第145回 世界平和と魔法時代のオカルト
「空気が、うまい!」
「庶民は何でも嬉しがれるからお得ですわね」
リンカは優雅なコーヒーカップを優雅なサイドボードに優雅におくと、優雅に毒をはいた。
箱づめにされて実に5時間、あっちに運ばれ、こっちで引きづられ、放り投げられたかと思えば、永遠ともおもえるぐらいに放置される。しゃばの空気は美味しいし、なんでもかんでもきらびやかに見えるくらいにはフラストレーションはたまっているし、優雅に振る舞うリンカがなんか、ムカつく。
「リンカ」
「なんですの?」
「なんかいうことは?」
「あなた、まだいましたの?」
「いやいやいやいや、おかしくない? 5時間箱づめ、おかしくない?」
「あー………………………………………………………………忘れていましたの」
リンカは書類をめくり、ぺたんと判をおした。そうしてしみじみ判子をみて「ねえ、ところで紙と判子なんて前時代的じゃありません?」
ぼくの扱い、急に雑すぎじゃない?
言葉もないとはこのことだ。
あの幻想的な月下美人はいったいどこへいったんだよ。
ぼくはぐりぐりと凝りかたまった肩と首をまわす。見渡すとどこかの施設のようだった。青白いライトはほどよくあたりを照らしている。おかげで雪原と箱で暗闇と慣れ親しんだ眼がくらむこともなかった。
事務テーブルの上には、どうやらぼく用のコーヒーがおかれていた。まだ湯気ががたっている。誰かが用意してくれていたのだろう。喉は渇いていたので、遠慮なくもらった。
ぺら、ぺたん。ぺら、ぺたん。
リンカはつまらなそうに判を押し、ちらちらと時計を気にしていた。良く見ると彼女は白衣を着ていた。しっかりと前をしめ、そういえば髪の毛もアップにしている。するとここは……。
ノックがひびき、リンカが招くと、白衣姿の赤毛のおんなのひとが入ってきた。
「ミス・リンカ、お話が……あら、ユウタ。そんなところに入っていたなんてびっくりしたわ。荷物だと思って倉庫に運ばせちゃったの、ごめんなさいね」
ドクター・レイチェルがからからとわらった。
予想はしていたけれど、どうやらアイノースバイオテクノロジーのようだ。J国から脱出したぼくとリンカは飛行機で中国から日本へ戻ってきた……もっとも、ぼくは貨物扱いだったけど。ワクチンの製造法は奪取した。すでにデータとしてタナカさん経由でバイオテクノロジーに送られているはずだ。そりゃあ、リンカがここに来ることは当然だろう。
「いいのよ。出してくれとも言えない内気な少年は、せまくてくらいところがお似合いですわ。それよりも、結果はどうでしたの?」
リンカの眼がするどくひかる。時計を見ていたのは、きっと実験の結果が出る時間を待っていたんだろう。
ドクター・レイチェルは肩をすくめてみせた。
「良いニュースと悪いニュースがあります」
「そういう面倒なお決まりはいりませんわ、端的にまとめてくだい」
「ワクチンはテツロウの製法と我々の研究から、想定の奏効よりも格段に高い結果となりました。大成功です。すぐに量産に入ります。ですが、治療薬の研究のデータは未完成でした」
「未完成? 送信したデータに不足があったのではなく?」
リンカの声がかたくなる。不足は考えられない。たしかにあのときリンカは書類をすべてデータに収めていた。短時間ではあったけど、漏れているようなことはなかった。ドクター・レイチェルは首を振った。
「治療薬の開発の目処は?」
「このままなら1年でしょう。ですが、テツロウは既存の薬で効果の見込めるリストを作っていました。すでに投薬治療がなされているものもありますが、未使用で効果の高いものもあります。これなら生存率と治癒も高まると思います」
1年。
1日ですら生死の分水嶺だ。壁はあまりに高い。ぼくのあたまのなかをマオウ熱と戦っているひとたちの姿が浮かんだ。
「ドクター、マオウ熱に罹患したひとたちは……エリカや、ほのかや、対策本部のひとたちはどうなったんですか?」
「……生きていますよ。ですが、竹下対策官は意識が戻りません。彼は治療がうまくいっても、後遺症が予想されます。また、前田対策本部長、西浦あけみ記者は昨日重症病棟に移されました。他の方々は一般病棟での治療です。そして鈴本エリカですが……」
ドクターはリンカに視線を向けた。
「ご安心なさい。鈴本エリカは生きています。ですが、あれはコールドスリープという状態でしょうか。あれは、鈴本エリカの魔法なのでしょう?」
エリカは、アイノースが運営する病院へと運ばれた。箝口令のしかれた施設で、政府や刑事組織にも情報は漏れないという。いったいどこにあるっていうんだ、その怪しげな病院は。
そこで用いられたのは、免疫細胞をキメラ化した治療法だという。そのはなしを聞いて、あのモンスターたちを思い出したけれど、もちろん全くの別物だという。治療が施されて間もなくだという、エリカのベッドの周辺に氷が走り、彼女の体自体も氷結におおわれた。しかし、氷に身体を覆われながらも、生命反応はある。
氷は彼女の顔だけはおおわず、いっそう透明なまでに白い顔に、花びらをちらせたような赤い唇が鮮やかであるとのことだ。
「医者や看護士たちはまるで白雪姫だといっていますわ」
あらー、とドクター・レイチェルがにこやかに笑うと、リンカはフンっと鼻をならした。
「ですから、いいましたでしょう。誰も死なせはしませんわ。それよりも」
リンカはそっと頬に手をそえ、なにかを思案している様子だった。「ドクター・レイチェル、あなたのさきほどの言い方ですと、開発が短くなる可能性があるということでしょうか」
「おっしゃるとおりです。むしろ、わたしは確信しています。わたしの知っているテツロウ・タケサトは秘密主義の研究者でした」
「秘密主義?」
「はっきり申し上げれば、協調性のない人間でした。実力は確実です。ですが、研究所に入っておらず、実績はありませんでした。彼が教授という肩書きを手にしたのも、アイノーステクノロジーと共同研究を始めてからですし、そもそも、我々との共同研究をはじめたことも意外でしたし……」
まあ、わたしぐらい大っぴらな研究者もめずらしいんですが、と赤毛の研究者はかかとわらった。
「それにテツロウがJ国におもむいたことはないはずです。彼は自分の研究施設以外では研究をすることはありませんでした。J国にあった資料はテツロウが何らかの方法で渡したもの……それか」
奪われたもの? そう言葉をつなぐと、ドクターはうなづいた。
「よほどの理由がなければ、あんな中途半端な治療薬のデータを渡すことはないでしょう。故意か、不測か。どちらか」
故意に……という言葉がひっかかった。武里教授は自宅に火をつけた後に、首をくくって死んだ。だけど、それは本当だろうか? 本当に武里教授は自死だったのだろうか? あの時、真壁先生が火事に巻き込まれて、大怪我をした。それは単なる事故だったのだろうか?
ぼくがその疑問を口にすると、ドクターはうなった。
「すべてにおいて可能性は考えられるわ……だけど、疑問に思うのは彼の足元にあった魔法陣。J国が関わっていたとして、あれを残す意味がわからないわ。逆に、自死なら納得できる」
「納得?」
「ええ。テツロウは秘密主義だっていったじゃない。彼の研究のちからは折り紙付きよ。でも、長らく評価に結びつかなかったのは、オカルト的な研究と化学の研究をごっちゃにしていたからよ。いわゆる黒魔術的なもの」
あの日、なにがあったのか。
事実でいえば、武里家は火事になり、武里教授は首をくくった状態で死を迎え、足元には魔法陣がしかれ、真壁先生は大怪我を負った。ピースはそれだけなのだろうか、順番は正しいのだろうか。ひとつのピースの置き方で、まったく違う絵が生まれそうだ。
いまは謎解きをしている場合じゃない。いちばん優先すべきは、治療薬の製造方法だ。何かヒントがあるかもしれない。あの日、武里教授の死の現場にいちばん近くにいた真壁先生の話は。
リンカはいっしゅん困ったように言葉を詰まらせた。
そしてぼくは真壁先生が殺されたことを知ったのだった。
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