第21回 世界平和と水と氷の魔女
「理由を知りたいんだよ、ユウタくん」
灰色の室内で、ナナミさんはため息をつくように言った。「なんで黙っていたの?」
ぼくが復興対策本部の取調室に連れられたのは、関北市での戦いで起きた出来事のためだ。
※ ※ ※
車を諦めて、結局ぼくは走った。それしか移動手段がなかった。途中で放置された自転車があったらちょっとの間借りようと思いすらしたけれど、そんな自転車すらなかった。
復興対策本部へは通達済みだ。
ナナミさんの行動は無駄がない。的確な指示と、迅速な対応は、苛烈なばかりの使命感に突き動かされているのだから、これまでモンスターの襲撃は最低限に抑えられていた。
生物学者による統計を信じるのであれば、大型のモンスターの数は着実に減っている。
駆除もそうだけれど、環境に適応できなかった奴らがたくさんいたらしい。水が変わると、誰だって体調は崩しやすくなるものだしね。
キャンプ地の方は制圧ができたらしい。
母体が絶命していたから、子供がそとへ出てくることができなかったらしい。あとから聞いた話だと、もう少し対応が遅かったら、子供はお腹を食い破って出てきていたらしいから、本当に間一髪だったようだ。
ただ、関北はナナミさんも予想外だったらしい。
そして、関北への部隊派遣には相当の時間がかかる。
「道路がめちゃくちゃなの」ナナミさんは悔しげにつぶやいた。「君たちが住んでいる関南はまだ補修が進んでいて、復興対策用の地図ができあがっているけれど、関北は川と丘陵が入り乱れていて、復興が遅れているの。大部隊はそうそうに送り込めない」
いまから近郊に向かって、そこからの行軍になる。
合わせて飛行部隊での出動も視野に入れる。
広野での飛翔型との戦いなら、飛行部隊は十分に考えうるけれど、住宅街では戦えない。輸送だけでの飛行部隊ではリスクがむしろ高まる。
それでも時間には代えられない。ナナミさんはそう判断したんだろう。
時間はない。
さっきの家族はうまく幹線道路に抜けてきたのだろうけれど、足がないひとたちだっているだろう。
ペースを落とさない。急激な運動量の増加は後からの疲労につながるだけだ。そして、ついてからが、本番だ。
そう頭ではわかっているんだけどね。それでもぼくは全力で走った。わずかな時間の到着でも救える命がある。
関北を視界に入れたのは、走り始めてから、1時間がすぎていた。
避難キャンプと同じだ。辺りを火炎が燃え盛っている。
銃撃での応戦がそこかしこで行われていた。
子供も含むとはいえ、今回の掃討作戦での、最悪の戦場だ。
先陣を切って現場に入った陸上隊員さんが、ぼくを見つけて駆け寄ってきた。
「佐倉くん! 無事だったかい」
「はい、なんとか。いまの状況はどうなっていますか?」
「最悪だ」
隊員さんは瓦礫の脇にうずくまる他の隊員さんに視線を向けた。5人がひどい怪我をしている。
「母親が2体。子供が全部で18匹いる」
「18匹? そんなに?」
「ここは陸上部隊の導線だ。ここを潰されると陸路の救援は難しい。俺たちはここの防衛につく。君は避難先の小学校にいって欲しい。あっちは陸上部隊と航空部隊が戦っているけれど、モンスターの大多数が向こうにいる。このままでは防ぎきれない」
小学校に近くにつれて、銃声とモンスターのけたたましい雄叫びが激しく、重なるように耳に飛び込んでくる。
モンスターの数は正確には把握できない。それでも聞こえてくる雄叫びから、少なくとも10体以上、そこにはいるのだろう。すでに校舎のあちこちで黒煙があがっている。
もう少し、正確に頭数を知りたい……走りながら、空に視界をむけたその時だった。いたずらに街を照らしては隠れる月明かりが、小学校の上空を照らした。
そこには、ひと際大きな飛翔・人型がひとの子供を抱えて、ぐんぐんと高度をあげている姿があった。
あの子を助けてええ! という悲鳴が激しい銃声の中でも聞こえたのは気のせいではないだろう。
わずかの間、銃声が止んだ。
あのモンスターに撃つわけにはいかない。弾が連れさられた子に当たってしまう恐れがある。
ひと際大きい、おそらく母親モンスターがある程度の高度まで登ると、小さなモンスターが一斉にその母親のもとへと集合し始めた。
ぼくは校庭まで走り込み、ヘリコプターに詰め寄った。
「君は……?」
「いますぐ飛べますか!? あのモンスターの上空まで!」
「ちょっと待ってくれ、この状態では危険すぎる! モンスターと銃火のなかに飛び込むんだぞ!」
「そんなことを言っている場合じゃないんです! このままではあの子は空中でモンスターに食べられてしまいます!」
銃弾で集まろうとする子モンスターを追い払うが、対象が小さすぎる。そちらに注意が向いてしまうと、今度はもう一体の母親モンスターが地上部隊を襲撃する。
ぼくにも策があるわけでもなかった。
ヘリコプターで飛び出してあとはどうするの?
記憶の中のかえでが、馬鹿にしたような笑顔で笑う。
冷静がモットーのあんたが珍しいね。でも嫌いじゃないよ。やっちゃえ。
オーケー、かえで。
ヘリコプターの操縦士の胸ぐらをぼくが掴もうとした、その時だった。
空を鋭いひかりが走った。
ぐええええええ、という断末魔の声が上がる。
見上げると、空中の母モンスターのからだがみるみるうちに氷に蝕まれていく。必死に翼を動かし、高度を維持しようとするけれど、確実に凍結はモンスターを飲み込んでいった。
また青白いひかりがあたりのモンスターを貫くと、半数近いモンスターが同じように、しかし体躯の小ささからより早く、氷が包み込んだ。そして、もう一閃。たった3撃で、小学校を襲撃した群れは壊滅した。
「なんだ、あれは……」
操縦士が、空で起こっている異常に言葉を失っていた。
母モンスターがついに自分の体を重力に引きずり込まれた。
あっ! と誰かの短い悲鳴が聞こえた。
しかし、モンスターも、連れ去られた子供も、地面には墜落しなかった。
校舎裏から巨大なぐねぐねした透明なゴム毬のようなものが、落下するふたつの体を包みこみ、ゆっくりと地面に着地した。ゴム毬はとたんに音を立てて破裂し、あたり一体は水浸しになった。
連れ去られた子供は咳き込みながら、周りを見渡し、そして泣き出した。
その場にいたひとはわかっただろう。魔法だ、と。
そしてぼくには誰が使ったかが、わかった。
視線を周りに向ける。
校舎入り口のところに、その小柄な女の子の姿を認めた。
「エリカ」
エリカはさっきマンションのドアで会ったときと同じように、つっかけのサンダルを履いて、短いパンツにこざっぱりとしたシャツを羽織ったシンプルな格好をしていた。
「やあ、ユウタ」
水と氷の魔女。それが、彼女が以前の世界で呼ばれていた異名だ。幅広い攻撃魔法は使えない。それでも、魔王として、世界を束ねることができたのが、この水と氷の魔法によってだった。
なんで来た。
なんで魔法を使ったんだ。
助けられた。彼女に助けられたのはこれが初めてではない。でも、今回の使い方はあまりにリスクが高すぎた。
ぼくは問い詰めたかった。
でも、エリカはその完璧で、息を飲むような、蠱惑的な笑顔を浮かべて言った。
「ごめん、あしたの買い物の約束、キャンセルになるよ」
ぼくの後ろから幾多の手が伸び、彼女の腕を、肩を、頭をつかんだ。
エリカは地面に押し付けられた。
それでも彼女は抵抗するそぶりも見せなかった。
「佐倉くん」
ひとりの隊員がぼくに声をかけた。
「事情を聞きたい。同行してもらうよ」




