第67回 世界平和と悪意がふたりを別つまで
オンラインではアイノースと現世界の話が持ちきりだった。だれか、現世界の本誌をいち早く手に入れられないのか。印刷所、本屋、コンビニの店員はどうなんだ?
求められれば、それに答えようとするひとたちも少なからずいる。事情通のように、あるいはアイノース航空隊の元隊員としてまことしやかに拡散していく。もう、うわさ話のようなこそこそと広がるものじゃない。いったいどれがほんとうなのか? 膨大なオンラインにうもれるもののなかには、真実をいいあてたものもきっとある。それが誰しもが求める答えかどうかはわからないけれども。
しかし、その議論も今日で終わる。現世界の提示するニュースというかたちで顕現する。
うそだけれどね。
※ ※ ※
リンカが消えたのは、水曜日の午後11時半から、木曜日の午前4時までのあいだだ。それまで、だれもリンカのすがたを見ていない。日本にあるアイノースの邸宅は、本邸ではないけれども、そのひろさははんぱない。それに、警備も厳重だ。しっかりと防犯カメラもうごいている。第三者がそのすきまをぬうことはまずむずかしい。
でも、もちろん、このお屋敷の主人、リンカなら不可能ではないだろう。とても大変だけれどね。仮にメイが把握しているこの空白の4時間半、女の子の足でいけるところは限られている。ましてや、交通手段が極端にすくないのだから、ぐんと範囲はせばまる。
それでも、アイノースの捜査の手をのがれているのだ。
どこへリンカはいってしまったんだろう?
なんでリンカはいなくなったんだろう?
お屋敷のなかにいるときから誘拐されたって線はたぶんうすい。だってあの警備網をかいくぐって世界の女王をつれだすなんてめちゃくちゃ大変だ。
だとすれば、やっぱりリンカはじぶんの意思で屋敷を出たってかんがえるのがいちばんシンプルだ。問題はその先だ。考えられるのは、あらかじめリンカが計画だてて車とかの交通手段を確保していた場合と、屋敷を出て以降になにものかに拉致された場合のふたつだ。最初の場合、リンカの目的を推測できればゆくえだっておのずと見えてくる。やっかいなのはあとのほうだ。まるっきり手がかりがない。こんな事態のどまんなかだ、そうじゃないことを祈るしかない。
メイはすっかり動揺していた。ふだんの冷静さを、どうやらリンカのすがたといっしょに見失ってしまったみたいだ。電話のさいごのほうには、ただただお願いします、と繰り返しているだけだった。これじゃあらちがあかない。ぼくはメイと落ち合う約束をとりつけた。
朝の5時を過ぎ、ぼくは電車を乗り継いでアイノース邸の近くの駅まで向かった。
待ち合わせた場所にメイがあらわれたのはそれから10分もしないころだった。ふらふらとした足取りで、視線の投げかけさきも安定していない。
前にあったときからそんなに経っていないというのにまるで別人だ。短期間に変わることなんてできないけれど、だれしも、ひとにはみせたことのない顔っていうのを持っているものだと、かえではいっていたけれど、ほんとう、それだった。
メイの話は、正直、電話口で知ったこととほとんど違いはなかった。ロリっ娘メイドはそれでも気丈な様子を取り戻し、口調も元にもどせるぐらいには自制をしていた。それでもぼくが知っている彼女のふだんとはほど遠い。会話が上の空なんだ。ちょっと怖い。
それでもメイにはおもうところがあった。かんたんに「だいじょうぶだよ」と、ぼくがつぶやくと、メイは目の焦点をぼくの眉間のあたりにむけていった。
「ほんとうにそう思いますか?」
「思う」
「だとしたら、ユウタさんは夢見がちです」
メイは自嘲するようにわらった。
こんないやな笑い方をする女の子ではなかったのに。
「夢見がち?」
「はい。リンカお嬢様もあなたも、表にたって、モンスターと戦ってきたひとです。でも今回のあいてはモンスターじゃない」
「今回のあいては、人間?」
「はい。はっきりいいましょう、人間の悪意に比べたら、モンスターの脅威なんてなんのことはありません。わたしがあの大戦のさなか、たたかいつづけていたのは魔王軍ではありませんでした」
人間です、この地球の。
こんなことになるのなら、はやく「対処」しておけばよかった。
メイの目は暗くうちくぼんでいた。
その奥にひそむ、なにかにこころまで引きずり込まれているかのようだった。
人間の悪意。
それを知らないふりをするには、ぼくは2週間であんまりたくさんをまざまざと見せつけられた。もっともうち暗く、おっかないものだ。世界にたくさんちらばっている怒りという感情をばくばくむしゃむしゃ食べて成長する、人間が作り出した、それは化け物なんだ。
やっかいなことに、この化け物のすがたは目で見ることができない。完全に消し去ることもできない。おまけにずるり、ずるりとぶきみな音を立てて、ひとからひとへと乗り移っていく。
ぼくには、ちからがある。かえでにも、エリカにも、リンカにもちからがある。とんでもないちからだ。それで世界を救った。でも、それは魔王とモンスターを組み伏せるちからだ。姿形のあるものを倒すちからだ。
でもメイはちがった。ぼくは知らなかった。彼女は終末戦争のさなか、人間の悪意とたたかっていた。そいつは変幻自在の怪物だ。ときにはじぶんたちが守っている街のひとたちのすがたにもなる。武器や盾を預けた仲間のすがたにもなる。疑って、でもだからといって、見捨てるわけにもいかない。脅威と悪意の狭間がメイの戦場で、そしていまもたたかっている。
ぼくはようやく知ったんだ。
メイはリンカというひかりのかたわれ、かげの勇者なんだって。ひかりにおそいかかる人間の悪意を食らいつくし、ひかりの勇者が世界の厄災に立ちむかう時間をかせいだ、15歳の「盾」なんだ。
それでもぼくはまだ知らない。
メイがいったいなぜこれまでにリンカを守るのか。どんなつながりがあるのか。でも、ぼくにはそれを知る権利なんかあるわけない。ただ、ひとつのほんとうは、ひかりとかげのふたりの勇者はお互いを信頼しあい、ふたりでひとりで、そしていま、そのひとりがこつ然といなくなった。ぼくの目の前にいるのは、人間の悪意からひかりの勇者を守りきれなかったと絶望と怒りにまどうひとりの女の子だった。
「メイ」
「はい」
「リンカを探そう」
ぼくはメイのその目を見つめた。かすかに、ひとみの奥に揺めきがあった。「ぼくらしか、彼女を助けられない。そうだろう?」
「はい」
よろしくお願いいたします。
ゆるゆると、メイは頭を下げた。
※ ※ ※
もし、リンカがいくとしたらどこだろう? 彼女は怒りに燃えていた。怒りが彼女をつきうごかしていた。ならば、それをどこにむけるだろう。
考えたけれど、ぼくにはひとつしか見当がつかなかった。それは絶対に当たってほしくないサイアクの予想だったけれど、いまのぼくにはそれしかわからない。
週刊現世界編集部。
狂気にむしばまれた編集長と、怒りにむしばまれた世界の女王が、そこでガチンコの対決をすることは、アイノースのスクープをあでやかにかざってしまう。それがまっ赤ななにかではないことを、ぼくは道すがらにいのるしかなかった。
途中でエリカからの着信があった。
帰りが遅くて心配しているのかもしれない。でも、いまはちょっと電話に出ている余裕はなかった。
編集部の住所はだれかに聞く必要もなかった。雑誌に書いてあるし、オンラインにもその情報はながれている。出版社があつまるような地区ではない。もともとが政治思想団体の機関誌あがりだからだろうけれど、政治団体がたくさんいるところに居をかまえていた。
メイがこんな感じじゃあ、ばつぐんの交渉力でアポイントをとるわけにもいかない。
ぼくのやりかたでやるしかない。
つまり、正面突破だ。
まちがって強襲とおもわれてもしかたない。リンカが仮に強襲しようとしていたなら、それを止められればいい。
世界をゆるがす大スクープ、予告ホームランを放ったのにもかかわらず、火中の編集部のまわりにはひとがいなかった。官公庁への出勤の時間であっても、わずかに道がそれただけでひと通りはすっからかんとなくなる。時間は8時。マスコミ業界のひとが果たしてこの時間に出勤しているのかはちょっとあやしい。あけみさんなんて昼過ぎぐらいに出社するとかいっていたし。でも、いくしかない。
会社、といっても、本当に週刊現世界の編集部しかないようなもので、受付もない。古ぼけたドアの横に電話がおいてあり、番号も2つぐらいしか記載がない。耳をそばだててみる。でも、中かからはなんの音も聞こえてこない。ぼくは受話器を手にとり、コールをかけた。
うすいドアの向こうから、同じようにコール音が響いてくる。ぷるるる、ぷるるる。でも応答がない。諦めようと受話器をおこうとしたその時だった。がちゃりととつぜんドアが開き、なかからみすぼらしい格好をした男のひとがでてきた。
それは、先日アイノース家でみた、長浜編集長、そのひとだった。
長浜編集長も早朝のたずねびとがぼくとメイだったことに驚きを隠せていないようで「うひゃあ!」とひとこと叫ぶといっぽ足を引いたけれど、左手でごしごしと顔をなでくりまわして、ぼくらの顔をじっとみつめた。めやにがすごい。髪の毛もぼさぼさしている。寝起きだったんじゃないかな。
「こいつぁ、驚いたね。佐倉ユウタに、そっちはアイノースのメイドちゃんじゃないか。なんだ、ついに正義のばつを与えに来たってわけかい?」
「正義のばつを与えられるようなことをしているんですか?」
「いうね。いいや。むしろ正義はこっちにある。ばつを受けるのはアイノースだ。そして来週は佐倉ユウタとアイノース家の結びつきでもスクープするかね? ネタがカモとネギを背負ってきてくれたようだし」
「取材をしますか? ぼくらも聞きたいことがあるんです」
「ちょっと待った。まあ、中へ入れよ。こんな大ネタ、外ではなして他社にとられてもつまらない。それに寝起きでね。立って話すのはつらい。いちおうは客人だ。茶ぐらいだす。まあ、カップが汚くてもかんべんしてくれ」
メイの表情にすこしだけ、嫌悪がにじんだ。
生理的な拒否反応は、どうやらいつでも稼働しているらしい。




