第140回 世界平和と佐倉ユウタにうってつけの冒険⑦
死の商人なんて後ろ指さされる代償として、戦地で自社製品を調達するくらいは目をつむってもらいませんと、割に合いませんわ。
そううそぶくリンカはいたずらに成功した子どものようだった。
遠くから中国語の怒声が聞こえる。
竜の姿はJ国のどこでもみられたのはまちがいない。兵士たちは異形の怪物へとむかっている。目くらましにこれより勝るものはないよね。まさに最高の好機だ。
ぼくらは戦車に向かおうとした……けど、足をとめた。
「加藤を連れて行こう」
リンカも足をとめ、しばらく考えてうなづいた。
疎開者のいるエリアは研究所から離れている。今回の被害はないだろうし、基本は建物内に隔離されているから、竜を見たとは思えない。
だけど、加藤は見てしまった。
J国に口どめをされる可能性はたかい。そうじゃなかったとしても、加藤の精神でだまっていられるとはおもえなかった。ちいさなほころびが疎開者のいのちを奪うかもしれない。J国は今回のことを魔王軍の強襲と説明できる。加藤はそこでいのちを落としたと説明できる。疎開者たちは動揺するだろうけど、魔王軍とのたたかいが続いているという嘘は、それを信じさせるのに充分なちからを持っていた。
いまはまだ、疎開者とJ国の関係に変化を加えることは避けなくちゃいけない。
それが彼らのいのちをまもるのだから。
ぼくは加藤の腕をひいた。
「行こう」
加藤はひどく戸惑った様子でぼくの顔に焦点をあわせた。
「え、い、行くって、どこにだよ」
「逃げるんだ」
「逃げるって……」
そのとき、足おとと中国語が急にちかづいた。加藤にもわかったんだろう、さっと顔から血の気がうせた。銃を突きつけられる恐怖、今しがたまで目の前で繰り広げられた化物の凶行が思考力をうばっていた。
破壊されているけど、隠れる場所はたくさんあった。ぼくらは慎重に、戦車へとむかった。すると幾人かの兵士がきびすかえし、戦車へとはしった。ばれたか。ものかげからその動向をのぞくこと、彼らは戦車を惨劇の爆心地へ駆り出した。
当然といえば当然の判断だ。あれだけの巨体だもの、手元の銃火器よりも、戦車のほうがいい。
30台のタンクが1点を射程に収めるのはなかなかいかめしい光景だったけど、こまったことに戦車はすべて出払ってしまった。加藤をつれていくのには、足が絶対に必要だ。
リンカはすばやく視線をめぐらした。ぴんっとのばした指をむけた先には、みれば、くるまが置かれていた。重厚感と高級感のある黒いくるまだった。
「あれも、アイノース社製?」
「ええ。服と組織のシステムは目も当てられませんが、くるまをえらぶセンスはありますわね。わたくしがいちばん気に入っている車種ですわ」
「なんでも手がけるな。それこそ、ゆりかごから墓場まで」
「墓場までは手掛けてませんわ。もっとも墓場までのきっぷは常に発券中ですわ」
えらいぶっそうなことを言い出した。
リンカはかばんからちいさな鍵をひっぱりだすと、ドアを開け、すばやくエンジンをかけた。
「動けますわ」
「運転できるの?」
「とうぜん」
ぼくは加藤を後部座席にいれようとした。彼はうでをはらった。目は大きく見開かれ、ぐらぐらとゆれる視線はぼくとリンカにそそがれていた。
「ちょっと待てよ。なんで俺だけなんだよ。家族もここにいるんだ。それにここにいたほうが安全なんだろう? おまえら、J国といっしょに魔王軍をやっつけるためにきたんだろう? 逃げる? なんでだよ?」
「それは」
「おかしいだろ! ちゃんと説明しろよ!」
加藤は叫びながらじりじりと下がった。ぼくはとっさに周囲を見渡した。聞こえていないか? いちばん近い兵士に視線をむけたけど、だいじょうぶ、気付いていない。
「落ち着け、話をきけ」
「なんなんだよ、おかしいだろ! なあ、よお!」
「……魔王は死にました。世界は平和になったんです」
リンカが運転席から声をあげた。
「どういう意味っすか」
「ことば通りですわ。あなたたちは本来の意味ではここにいる必要はありません」
「意味わかんないっすよ、なんでJ国はウソを?」
「ここは国ではありません。魔王なき今、世界が法のもとに動きはじめれば排除されるテロ組織です。みなさんは彼らの人質なんです」
「じゃあ、なんで助けにこないんだよ。おまえら、俺たちを助けに来たんじゃないのかよ」
「J国の発表では疎開者は亡くなったことになっています。ですが、日本政府が証拠もなく信じるわけはありません。生きているなら取り返す交渉ができますし、非難もできます。しかし、疎開先で亡くなったなら日本は手出しできません。そもそも疎開先として手配したのは政府ですから、拉致にもあたらない。いま、J国がもっとも恐れているのは中国による排除行動です。ですが、日本がそれを引き止めている。あなたがたは、現段階でJ国の生命線なのです」
「あ、あんた、アイノース軍なんだろう? なんとかできないのかよ」
「……今はできません。ですが、あなたの証言と情報があれば、奪還はできます。だから、今はあなただけでも脱出する必要があります」
「いやだ! ここには……ここには家族がいるんだ!」
その時、銃声がとどろいた。
視線を向ける。兵士が銃をむけていた。
くそ、見つかった!
「佐倉ユウタ、早くのりなさい!」
加藤は抵抗しなかった。
リンカはアクセルを踏みこんだ、くるまは走り出した、高俊熙を乗せたくるまが向かった方向に。
立て続けて2発の銃声がする。
伏せろ!
加藤の頭をシートにおしつけると同時に、1発が後方のガラスに弾かれる。
何人かがこちらに武器を構えた。サイアクなことに戦車も向きを変える。くそ、あれに狙われたらひとたまりもない。
「佐倉ユウタ、ゲートです! このまま突っ切りますわ!」
100メートル先に、巨大な門があった。戦車が2台横並びで通れるほどで、観音開きの鉄門の片方は閉じている。兵士がふたり、速度をたかめるくるまに反応してあわててゲートを閉じようとしていた。
「お、おい、だいじょうぶなのか?」
「さあ。でも、雪みちのくるまは急に止まれませんし、急に曲がれませんの。あの兵士の運動能力にかけましょう!」
とかいいながら、なんかもう一段速度が上がったような気がするんですけど!
「加藤、なにかにつかまれ!」
正面の兵士はあわてて銃を構え、くるまに撃ち込んだ。
防弾ガラスの精度はよほど高いんだろう。くわえて自社の製品を信じているリンカは驚きも躊躇もしない。猛スピードで突っこむ鉄のかたまりを前に、冷静でいられるわけがない。ゲートの兵士は思わず避けた。
バンパーは鉄門に鼻先を押し込みながらこじあけた。
だけど、くるまはコントロールをうしなった。おおきく左に回転する。運のいいことに、新雪にタイヤが埋もれ、スピンがおさまった。すぐにハンドルを切り返すが、こんどはぎゃくに雪にタイヤがとられて、走り出せない。
後方が爆ぜる。
戦車の砲弾だ。
しかしその衝撃でタイヤが雪にしっかりと噛んだのか、車体がとつぜん走りだした。
爆撃と銃声はつづく。高性能の砲撃システムなのか、砲撃手のうでがいいのか、砲弾はくるまの間近に着弾する。いや、むしろリンカの運転技術で、ぎりぎりのところを回避しているのかもしれない。
「佐倉ユウタ、ぼさっとしていないで、後方はまかせますわ!」
「え。ど、どうやって?」
「何とかなさい、世界の英雄!」
「そんなむちゃな、あいては戦車だよ」
「矢でも鉄砲でもミサイルでも核でも倒せなかった魔王を倒したんでしょう!」
そういわれるとぐうの音もでません。
くるまのなかをさぐる。後部座席に武器はなかった。助手席まで体をのりあげ、サイドボードを開けると、拳銃がはいっている。人間同士の抗争なら怖気はしるほどに強力な武器だったけど、あいてが戦車だし、だいぶこころぼそい。
だけど、考えているひまはなかった。いつまでも運転技術だけで避けきれるとは思えない。拳銃一丁じゃ、戦車を撃退することなんて無理だし、さすがにぼくだってあんな装甲板を素手で打ち破るなんて無理なはなしだ。超人ハルクじゃあるまいし。
だけど、それに似たことならできる。
「リンカ、加藤を頼んだ。こいつの証言はぜったい必要だ」
「は? ちょ、ちょっと、バカなことはおよしなさい!」
ドアを開けた。
なんとかなるって。
そういって飛びだす。雪でスピードは出ていなかったし、やわらかい積雪がからだを受け止めてくれた。
すばやくかたわらの林に飛び込む。
くるまは止まらず、そのまま走る。
リンカが判断を間違ったことはあんまりないし、リンカのいうことはだいたい本質をとらえている。
戦車のくるタイミングを見計らって、樹木を蹴り飛ばした。
雪煙を上げて幹が戦車の鼻先でたおれた。距離があいてしまえば、砲弾で破壊されるかもしれない。でもゼロ距離で巨木に道をふさがれたら、止まるしかない。でもけっきょくこれもどれだけ時間が稼げるかわかんない。
戦車のあとから、J国の軍がわらわらとあつまり、こちらを指さす。
砲弾が火を吹く。
帽子を目深にかぶり、林のなかをはしった。
そういえば、リンカはぼくにこうもいっていたっけ。
佐倉ユウタにうってつけの冒険。
まさにね。
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