第66回 世界平和と鳥籠が落ちる
ぼくはまるっきりうかつだった。記憶力はとんと悪いほうだったれど、それがここまでなんて。記憶力アップトレーニングってないかな。
避難キャンプ地でのモンスター消失事件の犯人は、英雄教の古川さん、そしてアイノースを懲戒免職させられたおなじく英雄教の今井さんのふたりだった。
あの日、飛翔・人型の2体に追われていた大型のバンには、古川さんと今井さんが乗っていた。彼らは復興対策本部の無線をぬすみ聞きして、モンスターの討伐情報を知った。そのねらい目はぼくだ。ひとりで行動するし、それでもモンスターは確実にたおすからだ。それに、ほかの地区での討伐にもすぐにかけつけなければいけない。まさに、うってつけだ。彼らははやばやと現場にはいって退治されたモンスターを回収しようとたくらんでいた。避難方向とは逆に現地にむかうその様子を、若い刑事さんにみられていたんだ。
でも、モンスターにおそわれた。予想していなかったなら、それはあんまりに間のぬけた話だ。命だって落としかねない。あのままだったら、モンスターにつかまる前に、大きな事故をおこしていただろう。
それをぼくが救った。皮肉なことにね。でも、神経がよっぽど太いんだろう。ぼくが退治して、移動したことを見とどけてから、ふたりはモンスターを回収した。
たったそれだけ。
ふたを開けてみれば、バカバカしいほどかんたんな話だ。
味をしめたふたりはこの前のモンスター討伐作戦のときも回収に走った。でも、そのときはきちんと退治した数をかぞえていたし、復興対策本部によるあと処理もすぐにおこなわれた。だから、結果は空振りだった。
そう、あのぼくが英雄教にしのびこんだ日、もどってきた車には、古川さんと今井さんが乗っていた。回収できなかったけれど、たぶん運搬につかう道具を施設にもどすために帰ってきたんだろう。ふたりは運が良かった。モンスターを回収していたらその場でばれていたし、証拠をにぎられていた。そのすぐあとにぼくがバンの中をのぞいていたし、なにより、ふたりの姿を、張りこんでいた記者が撮影していたんだ。
そりゃあ、そうだよね。目的がぼくと真壁先生だったとしても、夜中、あやしげなふたりがもどって来れば、カメラを構えているんだ、撮影しておかない手はない。
喫茶店でぼくが提出をたのんだのは、きっとあの記者ならそうする、っていう勘がはたらいたからだ。案の定、記者のひとは写真を撮っていたし、ひと目見てそのふたりのうちひとりがだれかはすぐにわかった。もうひとりのほうを調べるなんてマスコミのちからを借りれば造作ない。アイノースの暴動デモの発端になったひとなら、なおさらだ。ぼくの推理を話すと、あけみさんと記者のひとはひどく興奮をしたようすだった。
そしてあの施設の異様な匂い。あれはきっとモンスターを保存していたときにこびりついた匂いだったんだろう。
彼らは尋問ですぐに犯行を認めた。理由は金銭だった。もともとは自然に息絶えたモンスターを探しあてては持ち帰り、違法取引をしていた。でもそれじゃあ、もうからない。手間の割に手に入る数がすくなすぎる。そんなときに考えたのが、復興対策本部による討伐現場からうばいとることだった。実は避難キャンプでの強奪よりも前から複数件、実行していたと自供した。
支部の実質的なトップは古川さんだった。建物自体も彼のものであり、教団施設として用いていたのは1階と2階だけ。3階以上の階は私有施設として教団員にも立ち入りを禁じていた。だから4階の部屋のことはだれも知らなかったらしい。
彼らの証言をもとに、裁判所の令状を待って施設の家宅捜査をおこなうことをナナミさんは着々と進めている。
モンスター消失事件は、これでいちおうの決着を見る。
でも、まだだ。
ぼくの打ったオセロの一手は片1列が白から黒に変えたけれど、その効果はもう1列にも関わってくる。
ぼくはもう1列の石をひっくり返すために、手を伸ばした。オセロで完勝はむずかしい。それでもすこしばかりも勝った場所を増やしたい。だってぼくらはかなりの部分、負けているのだから。
※ ※ ※
電話が鳴った。画面にはメイの顔が表示されている。ぼくは応答を押した。
「もしもし、メイ?」
「ユウタさん、ごめんなさい。ずっと連絡ができませんでした」
「いいや。むしろそっちはだいじょうぶかい?」
「2度目ですね、心配いただくのは。それもこんな短期間に。ええ、わたしはだいじょうぶです」
「そっか」
「ユウタさんは、おめでとうございます。消失事件をみごと解決されたようですね」
「はやいな」
「メイドのたしなみです」
うふふ、とメイは笑った。「でも、あんなにからまりあったなかで、よくひとつのほつれをみつけて糸をほどきましたね。さすがです」
「たまたまだよ。運が良かった。それでもまだたくさんからまっている」
「武里ケイコさんの事件ですか?」
「それもある。でも、別のほつれのほうが先にほどけそうだ」
「別のほつれ?」
「現世界のほうだ」
いっしゅん、メイはだまりこみ、へえ、と深いため息のように感嘆の声をあげた。「いっぱつ逆転ができそうでしょうか?」
「わからない。でもそのためにはメイに確認をしたいことがあるんだ」
「わたしに答えられることなら」
ぼくは脅迫状のアリバイについてたずねた。メイが真実を答えてくれるかはわからなかったけれど、これは賭けだ。彼女はぼくの推理を聞いてから、ひとこと、ごめんなさい、といった。
「わたしの伝え方が悪かったようです」
「というと?」
「投函は連続して行われたのではありません。3日に分かれていたので、1日目、2日目、3日目とわけて説明をしたのです」
それは、つまり。
「1日目の投函がされたのは、今からひと月前。ユウタさんのマンションに投函された日から数えれば2週間前の日曜日なんです」
メイのいう2日目は、その約1週間後の火曜日だという。
「そして、アイノースバイオテクノロジーに脅迫状が届いたのは、最初の投函から4日たった木曜日でした」
つながった。メイによって示された正しい図式は納得するに足りる。
ぼくは頭のなかでスケジュールを引き直した。
7月 1日(日) ビラ投函1日目
7月 5日(木) アイノース、武里教授への脅迫状
7月10日(火) ビラ投函2日目
7月12日(木) 武里ケイコ事件
7月16日(月) ビラ投函3日目
7月17日(火) メイ、脅迫状持参
そう、ぼくがたてたもうひとつの仮設の信ぴょう性がぐんと増した。ビラが脅迫状の前に存在していたのなら、脅迫状はビラを受けて作られたものという考えができる。
「お役に立てましたか?」
「十分だよ」
メイに教えてもらいたい情報としては、十分だ。
でも推理の材料とすれば、正直にいって、そんなことはない。十分なんかにはほど遠い。手もとにあるのは状況証拠ばっかり。そして、そんな証拠から組み立てた推測が週刊現世界、そして長浜編集長がつくりあげたでっちあげニュースに一矢むくいるための武器だった。やわっちいし、ちゃんとあたるかもわからない。それでも、矢をはなつことがいまはだいじだ。
「それはよかった。では、ユウタさん。わたしからもひとついいでしょうか?」
「ああ、うん、もちろん」
「どうか、助けてください」
え? 助けてください? ぼくはとまどいを隠せなかった。
「ど、どういうこと? さっきはだいじょうぶだって」
「はい、だいじょうぶです……わたしは」
そこではじめて、そう、出会ってからいままででほんとうにはじめて、メイの声に動揺がはしった。たぶんぼくが聞く、最初で最後のメイの動揺だ。
「リ、リンカお嬢様が、い、いなく、なったんです」
「リンカが?」
目の前がぐらりと揺れた。「いつだ」
「さ、昨晩お会いして。それから、つい今しがたお部屋からテレビの音がしていたので、のぞいてみたら、も、もぬけのからでした」
巨大部隊のトップとはいえ、普通の女の子だ。それに、アイノースの人間の手を借りないかぎり、ものすごく遠くまでいける手立てのある時間じゃない。
しかし、いったいなぜ?
「ユウタさん、お願い、お願いします、お嬢様を、リンカお嬢様を探してください……!」
現世界の前刷りというばくだんが投下される木曜、アイノースの会見が行われる前日その未明に世界の女王は白く高い塔の鳥かごから、その姿を消してしまったのだった。
タイトル引用:揺りかごが落ちる(新潮文庫)メアリ・H・クラーク