第72回 世界平和に不都合なリンカ
勇者ってなんだとおもう? 魔王やドラゴンを倒す存在って、ファンタジーにはえがかれていた。実際に魔王がこの世界にあらわれて、ぼくらはそいつをやっつけた。もしかしたらこれからの未来、「勇者」っていう辞書の項目にぼくらの名前がいっしょに書かれるかもしれない。そんなのはやだなあ。なにかをうちほろぼした存在として、ずーっと忘れられないなんて、悲しすぎる。
じゃあ、辞書の「勇者」の項目にはなんて書いてあるだろう? しらべてみるといい。「ゆ」だから、うしろのほうにある。勇気のあるひとって出てくるんじゃないかな。論語なんかも引き合いにだされているかもしれない。勇者はおそれず、ってさ。
それが正しいなら、ざんねん、ぼくは当てはまらない。断じてちがう。こわがりだし、おそれもする。勇気はひとなみに持っているかもしれないけれど、きんぴかのバッヂのように胸をはれるほどでもない。
ぼくは大人に近づくつれて、勇気って言葉をつかわなくなった。がんばるとか、気合いを入れてとか、そんなのはよくつかうけれど、勇気はまるで子どものときのおまじないのように、むかしにおきわすれてきたようだ。でもそれはだめだ。むかしのえらいひとはいっていた。勇気がないと、ほかのどんなにいいちからも意味をなさない。
勇気をおきわすれたぼくがやってきたことは、まったく意味がなかったのかもしれない。かといって、それをはきちがえることも、やっぱりだめなんだよ。だから、メイ。君がやろうとしていることは、まちがっている。
こんな言葉もある。勇気は立ち上がって声に出すことだ。勇気とはまた、すわって耳をかたむけることでもある。
その言葉に気持ちをふるい立たせ、むかしに置きわすれたものを拾い上げて、立ち上がって声を大きくしていうよ。
メイ、君は間違っている。
そのために、ぼくはアイノースの記者会見場へとむかった。
※ ※ ※
アイノースの戦争犯罪については、すでに世間の知るところとなった。かぎられたマスコミしかしらないはずの会見場所なのに、いっぱんのひともたくさんあつまっていた。ところどころであがるアイノースへの怒声は、やがてひとつにまとまり、巨大なミサイルのようにしんと静まりかえった建物に突きたてられいった。
警官がてんやわんやで暴動になりかけていた群衆を押しとどめ、マスコミはつぶさにその様子をカメラのなかに、データのなかに取りこんでいた。「ごらんください、いままさにアイノースに対する怒りの声があがっております」
長浜マジシャンは、すでにサーカスのテントの奥へ退場した。
それでも、彼が大声で知らしめたまっぷたつの象のショーにつられてたひとがたくさんいる。観客は右手を夜空に突きあげて、シュプレヒコールのように叫んでいた。アイノースに粛清を、粛清を、粛清を!
その様子は、会見場にくるあいだ、モバイル端末でみていた。ぼくはぞっとした。間近でアイノースの火刑が行われる様子をながめようとするひともいれば、ぼくのようにマスコミのカメラを通して混乱の様子も含めて、ショーとしてみているひともいるんだ。
メイはこんな場所に出ていこうというのか?
幕僚長の会見だけではきっと世間は納得しない。だから、じぶんがおもてにたとうというのか? これまでリンカのかげとしてサポートをしながら、こんどは巨象のかっこうをして表に登場し、そのまままっぷたつに引き裂かれようというの?
現場は騒然としている。あたりはすっかり警備体制がとられ、ひといきれにぼくはちかづくことすらできなかった。だめもとでモバイル端末からメイを呼び出した。彼女が応答はない。
アイノースへの憤まんがぶつけられ、好奇にみちたカメラレンズにとらえられ、焼きつくそうとばかりにたかれるフラッシュにまみれた会見場のなかに、メイがいる。アイノース航空隊の司令官に代わって罪をかぶるために。
ぼくは会見場の裏手にまわった。
英雄教の※※支部のときのように、こっそりとしのびこめないかとさぐった。でも、植樹にかこまれた裏手にも警備は厳重にしかれ、はいりこむ余地はなかった。あけみさんとも合流しても、事態はかわらない。会見は新聞とテレビ局など選定されたメディアにしか公開されない。週刊誌はせんぶ排除されていた。
「なんとか、しのびこめないんですか?」
「うちらも入れるものなら入りたいわ」
あけみさんはいらいらとした口調で、そびえる建物に視線をなげやった。「でも、あかんのや。権利がない。国民の知る権利はいちぶのマスコミが代わりに報道をしてくれる。すっかりと終末戦争の前とおんなじや」
隙間さえあれば。壁をよじ登ることだってぼくにはさほどの苦労はない。でも、こんな衆人環視のなかではそれもできない。ぼくはあきらめきれず、建物のまわりをまわっていたときだった。
「佐倉さん、こちらです」
後ろからかけられた声に振り向くと、そこにいたのは、アイノースの邸宅であった執事の前島さんだった。彼のうしろには、ぽっかりと抜け道のような奥のくらさをたたえたドアがあった。あたりを警戒するように、すばやく視線を左右にむけながら、ぼくを呼び込む。こちらからお入りください。ぼくは前島さんの誘導にしたがって、するりととびらのなかにすべりこんだ。なかはくらい。あしもとにいくつかの誘導灯がひかっているだけで、とびらがしまると、前島さんの顔もはっきりとはみえない。
それでも、彼がずんずんと奥へとすすんでいくのは、その足音でわかった。
「どうなっているんですか」
「どうなっている、とは?」
「リンカが行方不明になったとは聞いています。それにメイは……あの子は今日の会見にでるつもりなんですよね? なんで、止めないんですか」
前島さんは答えなかった。そのかわり、歩調がぐんっとはやくなった。ぐんぐんと突き進む。ぐんぐん、ぐんぐんくらい廊下をちらりともぼくのほうを振り向きもせずに。彼は怒っている。それはぼくにだろうか。いや、きっとこの状況に、だ。やがてぼんやりとあかりが廊下をてらし、ひとつのドアのまえで、前島さんはぴたりとその足をとめた。
「ここに、メイがいます」
振り向きもせずに、いった。「会ってやってください」
その声が、わずかに震えていることを、ぼくはきっと忘れないだろう。
ドアは頑強に閉じられているようだったけど、そんなことはなかった。ちょっとのちからでするりと開いた。なかはひどくあかるい。いたるところの電気がついていて、おもわず目がくらんだ。それでもなかに、ひとりのかげがあるのがわかった。目はすぐになれた。ぽつんとそこにいたのは、さっきまでいっしょにいた、メイだった。でもいつもとはちがう。メイド姿ではなく、スーツを着込み、かざり気もなくさっぱりとしていた。
たった数時間でひとはかわらない。でも、だれだって、他のひとにみせたことのない顔を持っている。真っ白にあかるくてらされたその部屋にいたメイは、ぼくがいままでみたことのないまっ黒なかげにつつまれたような表情をしていた。
彼女の顔には、おどろきと戸惑いが浮かんでいた。そしてとつぜんと理解したように「前島さんにつれてこられましたか?」とといかけた。
うなずいた。
メイはくすくすと笑った。
「あのひとも困ったひとです。優秀なひとなんですけれど、ロマンチストなところがぬけません。たたかいのときにはやめてほしいですね」
「メイ、じゃあやっぱり?」
「ちょっとだけ、見くびっていました。ごめんなさい。まさかユウタさんがここまで見通すなんて。お嬢様とあなたには、この会場に来てほしくなかった。だから、お嬢様をさがしてほしいって依頼をしたのに。お嬢様はみつかりましたか?」
「いいや、みつからない」
「そうですか。だったら、お願いです。この会場をでて、お嬢様をさがしてきてください。そして無理やりにでも、この会場にいれないでください。せめて、会見が終わるまで。おねがいします、ヒーロー」
そういって、メイは座ったまま頭を下げた。
ぼくは首をふった。
「それはできないよ、メイ。そのお願いは聞き受けられない」
「なら、あなたはどうするんですか? ここにいて、わたしを止めますか?」
「止める。そして、ほかの解決策はないのかを考える」
「他の解決策。そうですね、であれば、リンカお嬢様を会見に向かわせることです。でも、それはわたしが全力で阻止します。あなたと刺しちがえても」
「メイ、ぼくは……」
「ユウタさんはすべての責任を負おうとしていますが、そんなことできません。これはアイノースの問題であり、もっといえば、航空隊の問題です。あなたはアイノースにかけられた疑惑をといてくださいました。それだけで十分です」
メイはゆっくりと立ち上がり、ぼくの顔を正面からしっかりととらえた。そうして、今度は頭をさげることなく、はっきりとした口調でいった。
「おかえりください。お願いします。そして、できれば、テレビでもなんでも、わたしの会見をご覧にならないでください。べったりと泥をかぶる姿を、ユウタさんにはみてほしくありません。わたしがあこがれた英雄に、わたしのみじめな姿はみてほしくありません。いつでも笑顔のわたしをみてください。つぎに会うときも、どうか笑顔で会ってやってください。お願いします」
ぼくは、だらしのない男だ。いくじのないやつだ。
たったひとりの悪の大魔王をたおす、そういう単純な答えならぼくは突きすすむことができるのに、どうしてこの平和な世界は、こんなにも息ぐるしいのだろう。どうしてこんなにむずかしい問題に直面するのだろう。ぼくは世界の英雄かもしれない。でも、どうしようもないぐらいに子供だった。
なにが正解なんだろう。
このままメイの手を掴んで逃げ出すことだろうか。
メイのかわりに会見にのぞんで、アイノースを擁護する発言をすることだろうか。
現世界の記事はでまかせなんだ、とうそをつくことだろうか。
どれもちがう。どれもまがいものだ。アイノースのこの戦争犯罪について、ぼくはまったく関係のない人間だ。ぼくはメイのいうとおり、このまままっすぐに部屋をでて、建物をでて、目を閉じ、耳をふさぎ、会見のことをそしらぬふりをして、つぎに会うときにメイに笑いかけてあげることなのかもしれない。たとえ世界がメイを憎んでも、ぼくは彼女をまもってあげることが正解なのかもしれない。
それが正解なんだよね?
でもぼくにはその場所を動くことができなかった。なにもできないくせに、メイのたったひとつのたのみごとすら、ぼくには叶えてあげることができなかった。もどかしくて、くやしくて、願いを叶えてあげるどころか、ただただ逃げ出したいという気持ちにもなった。ぼくには逃げて、自分をみじめにするだけの勇気もなかった。
勇気って、なんなんだろう。
建物にはいって、時間は遅々としてすすまない。どれだけの時間、ぼくはじぶんをさいなんでいただろう。それは永遠にも思えた。ぼくが決断するまで、この時間は動き出さないんじゃないかと考えた。でも、そんなことはない。時間は確実にすすみ、会場にはたくさんのマスコミがびっしりと詰めかけている。
やがて、こつこつ、というにぶいノックの音が真っ白な部屋のなかに響いた。
ドアがひらく。
そこに立っていたのは、何度かあったことのある、アイノースの幕僚長だった。普段は戦闘服を着ているけれど、きょうは正装だ。隆々とした体を真っ黒なスーツのなかに押し込みまるでかがむような姿でそこに立っていた。
「時間だ」
「はい」
メイは立ち上がり、まっすぐにドアへと向かう。ぼくの顔をちらりとも見ない。ぼくにはメイに見てもらうだけの価値もなかった。
メイ、いっちゃダメだ。
こころのそこで反響するその言葉は、ぼくのほそいのど元がきゅうっとちぢまり、まるで声にならなかった。メイ、いっちゃだめだ。そのわずかな言葉ですらとどけることができないで、ドアはぱたんと音を立ててしまった。
ぼくの頭のなかに、メイからのメッセージが浮かぶ。わたしたちは無実なのです。あれはせめてもの、メイの悲鳴だったんだ。せめてあなたはわかっていてほしい、という。
これでいいのか。これだけでおしまいなのか。呆然とその場で立ちすくんだ、まぬけだけがその場にのこされた。もう、メイに合わせる顔もない。
その時だった。ドアの外で、どさっとなにかが落ちる音がした。続いて、音はちいさいけれどもうひとつの音がつづく。ぼくは思わずドアの外へ出た。
廊下はさっきと変わらず、うすぐらい。
あかるい部屋からそとにでたから、目がなれるのにしばらく時間がかかった。
やがてなれてくると、廊下の先に、ふたつのかげが倒れているのがわかった。
それは、幕僚長と、メイだった。
「メイ!」
ぼくはあわててそのふたつのかげに近寄った。メイのちいさな体を抱える。しかし、その体におかしな様子はない。ただ、目の焦点があわず、まぶたが細かく震えている。そう、メイはただ、眠りかけていたんだ。それは幕僚長もおなじだった。幕僚長は寝息をたて、正体をなくしているのがわかる。あれほど緊張につつまれていたふたりがたった数メートル歩いただけで、とつぜん睡魔におそわれる。
それはまるで……魔法だ。
いったい、何が起きている? ぼくがまとまらない出来事を必死に繋ぎ止めていると、逆のほうから、こつこつと歩み寄る音が聞こえてきた。その足音のほうへ視線を向ける。
そこいたのは、リンカ・アイノースだった。
部屋のあかりがするどく彼女のすがたを浮きぼりにさせた。リンカはぼくとその腕のなかにあるメイの姿をみとめると、まるでアルミニウムのようなうすい笑顔をうかべた。
「リンカ、これはいったいなんだ……」
すると、リンカのうしろから、もうひとつのかげが近くのがわかった。そのもうひとりにぼくはおどろきを隠せなかった。エリカだ。魔王様は右手を肩の高さまでぴんっと伸ばし、ゆっくりとそれをぼくに向けていた。
「どうする?」
「お願いします。邪魔されたく、ありません」
うん。そういってエリカは右手からびりびりとした電流を走らせた。ひとすじのひかりがぼくのくびもとを刺し、全身のちから抜けた。からだがうごかない。それでも、ぼくの眼球はリンカとエリカのすがたをとらえていたし、頭ははっきりとしていた。
「佐倉ユウタ、この子が目を覚ましても、どうかこの場所に止めておいてください」
リンカ、これはいったい。
「あなたがアイノースのために走り回っていてくれたことを、わたしはメイから聞いています。あなたにお礼をいうのは、正直はばかれます。でも、ほんとうにありがとう。わたしはこれからわたしが行わなければならない仕事があります。ひとにぎりの人間に与えられたちからがあるなら、その責務をまっとうしなければなりません。鳥かごに閉じ込められていることを、守られていると考えてるほど、わたしはおろかであろうとは思いません」
そうして、リンカはかがみこみ、ぼくの腕にもたれかかるようにしてうつろな意識を必死に食い止めているメイに話しかけた。
「メイ、つらい思いをさせてしまいました。あなたがになっていた仕事を、わたしも背負います」
「リ……ンカ……さま……だめ……です。あな……たは……だめなん……です」
マヒをした腕に、ぽたり、ぽたりと熱いものがしずくとなって落ちる。リンカはそのメイのほおを優しくなでると、ぼくの腕をとり、メイの体に巻きつけた。「頼みましたよ、ヒーロー」
ああ、ぼくはようやくわかった。
メイがリンカを思っているように、リンカはメイを思っていた。メイがなにをしようとしていたか、リンカにはわかっていたんだ。きっとリンカはじぶんが矢面にたって、世界に対してすべてを説明するといって聞かなかったことだろう。じゃないとメイがぜんぶを背負ってしまう。でも、アイノースはそれを許さなかった。リンカを屋敷の奥へと閉じ込めた。世界の女王をどろまみれさせることができなかった。
だからリンカは抜け出した。そうして、きっとメイのモバイル端末から、エリカに連絡をとったんだ。メイがエリカの連絡先をしっていたのは驚きだけれど、あのメイド探偵が知らなかった可能性のほうがすくない。リンカがあの大捜査網を逃れていまのいままで姿をくらませられていたのは、まさに魔法のちからだったんだ。混乱、催眠、マヒ、幻覚なんかの魔法はエリカが得意とする魔法だ。
リンカがエリカにたすけを求めるなんて、想像がつかなかった。
エリカがリンカをたすけるなんて、想像がつかなかった。
でも、まったくないなんてだれがいえるだろう? エリカの魔法を使って、この厳重な会見場に、ふたりははいったのだろう。
どうして、ぼくは最後のさいごでこんなにまぬけなんだ?
リンカはほんものの勇者だ。勇気をもっていたひとだ。彼女は勇気をもって座して様々な批判を聞いていたことだろう。怒りが彼女の原動力だけれど、リンカは静けさのうちにそれを飲み込み、考え、そして立ち上がるときを考えていた。
そしていま、リンカは勇気をもって立ち上がり、そして発言をする。
その言葉がはたして世間に届くのか、受け取ってくれるのか。きっとそれはものすごくむずかしいだろう。
世界はこう叫ぶ。平和なこの世界に、勇者なんていらない。そんなやつがいる世界は、もうお断りだ。
いのちをかけて戦った。
失われたいのちはきっと数え切れない。
かれらに残されるものはわずかばかりの名誉だけなのに、世界はそれすら、奪いとってしまう。アイノース航空隊指令リンカ・アイノースに被せられた戦争犯罪のどろによって。
それでも、リンカは向き合うんだ。
勇者は立ち上がると、ゆっくりと、歩き始める。
くらく静かな、まっすぐとのびる廊下の先をみやり、ただただまっすぐにその足をすすめていく。エリカがそのあとを追う。勇者のすすむ道をふさぐひとたちを、眠りの檻にとじこめるために。
リンカ・アイノース。
世界のために戦い、復興に全力をつくし、共に戦った隊員たちの名誉のために必死で調査を行い、隊のおかした犯罪について真正面から向き合う。彼女以外に、勇者の名を冠することをだれがゆるせるのだろう。
だから、これは、勇者のおはなしだ。
ひかりの勇者は、くらい廊下の先へに、消えていった。