第41回 世界平和と世界の幸せを祈るということ
「うわ、最悪。あれ、英雄教だよな。ユウタは顔を伏せておいたほうがよくね?」
藤村は露骨に眉をひそめた。こいつがこんな顔を見せるのは珍しい。
商店街の入り口で、女の子がを行き来するひとにチラシを差し出しながら、熱心に呼びかけをしていた。受け取るひとはいないし、みんな避けるように通り過ぎていく。それでも女の子は気にするそぶりも見せず、近づいて行ってはチラシを差し出していく。
藤村のいうとおり、ぼくはあまり関わらないほうがいい。それでも、逃げるように避けることはなんだか嫌だった。
「さあ、みなさんも、一緒に勇者様を異世界から呼びましょう!」
ぼくらが避けて進むと、女の子はわざわざ近づいてきて手元にチラシを差し出した。ぼくと藤村は軽く頭を下げながら通り過ぎようとしたんだけど、エリカは思わずその紙を受け取ってしまった。
すると、女の子は嬉しそうにエリカの前に周り込み、「あなたも勇者様の存在を信じていただけますか!」と声のトーンをさらに高くした。もちろん、そんなつもりはなかったエリカはおろおろと逃れようと体をよじらせるけれど、女の子はたくみなステップでそれを許さない。なかなかの脚さばきだ。バスケとかやっていたのかしら。
「あのー、ちょっと、その子、俺らの連れなんですけど、転校っていう、ちょー大変な用事があるから離してくれません?」
エリカを連れ出そうと藤村が間に割って入った。でも、女の子はどうやらちゃんと話を聞いていないらしい。あなたたちも、勇者様のことを信じていらっしゃるんですね! と目をきらきらとさせて詰め寄ってきた。
分厚いメガネをかけ、暑いさなかにローブ姿というけったいな格好をしているけれど、目鼻立ちのはっきりとした子だった。あれだ、メガネを外すと地味な子が一転、美少女にというパターンの子だ。ぐいぐいと歩み寄るその女の子に藤村もたじたじである。
「いや、勇者っつーか、もう魔王は退治されたし、そんなの呼ぶ必要なくね?」
「いいえ、魔王はふたたび復活するのです! 勇者様は必要です!」
そんなあっさりと復活されても困るんだけどなあ。
割と倒すの大変だったんだけどなあ。
「あの悪魔の聖母は魔王に対して言いました。魂がある限り、魔王は時間をかけて復活することができる、と。ならば、魔王は肉体が滅んでも、魂だけの存在でこの世に存在し、ふたたびこの世の中を破滅と混沌のるつぼに落とし込むのです」
いや、そんな嬉々として言わなくても。つい最近までそんな感じだったじゃん。
「だからこそ、肉体ではない、魂を退治できる勇者様をお呼びしなければ、わたしたちのこの美しく、尊い世界は救われないのです!」
「で、でもさ、復活するのだって、別にすぐってわけじゃないじゃん? あのインタビューでも、長い時間かけて復活すると」
「そんな確証どこにあるんですか! その長い時間が、もしかしたらこの世界では1年とかかもしれないんですよ! 悠長なことは言っていられません!」
ああ、それは否定できない。論理的にはあっている。数万分のいちが、いまである確率だってある。ただそれは、魔王が復活することが間違いない、という前提での論理だけど。
復活するという考え方は、宗教的とかではなくて、世界共通で議論されていることだ。復活の可能性をなくすこともできないし、あるともいえない。いちぶのひとはやっきになって復活の証明をしようとしている。証明不可で復活の否定をしたいのだろうけれど、それこそまさに悪魔の証明だ。だから、ぼくらは「復活派」のひとたちの論理的弱点を指摘して、否定することで、魔王の復活という最悪のシナリオがないって安心をしているのだ。だから、まあ、復活派は必要な存在ではあるのです。
ただ、それは議論としてだけの話だ。
議論をすっとばして、ただただ最悪を信じることを貫くひとたちも少なからずいる。
それが英雄教なのです。
別に論理的な話が得意でもないし、熱心な信仰にも同調できないし、可愛い女の子に詰め寄られてたじたじの藤村は、ちらりとぼくに視線をよこした。悪い、ちょっと犠牲になってくれよな、という、あれだ。まあ、仕方ないよね。
「でもさ、ほら、仮にいま復活しても、こいつがまた魔王を倒してくれる。だから全然まったく問題ない。だいじょうぶだ。おれはこいつを信じている」
「こいつ?」
そこで女の子はようやくぼくの存在に気づいたようだ。ぱちくりとまぶたを瞬かせて、驚いたように声をあげた。
「佐倉ユウタさんですね! まあ、初めて。お会いできて、とても光栄です! 握手をしてください!」
正直、藤村はきっとひと悶着があると思っていただろうし、ぼくだってそうだ。真壁先生のように目の敵のように扱われると思っていたから、彼女から嬉しそうに握手を求められるとは意外に過ぎた。
女の子はぼくの右手を掴むと、ぶんぶんと振り回すように握手をして、いまにも泣きだしそうに、「あなたも、やはり本物の勇者様を求めていらっしゃるのですね!」といった。
え? 本物の勇者?
「肉体のみとはいえ、いちどは魔王を倒されたあなたなら、わかるはずです。魔王の魂が肉体から離れた所を見ていたのですから。だからこそ、だからこそ、真実無比、伝説の勇者の手でしか魔王をほんとうには倒せないことを、あなたは実感されている。そして、あなたも共に声をあげていただければ、世界のひとびとはきっと、伝説の勇者の転生召喚を求めることでしょう!」
魔王の魂なんて、もちろん見たことがない。ぼくは魔法も使えなければ、霊感だってないんだ。それはたぶん、エリカも、かえでもそうだと思う。だけど、この女の子にとってはそれが真実なんだろう。
ぱしん、とぼくの手が誰かに叩かれた。
見るとエリカがものすごく面白くなさそうな顔をで握手するぼくと女の子の手に目を向けていた。
「ユウタは、ほんとうの勇者だよ。きみのいっていることが間違っているとはいわないけどさ、勇者は転生なんてきっとしてこない。きみらの世界のことは、きみらの勇者が退治してくれる」
エリカはぷりぷりと怒っていた。きみらの世界、とか言われても何のことかわからないだろうけれど。というか、そういう発言は控えさせないといけない。
でも、女の子はエリカのいっているいることが、心底理解できないようだ。
小首を傾げ、さも当たり前のようにいった。
「勇者様は転生されますよ? だってわたしたちの召喚に応じて、現れてくださいました。そして、わたしたちをモンスターの襲撃から助けてくれました。台湾のあの襲撃から。だからわたしはいまここにいるんです」
藤村の顔色が変わるのがわかった。
「おい、あんた、あのときの……」
「今日はなんて素敵な日なのでしょう。佐倉ユウタさんも含めて、3人ものひとに話を聞いてもらえるなんて。みなさんもチラシをどうぞ。わたしは大志摩タエといいます。もしもっとお話を聞いて頂けるのでしたら、ぜひぜひ、ほかのお友達にもお伝えくださいね」
大志摩タエさんはそういって、満足げにくるりと身を返し、その場を立ち去って行った。あまりの素早さにぼくらはすっかりと取り残されていた。
そしてぼくらの手元に残ったのは、彼女が配っていた粗悪な紙質のチラシだけ。でも、そのチラシにぼくは目を奪われた。シンプルな可愛らしいイラストとテキストのなかに紛れ込んでいたのは、あの廃ビルに残された真っ赤な魔法陣の絵だった。
悪魔の口はぽっかりと開き、ぼくに話しかけてくるようだ。
よう、また会えたな、小僧、って。
まるで、笑うかのように。