第71回 世界平和とあなたの代わりに死を厭わず
それから、現世界の編集部でされた話をしておこうとおもう。
長浜編集長とぼくらは取引をした。脅迫状の件、そして、Aの連載と考える会についてぼくは公開しない。そのかわり、違法売買報道は推測にもとづく記事だと、すぐにでも声明をだし、来週の週刊誌にお詫び記事を掲載する。必要におうじて会見をひらく。
意外だった。
証拠がないんだ。長浜編集長はいっさいをみとめずに、法廷闘争にまで発展してもおかしくないとおもっていたからだ。彼のこころのなかでなにが起きていたのか。ぼくにはわからない。ぎりぎりまでにふくれあがった風船に、いっぽんのはりをさせば、破裂するだろうと思っていた。それなのに、セロハンテープのうえからはりをさしたように、ぷしゅーっとおとを立てながら、長浜編集長のこころはしぼんでいったようだった。
しかし、戦争犯罪については、そのままだ。
アイノースが向き合わなければならない。
それはぼく、編集長、そしてメイもふくめておなじ意見だった。
ぼくらが編集部を出たのは木曜日の、午前11時をすぎたころだ。
太陽はまっすぐにぼくらを照らし、アスファルトの照りかえしに汗が吹きでる。それでも暑い、という感覚がそのときにはなかった。
たくさんのことがあたまのなかを行き過ぎてゆく。2週間、追いかけてきた事件はもやもやとしたかたちでいくつかが終わりをむかえた。それでも、こころはすっきりとしない。なにかが間違っているっていうんじゃない。これしかなかったのかな、そう思っていた。
推理小説っぽく、探偵がトリックを解きあかして、おまえだ! って犯人を指さす。動機は悲しくやるせないかもしれないけれど、終わってみたらすっきりできるもんだと思っていた。
まちがっていた。そんなの、まるでなかった。
ぽっかりとこころに穴があいたような感覚でもない。
むしろ、なかに何か黒々としたものがつまったようなもどかしさがある。
いくつかのできごとは、いつわりの姿をやめて、ほんとうの姿をさらすことになったんだから、それを誇ろう。誇って、いいよね?
それでもぜんぜん、ぼくのまわりでおきたできごとは片付いていない。現世界の編集部にきた目的はリンカをさがすことだ。アイノースの捜索でも、リンカをみつけていない。大部隊の捜査を逃れられるんだ。まるで魔法で世界から姿をけしてしまったみたいに。
「ユウタさん、ありがとうございました」
何度目かも忘れてしまったけれど、メイは、また、ぼくに頭を下げた。
「おかげでわたしたちにかかった疑惑のひとつが大きく姿をかえました」
「でも完全じゃない。あの写真はほんとうに撮られたんだしさ」
現世界が記事を撤回したとしても、あの写真がのこっている。
かんぜんに潔白になったわけではないんだ。
「それでも、ユウタさんは現世界のうそを見抜いてくれた。それは事実です」
ぼくは……そう伝えようとしたとき、ちいさな女の子は首をふって、言葉をさえぎった。
「でも、わたしはなにもできていない。お嬢様もまだみつかっていません。記者会見の前までに、なんとか見つけなければ」
「記者会見の前に?」
はい、とメイは頷いた。
「金曜日の夕方に会見をおこなう、としていましたが、記事の内容がかんぜんにわかったいま、もっとはやめなくてはいけません。たぶん、今日の夜です。新聞の校了時間の前に、会見を行うことになると思います」
タイムリミットは、あと12時間とちょっと、ということになる。
「ユウタさん、わたしはもうだいじょうぶです。ユウタさんがあんなにがんばってくださったんです。いつまでもぼんやりとしてはいられません。ひとりでお嬢様を探します。ただ、お願いです。どうか、ユウタさんもお嬢様をさがしてください。お願いします」
そういって、メイはまた深く頭をさげた。もちろんだ。あのリンカが逃げだすようなことをするわけがない。きっと姿をくらませたのには理由があるんだ。
「頭をあげてよ、頼むから。ぼくもさがす。リンカにはなにか目的があるんだ。それさえわかれば」
「……そうですね。目的がわかれば。お嬢様の行動には、ちゃんと意味があるんです」
「わかっている。メイ、がんばってさがそう」
ぼくらは駅の前でわかれた。メイはむかえの車がくるらしい。ぼくはいちど家にもどることにした。英雄教の逮捕劇から12時間がたっている。時間は限られているけれど、モバイル端末の充電も切れかけているし、着替えるくらいはしたい。もしかしたら、エリカの協力も仰げるかもしれないしね。
ユウタさん、とメイは別れ際に声をかけた。
「ほんとうにお世話になりました」
※ ※ ※
エリカからの着信に折りかえした。でも応答はなかった。魔王様はきほん、ねぼすけだ。ぐうたらさせたら昼まで寝ていることもある。2度寝している可能性もあった。
ぼくは家にかえり、手ばやく着替えて、充電ケーブルをカバンにしまうと、リンカさがしをはじめた。彼女がいきそうなところの検討なんかつかない。お嬢様のふだんの行動範囲を知ろうなんて、庶民にはどだいむりな話なんだ。すぐに候補地はそこをついて、あとはやぶからぼうに検討をつけてさがす。それでも、さっぱりだった。
繁華街の駅前についたころだった。時間は午後5時をすぎていた。
巨大なターミナルに面するビルの街頭ビジョンに、速報がはいった。アイノースの記者会見が繰りあがって本日おこなわれることになったこと、そして、現世界から先週号の違法売買について虚偽の報道であったことが発表された、ということだった。
ぼくはモバイル端末をたちあげ、ニュースをおった。それに紐づくコメントも読んだ。
ひとことでいえば、大混乱だ。
――現世界はアイノースに脅迫をされて、スクープを取りさげたんじゃねえ?
――このままアイノースは事実をうやむやになってしまうのはゆるしがたい。
――現世界なんていかがわしい雑誌の情報を、みんな真にうけすぎ。ばかみてえ。
――でも会見がはやまったんだ、アイノースの戦争犯罪ってやばいってことだろう?
――つーか、あのクソアマがなんででてこないんだよ、おかしくね?
現世界がおくった謝罪と経緯の文章がテレビやニュースサイトで取りあげられると、その情報がいっきにオンラインのこまかいあみ目に浸透、拡散をはじめていった。まるでアメーバみたいに。そう、かたちがまるでないように、憶測はへんしんをつづけて、あたらしい憶測をよぶ。情報はたくさんのいつわりを身にまとってぶくぶくとふとり、やがて身うごきがとれなくなっていく。アメーバの行動原理は原始的だ。単純といってもいい。怒りだ。すべてが怒りという行動原理によって分裂、変化、成長をつづけた。
アイノースをつぶせ。
アイノースを許すな。
憎むべきはちからにたよって世界を牛耳ったアイノースだ。
ぼくはおもわず、モバイル端末にはりついた自分の目を、むりやりにはがした。
ひとりの怒りはしずかにふかく、根ぶかくなっていく。たくさんの怒りはうねり、燃えあがり、火災旋風のようにそらをつく。
ああ、アイノースの罪は悪臭をはなち、天までにおう。戦争での犯罪。これには人類の普遍的なおろかさがにじみでている。ひとはひとの罪を蛇蝎のごとくにきらい、にくみ、だからこそたたく。たたく相手をさがしているんだ……つーか、あのクソアマがなんででてこないんだよ、おかしくね?
はっとした。
もういちど、ぼくはオンラインの情報をつぶさに読みとる。そこに出てきているのは、アイノースという巨大な企業の名前と同じくらい、いや、それ以上のリンカの名前だった。
忘れていた、忘れていた、忘れていた……!
リンカがジャンヌ・ダルクだと感じていたことを、なんで忘れていたんだ!
世間はもとめている、勇者の火刑を。
歴史にきざまれているような、おろかな行為に世界が魅せられていることを。
事件が、あまりに多すぎた。考えることがたくさんありすぎた。でも、たったひとつ、ひとりのために懸命に動いていたひとが、このことを忘れているわけが、ない。
ほんとうにお世話になりました。
メイ、君はもしかして、リンカの代わりに処刑台にあがろうとしていないか。
ぼくはモバイル端末から、あけみさんを呼び出した。
記者会見場は、どこだ?