりで帰るのだけれど、今日の今日だからだろう、ナナミさんが車をだして家まで送ってくれた。
でも、正直ひとりで帰りたかった。
だって、ナナミさん、ものすごくねむそうで、すげえ不機嫌なんだ。そんなひとのくるまに乗りたいなんてだれがおもう? で、運転は予想していたとおり。道すがら「ナナミさん!」というぼくの悲痛な呼びかけと「ふぁい?」という間の抜けたナナミさんの返事が5分おきに繰り返された。着いたときは本当にホッとした。無事でよかった、ほんとうによかった。
ぼくはひやあせでそぼ濡れたせなかに不快感をかんじながら、ふらふれとくるまからおりた。へんに緊張して、あしにちからがかかってつっぱっている。
「あたし、ここでひと寝入りしてから本部に戻るわ」
「ぜひそうしてください」
「なんだよ、うちで寝ていきませんか、とか色っぽい誘いはないのかよ」
「寝ていきます?」
「百年早いわ、小童」
うわっ、めんどくせえ。
「はいはい、小童はさっさと帰るので、さっさと眠気をとって、さっさと本部に帰ってください。お願いですから、事故だけは起こさないでくださいよ」
へーきー、と夢心地の声を上げて、ナナミさんはひらひらと手を振った。
不安だ。
これ、放置して事故でも起こされたら、ぼくも何かの罪になるのかな。というより、相当寝覚めが悪いんだけど。
ぼくは近くのコンビニでどぎついエナジー系ドリンクを念のため2本買った。くるまに戻るとナナミさんは寝もせずに、モバイル端末で何かのサイトを見ているようだった。
こつこつ、とウィンドウを叩く。するするとウィンドウが半分さがる。
ぼくがそこからドリンクを放り込むと、ナナミさんはニコーッとチェシャ猫のような三日月の笑顔を浮かべた。
「サンキュー、ありがたい。でも、次は3本買ってきて、あたし、これは3本目から効き始める体質なの」
「完璧中毒だよ」
「たけ坊にもそう言われる。死ぬって」
「末期じゃん」
ナナミさんはケラケラ笑いながら、2本の缶をあっという間に空っぽにした。
「うん、万全……の一歩手前。とりあえず、本部に戻るわ。また連絡する」
「ただただ不安です。嫌ですよ、次会うのが塀の向こうじゃあ」
「へーき。君こそ気をつけ給えよ」
「大して思ってないでしょう?」
「ばーか」
ナナミさんは瞬間いつもの鋭利な表情にもどすと、ヘッドライトの照り返しに浮かぶ仄暗い目でぼくをみさだめた。
「きみをうしなうこと、それがどれだけおもいことか、すこしかんがえてみな」
しかし、そのあとすぐにナナミさんはくるりと表情を変え、「つーことで、国家的損失を未然に防ぐため、明日からきみにはいま以上の護衛をつけるんで、しばらくは窮屈な生活を楽しむがいいさ」
「はあ!?」
「じゃーねー」
ナナミさんはくるまを急速に走らせ、みるみるうちに闇にすがたをぼかせていった。きみをうしなうこと、それがどれだけ重いことか……ぼくはまちがいなく、あのひとに守られているのだろう。遠くなりつつある2つのテールランプは離れていてもぼくを見つめる目のようだった。
やがて、
街を飲み込む暗闇は、
わずかに灯るその赤いランプを、
音もなく吸い込み、
音もなく消し去った。
※ ※ ※
ナナミさんがいない。
その一報を聞いたのは、翌日だった。




