第68回 世界平和と悪魔はすぐそこに
編集部はあるじのなりとはことなり、意外と荒れたようすはなかった。資料が整然とならび、あるいは積まれ、つくえの上にははちきれんばかりのぶ厚い封筒がずらりとならんでいた。ひとはいない。
長浜編集長はやかんを火をかけると、台所で顔をらんぼうにあらい、そでで水滴をぬぐった。コーヒーを入れるまでの儀式にも似た工程を終えてようやく、ぼくらのまえにはみっつのマグカップと、正面には長浜編集長が腰をかけた。
ぼくは彼のすがたを見て、すこし違和感があった。
車のフロントにたったときのすごみはなく、よれよれの服装と、伸びきったヒゲをたくわえた、ただただ疲れた中年の男が目の前にいるだけだったからだ。
いちおうはぼくだって身構えていた。リンカがいるかもしれないことや、いちどしかあったことがなかったけれど、強烈な印象を残して去った現世界の編集長との対面は、どっちに転ぶかが見通せなかったからだ。
長浜編集長はすこし首を右に傾いでひとの顔を見るくせがあるらしい。
しばらく早朝の来訪者ふたりの顔に視線を往復させると、ぽつりといった。
「なにかここに探しものがあるようなようすだな」
ぼくはすっと背筋を伸ばした。それをみて、彼はこらえるように笑った。
「おまえはわかりやすいな、英雄。そんなんでよくあんな化け物みたいな魔王と渡り合えたもんだ」
「その英雄というのはやめてください。あなたにいわれると、どうにも座りが悪いです」
「そうか? これでも敬意を表しているつもりだったんだが。じゃあ、佐倉と呼ばせてもらおうか。で、きょうは何を探しに来たんだ? アイノースのスクープのネタか? それともおれを止める手立てか?」
「どっちもここにあるんですか?」
「さてね。でも、スクープのネタはある。明日には世界中の人間がそれを知ることになる」
「世界中がそのネタを探している」
「なんだ、ただのやじ馬か? だったら、ほら、お前らにやるよ」
そういって、長浜編集長はうしろのデスクから手に取った一冊の週刊誌を、ぽんっと、ぼくらを隔てるローテーブルの上に放り出した。明日発売予定の現世界の最新号だった。表紙には大きく、「特集! アイノース航空団の戦争犯罪の真実」と銘打たれていた。
「いいんですか?」
「なにがだ?」
「ぼくらがいま読んで」
「かまわないさ。どうせ発売前にはもれるものだとおもっている。それに、もう販売ルートには乗っているんだ、いまさらどうしようもない。たとえアイノースであってもな」
長浜編集長はたばこに火をつけると、おおきく吸い込み、紫煙をくゆらせ始めた。その表情からはなにも読みとれない。ちらりと横にすわったメイの顔をのぞいてみたけれど、彼女はじっと編集長の顔に視線をあわせているだけで、ぼくとの視線はあわない。
週刊誌を手にとる。
ページをめくり始める。
たぶん、読んでいたのは20分ぐらいだとおもう。
ぼくにはもっとながい時間がたっているように感じた。
そのあいだ、長浜編集長もメイも身じろぎひとつせず、しわぶきひとつしていなかったかのようだ。
雑誌の半分以上をアイノース航空隊の記事が占めていた。
それはおどろくべき内容だった。
これがほんとうなら、アイノース航空隊の名誉は地におちる。たとえ、ごくいちぶの隊員の行為だったとしてもだ。「俺たちはこんなにつよいちからをもっている」いつかぼくの頭のなかでささやいた声がふたたびと耳をついた。「なんでもできる。なんでもやっていい」
そんな、ばかな。
「どうだ、佐倉。感想は」
「これはほんとうですか?」
「ああ、ほんとうだ」
そういって、いつのまにか数本のすいがらをつくっていた灰皿に、あたらしいいっぽんを押しつけると、視線もあげずにメイに話しかけた。
「そうなんだろう? 副指令官」
副指令官は、そこではじめて視線を落とした。ひざの上にかさねたふたつのてのひらを、ぎゅっとしぼると、そこからことばをひねり出すようにちいさな声で答えた。
「事実です」
ぼくのてのなかから、世界が待ち望む週刊誌がすべり落ちる。ばさっと音をたてて。床におちたものをぼくは拾おうと手をのばした。そこにはくしくも、アイノース航空隊の戦争犯罪をうったえる大きな見出しが広がっていた。
悪魔はすぐそこに。
台湾襲撃でのアイノース航空隊の住民虐殺。
アイノース航空隊最大の戦績である台湾襲撃の防御が、この事実によって完全にくつがえされてしまったんだ。
長浜編集長はメイの顔をじいっと見つめたあと、
「なんだ、てっきり言い訳をならべるとおもっていたのにな。認めるのか」
「認めるもなにもありません。事実ですから」
「そうか。そのひとことをあんたから聞けて、おれは満足だ。あの幕僚長をとかげのしっぽにして切り捨てるつもりだとおもっていたからな」
そういって、かわいたわらいをあげて見せてから、ふとなにかに気づいたように、もういちどメイの顔をのぞきこんだ。
「正気か?」
その問いかけにいっしゅん、メイのかおには影が走った。しかし、すぐさま表情をほころばせて、ええ、もちろん、と答えた。
「アイノース航空隊はこれで役目を終えます。終えざるをえない。ほんとうは魔王の消滅とともに、わたしたちは消えるべき存在でしたから。そのきっかけを作ってくださったのは、感謝申し上げます」
「ふだんなら強がりを笑ってやるだけだが、うそではないようだな。くそつまらねえ。もっともっと、あがいて、あがいて、あがいて、あがきまくってみじめにつぶれることをおれは期待していたんだがな」
「あがきましたとも」
メイはりんとした声で長浜編集長の言葉をさえぎった。
「あなたのお望みどおり、あがいて、もだえて、苦しんで、傷ついて、走り回って、息切れして、泣いてわめいて。いまのわたしはもうボロボロです。アイノース航空隊は世界のためにたたかった。名誉もなにもないかもしれないけれども、それでも、隊員たちには世界のためにたたかったと胸をはっていられるようにしてあげたかった。それはわたしだけではありません。リンカお嬢様もおなじ思いです。でも、くつがえしがたい事実があるのであれば、わたしたちはそれをみとめなければいけないのです」
「生意気いってんじゃねえぞ、くそアマが!」
とつぜん、長浜編集長がほえた。それまでは紫煙のうらがわに、怒りを押さえ込んでいたかのように、がらりとその態度をひょうへんさせた。
「認めるだと? ええ? 目の前に逃れきれない事実を提示させられてから、はい、そうでした、ごめんなさい、じゃあ、すまねえんだよ。ああ? アイノース、世界最大最強の施設軍団をもつ大企業様よ。あんたらはご立派な正義感をもとに十全な活躍をしてきたとおもっているかもしれねえが、てめえらのなかのことを、これまでいちどでも調べたことがあんのか? いちどでも自分たちのことをうたぐってかかったことはあんのか? 巨大すぎて、腹がでっぷりとですぎて、足元もろくすぽみれていなかったんじゃねえか? 航空隊を終わらせるだと? ああ、好きにしやがれ。いっかいこっきりのみじめさの味がお気に召さなければ、やめるに越したこたあ、ねえな。でもな」
長浜編集長はぐいっと、身を前に乗り出し、メイの間近まで顔を近づけた。
「いいか、おれも世界も、たとえアイノース航空隊がなくなったとしても、いつまでもいつまでも、おまえたちの犯罪行為を追いかけ続けてやる。終末戦争のときだけじゃねえ、いまもなおつづいている経済戦争のなかでも、おまえらの犯罪をあばいて、アイノースをどろにまみれさせてやる。みろ」
背後のテーブルの上に置かれた新聞の株式面を取り出すと、それを目の前においた。
「わかるか? これはアイノースの心電図だ。だんだんに下がっていく。おまえらはもう手術室にいるんだよ。あとは息たえるのをまつだけだ。アイノースのモンスター不正売買、それとこの戦争犯罪。このふたつでおまえらは、この世界から消えてなくなるんだ」
「そうでしょうか?」
ぼくは、長浜編集長の長舌を、止めた。
正直にいえば、台湾襲撃での虐殺というニュースに、ぼくは打ちのめされていた。それをメイがみとめたということにもだ。オセロの盤面は、圧倒的に現世界のこまが勝っている。それでも、ぼくがうった一手でひっくり返せるところはひっくり返したい。そう、しなければいけない。
「モンスター不正売買について、ちょっと確認をしたいことがあります」
タイトル引用:悪魔はすぐそこに (創元推理文庫)D.M. ディヴァイン