第148回 アイノースメイド業務日誌:恋も、メイドの嗜み
画面越しのリンカ様のお声はすこしお疲れの様子でございましたので、ちゃんとご飯を食べて、お風呂に入って身体を温めて、ゆっくりと眠ることをお伝えしました。
本日はわたしがいませんので、子守り唄は歌えませんが、というととても嫌そうなお顔をされて、あなたの子守り唄なんてなくても眠れるわ、とおっしゃられました。
でもわたしは知っています。お嬢様のちいさな秘密ですもの。お嬢様がお嫁に行かれてもわたしが一生子守り唄を歌って差し上げます。
「でも、あなたが先に結婚するかもしれませんわ」
お嬢様はそうおっしゃられたことがあります。その時ふと思ったのです。そうか、わたしも結婚するかもしれないんだ、と。
わたしだって恋ぐらいはすると思っていましたし、したいと思っていましたし、しているかどうかは秘密ですが、やっぱり破滅的な世界のなかだからこそ、最後まで貫き通せる愛とか、この世界で最後の恋とか、胸熱じゃないですか。愛は魔王にも奪えないとか、そういうの、思ったりしちゃうじゃないですか。うんうん。
でも、結婚とか考えたことはありませんでした。幻想を抱くなとか、墓場だとか身も蓋もないことをおっしゃる方もいらっしゃいますが、それでもそこには恋や愛や劣情の果てもあっても、何かしらの結実したものであるのは確かです。あんなものは紙と法律の上でしかないもの、という言葉もあります。そうなのかもしれません。でも戦争のとき、わたしはまだ子どもで、結婚はできませんでした。わたしたち子どもにとってはあの時がすべてで、あの時は恋がすべてで、究極でした。
戦争が終わったいま、この世界で、わたしたちは大人になることを運命に認めさせました。
だから、そう、わたしにも恋の次がある。
もし、もしも、わたしが恋をしていたら、抱きしめてそれでおわりじゃなくて、それがどこかにふわっと飛んでいったりしてしまったり、いつかかたちが変わってしまうものなんだと、そんなことを思うと、抱きしめていた恋の代わりに、じぶんのこころがきゅーっと、きゅーっとなります。もし、わたしが恋をしていたら、ですが。
さて、話がずれましたね。
お互いの情報を共有いたします。ワクチン、死亡していたはずの疎開者の生存確認と加藤さんという方の救出、想定されていたキメラモンスター、そしてウイルスの原因。お嬢様はわずかな時間で世界を揺るがすできごとを達成してこられました。さすがはリンカお嬢様でございます。その間に起こったわたしのまわりの出来事をお伝えし、リンカさまは、「そう」とうなづきました。
加藤さんは現在、政府機関に身柄を保護され、J国に囚われている疎開者の方々の情報を提供されています。くわしい情報は入ってきていませんが、日本に残られた加藤さんのご親戚のかたと面会も済み、ようやく現在について納得されたとのことです。お嬢様も同じようにJ国からみで事情聴取を求められているようですが、政府もさすがにリンカ・アイノースに無理を通すことは難しいようです。
J国との秘密保持契約については、聞くまでもありません。ノーを突き返す。しばらくは、わたしは参考人と身柄の安全確保という名の下に囚われることになりそうですが、やむ方ありません。いまもそうですしね。
ドアが強くノックされます。
本社との交渉のため、という名目で特例措置で通話ができていますが、時間オーバーのようです。
「気になるのは政府が佐倉ユウタを出せと言っていることですわね」
リンカ様がノックなんて捨て置きなさいとばかりに続けます。
「メイ、疎開者の情報を政府から聞き出しなさい。何かを秘匿していますわ」
ドアが開きます。
刑事さんが無愛想に入ってきて、「時間だ」と低い声でつげます。
「あら、刑事さん、お早いのですね」
「リンカ・アイノースさん、申し訳ないのですが、特例措置ですので延長はできかねます」
「ええ、わかっていますわ。メイ、総理によろしくお伝えください。それから、刑事さん」
「なんですかね」
「世界が平和になって、はじめての夏休みなんです。拘束された分、その子の夏休みの延長も特例措置でできないかしら」
刑事さんの顔にはこう書いてあります。
主従ともども、いけすかない、って。
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