第30回 世界平和とほのかの大好きなお兄ちゃん
ほのかから送られてきた住所をもとに、ぼくは病院へと向かっていた。
ぼくたちの住んでいる街には総合病院がひとつしかない。魔王との戦いのなかでたくさんのひとが傷つき、いまでも自分の身内が病院に入院しているひとはとても多い。この街のひともそうだった。でも、病床は限られている。だからそのほとんどは隣町、あるいはもっと遠くの病院まで足を運んでいる。
ほのかのお兄さんは、この街から3つ離れた街に入院していた。もともと体が弱かったお兄さんだが、2年前、崩れた瓦礫に片足を砕かれ、十分な治療も受けられないまま、結局その足であるくことはもうできなくなったらしい。それでも気丈に怪我と、生来の体とも向き合っていた。
はっきりいって、ほのかは重度のブラザーコンプレックスである。
お兄ちゃん大好き。
聞いた話だけれど、お兄さんをおいて秋田へ疎開なんてできない、と最後までがんとして首を縦に振らなかったらしい。
だから危険度がレベル6になって、鉄道と道路が解禁になった段階で、彼女はその両方を駆使してこの街までひとりで戻ってきたと言っていた。ほんとうに、驚くべきお兄ちゃん愛だ。
病院につくと、中は忙しそうに看護師さんたちが動き回っていた。崩壊危機最中の怪我もそうだけれど、撤去作業の事故や、傷害事件なんかもちょくちょく話に聞く。おまわりさんの数もがくんと減ってしまっているらしいし、まだまだ混乱は続いていうる。
ぼくはまっすぐ307号室へと向かった。個室はほとんど潰され、だいたいが大部屋での入院だ。ほのかのお兄さん……蛍さんのベッドは部屋の一番奥の西側だった。
「あ、ユウタくん、久しぶりだね」
蛍さんはぼくの姿をみとめると、はれやかな笑顔で迎えてくれた。一方、隣で一生懸命に大好きなお兄ちゃんに話しかけていたほのかは邪魔された、と言わんばかりに、むっとした顔をぼくにむけていた。
おいおい、家族の見舞いにきてくれた友人になんて顔をしているんだよ。
「ほら、ほのか。またへんてこな顔になっているぞ。よくないよくない」
「だって、いまちょうどお兄ちゃんに聞いてほしい話だったんだもん」
だったんだもん。
誰だこいつ。
やめて、そんな感じで話されると、まるでキャラをつかみきれていないみたいに思われるじゃないか。もちろん、学校と蛍さんの前では雰囲気が違うのは前から見知ってはいるけれど、戻ってきてからこっち、その度合いが強まったようだとは思っていたが、それはほんとうだったようだ。
「お久しぶりです。ごめんなさい、お見舞いを持ってこようと思ったんですが、学校終わりにちょっと面倒ごとに巻き込まれまして」
「気持ちだけで十分だよ。こうして顔見せてくれることが何よりだしね。俺の友達はてんでんばらばらでさ、大学もずーっと休校。なかなか寂しいものだよ。だから来てくれるととても嬉しいんだよ」
蛍さんはめちゃくちゃ勉強ができた。たいていが出席と入院の繰り返しだったけれど、専門授業を除けば、学年でのいちばんを譲ったことはないらしい。人当たりもとてもよく、友達も多いらしいけれど、まだまだ友人のお見舞いにくる余裕はないみたいだ。
「お兄ちゃんはあたしのお見舞いだけじゃ嫌なの? 物足りないの?」
なにそのテンプレ回答は。
おまけに頰まで膨らませて、ほのか、ぼくだっていること完全に意識外だよね。
「わ、そんなむくれないでよ、ほのか。そんなことあるわけないじゃない。でも心配してお見舞いに来てくれるユウタくんの気持ちが嬉しいんじゃない。ごめんね、ユウタくん、気にしないで。この子はまだ子供なんだ」
「ほら、またあたしを子供扱いするんだ!」
「おやおや、子供じゃないっていうなら、お客様にお茶ぐらい出す気配りがないと。ごめんね、ユウタくん。代わりにぼくが煎れてくるよ」
そういって、蛍さんが体をひねって立ち上がろうとすると、ほのかは慌ててお兄さんの体を押し止めた。
「だめだよ、お兄ちゃん! あたしがいるときはぜんぶやるから、そこにいて!」
ほのかは引き出しから急須と茶葉、湯のみを取り出し、飛び出して行った。
その姿を見届けると蛍さんは苦笑いを浮かべて、他の患者さんに頭を下げた。
「あの子はいい子なんだけど、大部屋だってことを忘れて騒がしくするからね。みなさんがいいひとだから良いものの、ちょっと周りを見てほしいよね」
「気にすんなよ、蛍くん、あの子の元気な声を聞いていると、こっちも元気になる」
向かいのベッドのおじさんが快活に笑った。
「ありがとうございます。妹が少しでもお役に立てているようで何よりです」
そういって、またぺこりと頭を下げた。
「この部屋は重篤なひとが少ないんだ。でも部屋もひともころころ変わるからね」
と蛍さんは少し声を落として、視線を向けた。「ほら、入り口のところのひと」その一角だけ、四方をカーテンで囲われている。
「この前、関北でのモンスターの襲撃で大怪我をしちゃったらしい。この病院にもそういうひとはたくさんいる。だから、ほのかもそういう分別ができるならいいんだけどね」
思わずその一角から目を逸らせてしまった。
到着が早かったら、怪我をしなかったかもしれない。だからだ。
蛍さんは「きみを責めているわけじゃない」といった。
「誰かの代弁は出来ないけど、俺は君に感謝している。関北はここから近い。下手したらこの病院が襲われていたかもしれない。きみと、転特のひとたちには感謝しているんだ」
「そう言ってもらえると、助かります」
「むかしはあんなに泣き虫だったのになあ。いつの間にか人類の英雄だ。きみはほんとうにすごい。俺なんか生きてきて、誰かを助けたことなんてない。助けられてばかりさ」
蛍さんは左手を自分の腰元に伸ばした。
腰から先、片方だけの膨らみをゆっくりとなでる。
瓦礫に下敷きになった右足の処置はそれしかなかったらしい。
「守ってあげなきゃいけない妹にも、けっきょく守られてばかり、助けられてばかりさ。あいつ、戻ってきてからは毎日顔を出すしさ。口やかましいけれど、まじで嬉しいよ。ほのかのおかげでどれだけ救われたかわからない」
みんな、あの災禍のなかでだれかを救えるようになっていった。俺だけが違うんだ。
蛍さんはそう続けて、寂しそうに口元に笑みを浮かべた。
「ああ、ごめん、なんか辛気臭くなったね。おかしいな。そんな話をするつもりじゃなかったのに。それにしてもほのかは遅いね。ユウタくん、時間はだいじょうぶ?」
「ぼくはだいじょうぶですよ。晩にちょっと予定があるくらいです」
「それは良かった。もう少し話をしたい気分なんだよ。普段は本とか新聞を読んでばかりだしね」
かたわらの棚には、おみまいの品のほかに本や新聞がおいてある。推理小説がおおいのが意外だった。蛍さんは純文学が好きだとばかり思っていたんだけどな。
「なにか読みたい本でもある?」
「いえ、ただちょっと意外で。推理小説って読むんですね」
「古い探偵小説だよ。ホームズとか、エラリーとかね。日本だと横溝正史の金田一耕助シリーズとか。ほら、この本」
蛍さんはいちばん上にあった1冊の本を手に取った。「本陣殺人事件」と書いてある。ぼくも金田一耕助くらいは知っている。八つ墓村とか獄門島しか読んだことないけど。そういうと、ほのかのお兄さんはにっこりと笑った。
「むしろきみが横溝正史を読んでいるほうがびっくりだよ。その2冊が有名だよね、人気も高いし。でも、ぼくはこれかな」
「それ、有名なんですか?」
「どうかな? その2冊や犬神家の一族と比べると派手さがないのはたしかかな。でも、ミステリーファンのなかではとても人気が高いし、第二次世界大戦の後、ベストセラーになった本だよ」
へえ。ちょっとびっくりだ。戦争のあとだから、みんな明るくてたのしい小説が好きだと思ったのに。タイトルもかなりどんぴしゃりなものなのに。
「そう思うよね。でも、戦後だから、この本が売れたのかもしれない。戦争ってさ、たくさんのひとが亡くなったよね。理由はたったひとつ。お国のため。どんなに紐解いても、それしかない。理由もなく、いのちを落としたのとほとんど一緒だよ。でも探偵小説はひとが殺された理由をひとつずつ考えて、解いていく。理由のない死がまん延していた時代を経験したからこそ、もしかしたら、家族や仲間が死ななきゃいけなかった理由を、当時のひとは探していたのかもしれない」
それは魔王による終末戦争を終えたいまでもいえるかもしれない。ちょっと読んでみようかな、とぼくがいうと蛍さんは嬉しそうに、「うん、ぜひ」といってぽんっとぼくに文庫本を手渡した。
「ほかにも借りていってよ。片づけろって、ほのかがうるさいんだよ」
そういって蛍さんはいくつかの文庫本を取り上げた。
すると、その下においてあった新聞の記事がひょいっとぼくの目にとまった。
キャンプからモンスターの死体消失。
社会面の片隅の記事だ。ぼくはこの記事を今朝読んだ。そしてこの10行ちょっとの記事に、ぼくは振り回されることになる。
2017/6/14 改稿