第3回 世界平和とその直後にぼくたちにあった後始末の報告
この本では、ぼくの日常に起きたことを書こうと思っています。
でもその前に、崩壊を防いでからの半年のことは世間にもあんまり知られていないし、ぼくもそこまで記憶力がいいほうじゃない。だから、記録のためにも簡単だけど、まとめようと思います。
ぼくとかえでは、世界崩壊終結からしばらくはいろいろな手続きでたくさんの機関に呼び出された。手続きといっても突然起こった世界の崩壊危機に法律が追いつくわけがない。行政手続きなんてあってないようなものだったんじゃないか、といまでも疑っています。
じゃあ何かといえば、つまり、既存の法律による口止めだ。
ショッキングな出来事だから、やたらめったら漏らしちゃうと世間はびっくりするからないしょにしようね。でもほんとうは、政府のお偉方のお粗末な対応を口外してほしくないから、なんかしゃべったら国家ナントカ罪で逮捕しちゃうぞ、ということをおとなのひとからいわれたのだ。
子供だっておとなの世界では腹黒いことが起きているぐらいはわかっている。
で、実際に世界崩壊の危機に、文字通り身をもって関わっていたぼくらが見たおとなの世界は、まったくもってその通りだったわけです。
それに対して「あー、そうですか」と唯々諾々とサインしたぼくに対して、心の底から正義の味方であるかえでが納得するわけもなかった。説得するの、大変だったんだから。
そんな不満を聞いたある出版社……マンガを出していたぐらいしか知らなかったけど、まじめな本も出していたらしい……の編集さんから「体験記を出版しましょう! 世紀の重要文献になります!」と鼻息あらく説得され、それに気を良くしたかえでがその仕事をぼくに振った、というてん末なんです。
とはいっても引き受けた本人は途中で飽きたらしく、結局資源ごみに原稿を捨てられた。
恨みごとぐらい、吐いてもいいよね。
ただ、ぼくは文章を書くことが好きだったようです。
だからコツコツと、この本を書いているのです。
でも、かえでにはばれないように。また捨てられでもしたら、たまったもんじゃないもの。
そしてもうひとつ、日本政府からいわれたのは外国からのお誘いを受けてくれるな、ということだった。アメリカ、中国、ロシア、ヨーロッパ(たぶんフランスとかイタリアとか)から、ぼくらは確かにいろいろなアプローチを受けた。いろいろな、だ。
ど直球に「俺んとこ来ないとお前の家族を襲うぞ」とかいわれたこともある。ごていねいに日本語で。ぼくは読めないからわからないけれど、きっと海外の言葉でそんなことはたくさんいわれただろうし、メッセージや手紙ももらった。なかにはノートの切れ端で届いたものもあって、スパイ映画さながらだった。
そう、平和になった世界では、ぼくらはただの脅威なのだ。
ぼくもかえでもバカじゃない。はんぱないちからを持っている。チートだ。肩入れした国は無敵です。だからみんな手を差しのべる。外側にいるより、内側にいてくれたほうが、安心だから。それができなきゃ……まあ、対処方法はそんなにないよね。
ぼくは日本語しかしゃべれないし、家族も、友達も日本にいる。だから日本以外に選択肢はなかったんだけど、「何で日本なの?」とけっこうたくさんのひとにいわれた。世界危機のさなかでも「平和になったら、うちの国にこない?」というお誘いはちょくちょくあった。平和になってからこっち、その数がぐんと増えました。
結局さ、世界は簡単にはひとつになれなかった。
そんな世界だから、「ほんとうに平和になったの?」って考えることもある。
難しいよね。
でも、まあ、いいや。
こんなやりとりが増えたのも、世界が崩壊しなかったからだ。これもぼくらが勝ち取った日常なんだと思う。地球は平和に、ちょっと暴力的に、くるくるきょうも回っている。
5/13 加筆