第43回 世界平和と推理その1 お茶会で推理を
ナナミさんのデスクは想像していた通りで、散らかり放題だった。書類を腕でぐいっとおしのけると、そこにぼくら用に入れてくれたコーヒーの紙カップを置いた。ナナミさんは間違いなくしばらくは洗っていないであろうマグカップに粉とお湯を注いでぐいっと飲んだ。
その一連の流れを、メイはものすごく嫌そうな顔で見ていた。
「ちゃんと洗わないと不潔です。お片づけもしてください」
「なにいってんの。熱湯注いでいるから、菌も死ぬわよ。それにこれは完璧な布陣なの」
あれ? それ、どっかで聞いた。
隙あらば横からマグを奪い取って給湯室で洗いかねないメイを押しとどめて、ぼくらは昨日から今日にかけて見つけたいくつかの情報をナナミさんに見せた。メイはあの後ぼくの家の周辺マンションでの投函を調べた。その結果、半径1キロ圏内での投函がいくつか確認されたらしい。
ナナミさんはマンションに投函されたビラと、アイノースバイオテクノロジーに送られてきた脅迫状に書かれた「異世界生物との共存を考える会」についてとても興味深そうに眺めていた。
「もちろん、わたしたち復興対策本部は、このビラに書かれているようなことはしていないわ。完全なるデマ。こんな怪文書が出回っていることは私たちも把握している。でも、この異世界生物との共存を考える会は興味深い」
ナナミさんはパソコンを立ち上げると、共存を考える会の検索を始めた。ぼくらもモバイルで検索をかけてみたけれど、どんぴしゃりな結果はでてこなかった。ナナミさんの端末にも、該当するものがヒットしなかったようだ。
「手広く活動をしている団体ではなさそうね。あたしたちの情報網にもヒットしない。近しい名前の団体はあるけれど、類似性があるだけで、表記ミスや関連性があるようには、ぱっと見では考えられないわね」
「スタンドアローンで活動をしている団体ですか?」
「どうかしら。こんなの、匿名と変わらないわ。ぶっちゃけ、同じようなことを主張するときに複数の団体のほうが関心度も高いと思わせられる。そういう意図で名前だけ団体を量産して、抗議をするやからもいるわ。ペンネームみたいなものよ」
ただね、とナナミさんはコーヒーをぐいぐいと喉の奥に流し込むと、もう一度ビラを見つめ直した。
「ここの表記が気になるの。モンスターの値段が書いてあるのだけれど、これが闇市場での流通価格におおよそ合致している」
そんな流通価格があるんだ。
ナナミさんは完璧な布陣の机から、とじ込まれた印刷物を取り出した。複数回、拡大縮小のコピーを繰り返したようにフォントにすれあとなどがあるけれど、読むのには十分だ。
そこにはモンスターの固有名詞と、その各部位の値段が週別にまとめられていた。全部で5ページ。ただ、右下にはページ数が書かれてあり、この資料は480枚あるうちの5枚のみということらしい。
「それはある業者を摘発したときに押収した資料なの。残念ながらほとんど破棄されていて唯一残っていたのがそれ。その資料の最後を見てみて。鳥獣型の値段のいちぶが書いてあるわ。それと、ビラの鳥モンスターって表記の価格を見比べてみて」
押収した資料には「鳥獣型(胸肉):2132ドル」とあり、いっぽうのビラには「鳥モンスターの肉を2000ドルで販売……」という記載がある。確かに、価格帯は近い。
「モンスターの売買の市場は主にアメリカ。日本でも取引はドルが用いられている。もちろん取引関係者であれば、ドル表記が通例だとわかるけれど、一般には広まっていない。それなのに、合計額の記述は数十億円、としてある。ドルじゃない。つまり、前者の価格は伝聞での数値を聞いてそのまま記載をしていて、後者はたぶん記述者の想定で記載されたものだと思う。だから通貨に共通点がない」
「ネットワーク上に情報が流れているということは?」
「そうしてくれていれば、もっと正確な取引額の情報を手に入れやすいんだけどね。やましいことをしている気持ちはあるっぽいわ、紙とか、開示が限定的で済むものでしか価格は管理していない。うちで押さえられたのはその5枚だけ。アメリカとかヨーロッパではもっと資料の押収が進んでいるらしいけど、あたしらに開示してくれないしね」
つまり……と、メイはひと差し指であごをなでながら考えをまとめていた。
「この共存を考える会は、取引関係者と密につながっている、または接触して情報を得ることができることができる人物が関わっている。でも、正確な情報を誤認識してしまう程度の距離感だということでしょうか」
「デマを流すつもりで活動をしているんじゃ、誤認識もなにもないんじゃないかな。価格の部分は、真実を少し織り交ぜたほうが信用度が増すって判断かもしれない」
「その可能線はあまり考えられません。少なくともユウタさんのおうち近くの住民のみなさんは、モンスターの市場価格が2000ドルだという真実を知りません。だいたいの方はぜんぶが嘘だと思われるのではないでしょうか?」
えーと。つまりはどういうことになるんだろう、と考えをまとめているうちに、ナナミさんが手帳に走り書きをしながら答えた。
「共存を考える会の意図は、メイちゃんの推理がいい線をいっていると思う。ある程度正確なソースを持っているひとたちが、妄想と真実をごっちゃまぜにしている。少なくとも、かれらは善意でやっているつもりなんでしょうね。あたしたちも、このビラの配布範囲を探ってみます。ただ、仮にメイちゃんが調べたあたりのみの配布だとすると、共存を考える会はきみたちの街にあって、そしてモンスターの違法取引業者も近くにいる可能性がある。消失事件の大きな手がかりになると思うわ」
謎の投函者が、ここに来て重要な存在になった。
しかし、やっぱりどこのマンションも防犯カメラの稼働はしていなかった。形だけ設置をしているけれど、抑止効果を期待しているだけがほとんどだという。目撃情報もない。存在が際立ったものの、その姿は霧の中に霞んでいた。
「ナナミさん、そこに英雄教が入ると、何かピースがつながったりするかな?」
「どうかしら。モンスター消失事件と、英雄教を結びつけているのは、武里ケイコさんの事件よね? でもそれも、共存を考える会が武里教授の家に脅迫状を送ったというだけのもろい接点だわ。検討すべき内容だけど、いますぐではないと思う」
それは一理だ。
ただ、ぼくにはどうにも引っかかっていた。
偶然がすぎる、ということもわかる。でも、いろいろなピースが引き寄せられて何かの絵を作ろうとしているような、そんな感覚があった。
少なくとも、武里ケイコの事件と、今朝の大志摩タエさんは直接的、または関節的につながりがるはずだ。しかし、その魔法陣のようなものも、ナナミさんはわからないという。転生者の対策本部の第一線にいるひとが知らないのだから、これはやはりこの世界の人間によるものなんだ。
武里ケイコがなぜ命を奪われなければいけなかったのか。
その理由を、ぼくは必ず見つけ出したい。
それはきっと、かえでではなくて、ぼくにしかできないことなんだろう。
ぼくらはその後もしばらく議論を重ねて、でも、何かのブレイクスルーになるような意見はでてこなかった。
お開きにしようか、とナナミさんがぐいっと大きく背伸びをした瞬間、メイは素早くマグカップをかっさらうと、ぱたぱたーっと給湯室の方へと走って行った。