第138回 仮想捜査ノート:こころの問題
ふたたび動き出したのは日が暮れ、あたりのざわつきがやや収まってころを見計らって動くことを決めていた。
携帯端末ではニュースが流れていた。
さっきの騒ぎだ。
マオウ熱感染による死者のあつかいは保健局の担当だった。完全な防護服に身を包んだ関係者たちがふたりの遺体を丁重に運びだす。効果のほどはわからないが、ボンベを背負った保健局の人間が薬品を周辺に散布している。
そのかたわら、警察のくるまがおおく集結しているのが画面越しにもわかった。
目的はわたしだ。
手帳を振りかざす長身のおんなが現場から消えたとなれば、それが逃走中の真木村ナナミだということは容易に想像がつくだろう。逃走者としては落第だ。負わなくていいリスクを追うのは愚かしい。
警察の検問の範囲はいかほどだろう。時間から逆算して、周囲10キロはすでに押さえられているだろう。だが、10キロのなかにある空白は果てしない。
街が完全に暗闇に落ちる前に、安全な場所を確保しなければならない。
街灯はいまだにすくない。今日は月がみえるとしても、歩くのはきけんだ。終末戦争のまえは夜の暗さを知ることはなかった。歩くのに危険などない。だが、戦争の爪痕は夜の時間をふたたび闇に王の座を献上した。行動範囲はせばまる。街灯の近郊を警察はみまわり、あるいは闇をてらすライトを持った人間を追えばいい。
追跡者たちもそれはわかっているだろう、この時間に動く可能性があることを。
わたしに残された時間はほんの数十分だった。
やらなくてはならないことは多い。
大志摩タエをさがすこと。彼女の目撃情報はけっしてすくないわけではない。ひとの集まるところでビラを配りながら喧伝している。だが、その場所に規則性はない。彼女を見つけることで、事件の端緒をつかむことができる。
行方不明になっていまだに足取りのつかめない藤村少年。
彼の母親は李雅娟、そして佐倉ユウタに接触した李秋木。
偶然のいっちである可能性は高い。けれども、ないがしろにできない強い結びつきがある。あの若い刑事の考えはただしいと、こころの声がいう。
そう思って、しばらくして笑いが込み上げてきた。
こころの声なんていつぶりに引っ張り出した慣用句だろう。終末戦争では明確な理性と生きるための本能がからだを動かしていた。マシーンのように。そのふたつにくらべてこころなんてものの声はあまりにもちいさかった。
だけど、決して無視はしていけないものだったといまのわたしなら思える。
こころの声に耳をふさぐことはにんげんとして死ぬことにつながる。精神に異常を来し、離脱。そういう言葉はいくらも聞いた。しかし、精神とこころはちがう。明確な違いの説明はできないが、すくなくとも、このわたしもこころの声が聞こえるほどには世界は変わってきているのだろう。
思考に……いや、あえて言えばこころに引っかかるものがあった。
戦争という事象で、誰しもが見失ってしまったこころが、その終結とともに発露しはじめている。行動している。こころというものは、決して消えはしない。そして失われている部分があれば、それを探し出そうとする。過去の世界大戦のときの回顧録は、こころのちいさな抵抗を拾いあつめたものだ。こころはちいさく弱いのかもしれない。だが、こころは強い連携を持って、こころを探しだす。
大志摩タエと、藤村少年を突き動かしているのは、きっとこころだ。理性では説明がつかない。
わたしの頭のなかに物語がひろがった。
ちょっと前に佐倉ユウタに「ナナミさんは設定中毒だからなあ」と笑われた。鈴本エリカの虚構の女一代記を作ったときだった。そういえば、高校生のころはモーパッサンや風と共に去りぬ、トルストイにこころ動かされた文学少女だった。
10年も経たない内に、この世界のひとたちはいちどこころを見失った。
幸福な家庭はどこも似たり寄ったりだが、不幸な家庭はそれぞれ違う。
世界は幸せの定型を失った。世界中のだれしもがじぶんの物語を生きなければならない。
空をみる。
幾万のきらめきが夜の帳をつらぬき、星を物語る。ここにある、ここにあった。とどまり、流れ、あるいは小さすぎてかき消えてもなお、ひとつの物語が、他の物語と呼応し合い、線を引き、面を彩り、新しい物語を夜空に描く。
わたしは動き出した。
大志摩タエのこころという星のひかりが残した軌跡と、これからの行方をイメージする。その星の重力に藤村少年のひかりは歪み、あるいは取り込まれているのだから。
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