第52回 世界平和と生ける屍
懐中電灯の直線的なひかりが、足元からゆっくりと伸び上がり、ぼくの顔のところでぴたりと止まった。
「佐倉、お前なにをやっているんだ?」
ぼくにはあいてのすがたは見えないけれど、その声はいやになるくらい聞き知っている。
「真壁先生、ちょうど、先生に話を聞きたかったんです」
「なんだと?」
真壁先生の声がほんの少し、こわばった。
ぼくらは、実はほんとうに久々に、こうして相対したのです。
※ ※ ※
お話はちょっとさかのぼる。
意外にも初犯であること、そして、どうやら殴りかかってはいてもおおきく外れたらしい。公務執行妨害は適応されず、真壁先生はデモの後に警察からの厳重注意を受けて解放された。ただ、あのデモで逮捕された教団員があまりに多くて、真壁先生まで手が回らなかったのがほんとうなんだろう。
あけみさんは知っている情報をひと通り教えてくれた。
「せやけど、これは警察も対策本部も知らない話や」
「知らない? なんでです?」
「すねに傷のある情報源だからや。うちの雑誌に寄稿しているジャーナリストの抱えている情報源からのネタらしい。ほんとうかもわからん。ただ、真壁っちゅう元教師が釈放されたのはほんまだし、武里哲郎教授が魔法陣のようなけったいなものの上で自死したのもほんまや」
ぼくは路肩の壁に背中をもたれかけ、わしわしと髪の毛をかきみだした。武里ケイコも武里教授もへんてこな魔法陣の上でその命を途絶えさせた。それが、殺されたのか、自死なのかの違いはあるけれど。でも……。
「武里教授はほんとうに自死なんでしょうか?」
ぼくが問いかけると、くくく、と押さえ込んだような笑いが端末越しに聞こえた。
「名探偵さんはそう疑うよな」
「あけみさんの話ぶりなら、誰だって疑いますよ」
「せやんな。実際、うちもあんたと同じように疑った。正確にいえば、武里教授は自殺と思われる、らしい。なにせあたり一面すっかり焼ききってしもうたからな。死因はわかっても、それが他者によるものか、自分によるものかまではわからんらしい」
そうなると、やっぱり犯人は、真壁先生なのだろうか。火事の現場から、あわてて逃げ出す姿が目撃されている。もちろん、それが本当かどうかはわからない。あやしい情報源は、あやしい情報でしかない。
「ただ、そのジャーナリスト……まあ、そんな立派なもんやないけれど、そいつが真壁に接触しようとしても、すっかりすがたが見えへんらしい。自宅に張り付いていても現れへん。そうなるといる場所はひとつしかあらへん」
英雄教の支部だ。ただ、その正確な場所はわからない。いろんなところに点在しているし、小さいものも勘定すれば、たぶん復興対策本部も警察も把握できていないだろう。
でもなんとなく、ぼくには※※市にあるあの支部だという直感があった。それは古川さんという武里ケイコの葬儀に、真壁先生と一緒に参列していたひとがいたからだ。
あの支部は、きっと武里一家とも関係値は高いのだろう。
「うちの情報は役にたったか?」
「はい。とても、役に立ちました」
ありがとうございます、とぼくが伝えると、あけみさんはすこし間をあけて、「ああ」と口ごもるような感じで答えた。電波でも悪いのかな。ぼくはすこし声を上げて、もう一度、助かりましたと伝えた。
「ユータ、あんな?」
「はい?」
「……いいや、なんでもない。なあ、あんたはあんたが正しいと思うことを進めればいい。それは若いやつの特権だ。大人になったら、そんな簡単なこともできへんようになるからな」
生ける屍や。
そう、あけみさんはぽつりと呟いた。
※ ※ ※
討伐の報告が済むと、ナナミさんがひょっこりと顔を出した。目の下に色の濃いクマができていて、いつもはきりりと見開かれた目元は、やけに腫れぼったく見えた。
「討伐、お疲れ様でした。佐倉ユウタさん」
普段はフランクな口調のナナミさんだけれど、公的任務の完了報告のときは、お役人然としている。ぼくはこういうナナミさんがちょっと苦手だった。ただ、ぼくもいちおうはそれに合わせる。軍隊と一緒に動いていたこともあるんだし、慣れたものだった。
「本討伐作戦も成功でした。被害は最小限に留められたといえます。あなたの労に、復興対策本部は多大なる感謝の意を表します」
「ありがとうございます」
「以上をもって、本作戦は終了とします」
ナナミさんはそう宣言をすると、ふーっとおおきく息をついた。
「あらためて、ありがとうね、ユウタくん」
「いいえ。それよりもナナミさんはだいじょうぶですか?」
「だいじょうぶなもんですか。おおわらわよ。相手がストレートフラッシュだして来ているのに、こっちはワンペアしかそろってなくて、大勝負で全取っ替えでロイヤルストレートフラッシュを狙わなきゃいけない的な状況」
「ポーカーってあいての手札見てからは変えられないよね?」
「そういう細かいツッコミとかいらないから。ニュアンスよ、ニュアンス。いかに無理ゲーと向き合っているかだけ、汲み取りなさい」
だったら、へんなたとえ話しなきゃいいのに。
ナナミさんは近くのイスにどかっと座ると、あーっと口をあんぐりと上げて、声を出した。
「アイノースの連中とも連絡取れないし、ほんとう疲れるわ。ユウタくんは、あのメイドの子と連絡取れている?」
「いいえ、今はまったく」
そう答えると、もう遠慮もかしゃくもなく、ナナミさんは盛大に舌うちをした。
「ちくしょう、今度は取っちめてやらないと気が済まないわ、あのロリっ子メイド」
「メイはなにかの罪に問われるんですか?」
「偽証罪とか? ないわ。ほんとうはしょっぴいてやりたいけど、あの場は非公式な場だし、知らなかったといいきられたら、それっきりだもの。でも、覚えていらっしゃい、メイドちゃん。目にものみせてあげるわ」
ナナミさんは、うふふふ、と不敵に笑っていなるけれど、目がさっぱり笑っていない。
こわいよ、単純に。
「ナナミさんはあの週刊誌の内容が正しいと思っているんですか」
「わからない、っていうのが正確よ。でも、編集部に提出させた写真には、たしかにモンスター売買のブローカーと、武里哲郎教授が写っている。疑わしきは罰せずだけど、疑わしいなら徹底的に調べるだけよ」
それからひとつため息をついた。
「ただ、面倒くさいことに、うちの上層部も現世界信奉者がいるのよ。もう、てんやわんや。おまけに武里教授からの事情聴取も不可能。どうすればいいのよ」
英雄教の教団員が、その燃え盛る武里の家からほうほうの体で逃げ出した。真壁正義。なあ、あんたんところの先生、きな臭すぎて吐き気がでるんやけど?
ぼくの頭のなかをあけみさんの言葉が駆けてすぎた。やっぱり確認しなければいけない。知らないのならば、知らないことを確認したい。
「ユウタくん、どうしたの?」
「ううん、なんでもないです、ナナミさん」
モバイル端末で時間を確認した。午後22時37分。まだ時間はある。
※ ※ ※
モバイル端末に流れるニュースは、アイノース社によるモンスター不正売買事件がほとんどで、もっぱら批難をするものばかりだった。市民団体デモのことも書かれている。しかし英雄教のときのような、暴動はいっさい起きていない。市民団体は、ただひたすらプラカードを掲げ、声を張り上げているだけだった。
でも、ふしぎなことに英雄教はこの風潮に乗る様子がなかった。
いくつかのメディアが不正解雇問題について教団の東京本部へコメントを求め、それに対してぽつぽつと談話が出ているだけだった。あれだけ過激な行動をしていたのに。逮捕者をだしてすっかりとなりをひそめてしまったのだろうか。
※※市に着いたころには23時半を回っていた。
帰ってくるころには電車はない。
まあ、夏だもの、野宿したって別にどうってことはない。襲われたってだいじょうぶだし。
20分の道のりをぼくは歩いた。
駅から離れればはなれるほど、だんだんとひと通りも車の交通量も減っていく。
街灯もすくなくなる。
月明かりもどんよりとたれこめた暑い雲に覆われて、あたりは暗闇に包まれていた。道なりにぽつん、ぽつんと見える家のひかりと、ときおり往来する車のライトがぼくの道しるべだった。手元のモバイル端末の画面を懐中電灯がわりにして道を照らすこともあった。だから、思っていた以上に時間がかかった。
英雄教の支部の手前に来たころだ。
遠くから一台、車のヘッドライトが見え、それがすうっと英雄教の支部に滑り込んだようだ。音もほとんどないあたりだから、車の走行音はしっかりと響く。
ぼくはぴたりと足をとめた。
こちらからも相手からもこの暗闇ならみえないけれど、路肩に身を寄せて、目と耳をこらした。
ドアの開閉音がふたつ、足音もふたつだ。
がちゃがちゃとなにか金属のようなものを抱えているような音がする。
ふたりが教団施設に入ると、1階フロアに明かりがともった。厚めのカーテンがひかれているようで、すき間からひかりがこぼれるだけでなかの様子はうかがい知ることができない。なかでなにが行われているのか、なにが話されているのかもさっぱりだ。
気を配りながら、建物へと近づいていった。
すると、1階のあかりが消え、またふたりの足音が外へと出てきた。ふたりは立ち止まらずに駐車場へと向かい、車にまた乗り込んだ。
でも、ひとつ違うのはさっき乗ってきた車ではないようだ。少し小柄な車に乗り換え、あっという間に走って去った。
ぼくはまず、さっきの車に近づいた。大型のバンだ。メイと来たときにもあったものだった。モバイル端末でなかを照らしてみたけれど、なにも見当たらない。もちろん鍵もかかっているから、なかにはいって探ることもできなかった。
それから、今度は教団の入り口のドアを押し引きしてみた。
当然だけど、こっちも鍵がかかっている。さっきの1階フロアも窓からのぞきこんでみたけれど、とても薄いすき間のようで、やっぱりうかがい知ることができない。1階の窓もぜんぶロックされている。
ちぇっ、しっかりしているなあ。
でも、まだまだあきらめない。
建物の2階までは意外に登りやすそうだ。
ぐるりと周辺を見て回ると、ちょうどいい位置にダクトがあった。指や足先を引っ掛けて登るにはちょうどいい。てのひらをもみこむと、ダクトをつかみ、ひょいひょいと上へと進む。建物は作りが古い。窓にはサッシがあり、体重のかけ方次第では、歩くこともできる。ぼくは横づたいに進み、鍵のかかっていない窓を探す。運のいいことに、正面口の真裏の窓に鍵が開いていた。ただ、ずいぶんとさびついているらしい。キュルキュルとすべりの悪い音が響いた。
建物のなかも真っ暗だ。
モバイル端末の光量をおさえて、懐中電灯電灯がわりにしてあたりを探る。
どうやら倉庫のようだ。荷物が散乱している。横断幕や旗、プラカード、拡声器、バリケード用なんだろう盾のような形状のものもある。
しばらく探索をしていると、事務机の上に1枚の紙が置いてあるのに気づいた。
メイが英雄教との対話のときにわたしたアイノースへの脅迫状のコピーだった。きっと持ち帰るのを忘れたんだろう。英雄教のひとも捨てればいいのに。
残しておいていいもんじゃない。ぼくはちいさく折り畳むとポケットに突っ込んだ。今度メイに返しておこう。
それ以外に目立つものはなかった。特にぼくの探しているものは。
廊下にでると、左右を見渡した。
すると、なにかつんとした腐臭が鼻をついた。
建物自体はそんなに大きいものじゃない。フロアに3つの区切られた部屋がある。2階をぐるりとさぐったけれど、目的のものは見うけられなかった。あとは3階と4階だ。ぼくは階段をゆっくりと登ると、腐臭が強まった。
なんだろう?
意識を集中させる。どうやらにおいは4階からするようだ。ぼくは先に4階を見ることにした。
4階はドアがふたつある。手前の部屋には本棚がならび、たくさんの本が無造作に詰め込まれていた。宗教的な本がほとんどだけれど、魔術や医学、生物学的な本もある。でも、においの正体はここではない。
ぼくは隣のドアを開けた。とたん、においは鮮明になった。においをごまかそうと、やけに強い消毒剤のにおいもする。ただ、部屋を見渡しても簡素なつくりで、何かがあるわけでもない。
唯一、奥にもうひとつのドアがある以外は。
なかに踏み込んで、ドアノブに手をかけた。でも、鍵がかかっている。もちろん、鍵なんて持ってやしない。これぐらいなら、ちからづくで開ける。ぼくはぐっと手にちからを込めた。
「そこでなにをしている?」
後ろからとつぜん声がかかった。
しまった。意識がぜんぶにおいに持っていかれていた。後ろからの足音に気づかなかった。
ぼくはドアノブから手を離し、くるりと入口のほうを向いた。
懐中電灯をもった影があった。
暗闇でも、声だけでわかる。
ぼくが建物に忍び込んだ理由のひとつが、向こうから出向いてくれたのだ。