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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第135回 アイノースメイド業務日誌:鼠穴

 建物は神社仏閣のように手をくわえたらバチがあたるとばかりに昭和よりも前から据えられているようです。きらびやかな飲食店に挟まれていますが、何本もたったのぼりの橘流の文字がにぎにぎしく、平日の夜空にはためきます。が、どこか浮いてしまっているような気もします。


 ですが、それがたまりません。


 なかは打って変わって昭和のおもむきです。入り口のわきには売店があり、店員さんがすわっています。蛍光灯はもうすぐ切れるのか、ぱちぱちとまたたいていて、ショーケースのお弁当もお茶もずいぶんとそこでお留守番しているような、そんな気にもさせます。備品も、お客さんも、匂いも、どこを切り取っても昭和にタイムスリップしたようです。あ、でもよく考えたら、わたし昭和ってよく知りませんでした。


 ですが、それがたまりません。


 常連の方々がベンチに腰をおろして開演をまっているなか、金髪碧眼の美少女がショーケースをお弁当をのぞいている光景に目をパチクリさせていました。


 ですが、それもたまりません。


 のり巻きにいなり寿司のお弁当をひざにのせ、ペットボトルのお茶をもって、わたしたちは椅子席の真ん中あたりにすわりました。


 羽織袴すがたのひとが舞台のまんなかでに入れ替わり立ち代わり噺をしていく様を、お嬢さまはふしぎそうにみていらっしゃいました。


「ねえ、メイ」


 お嬢さまはいなり寿司を飲み込んでからいいます。


「はい」


「わたくしは日本文化について知りたいから、伝統芸能をみたいといいましたわ」


「はい」


「カブキやノウ、ジョウルリ。たくさんあるなかで、なぜラクゴなの」


「えーと」


「えーと?」


「文化に笑いは重要です。落語は長く愛されてきた笑いの芸能です。冗談ごとだからこそ、その文化における条理不条理もえがくことができるのです」


「なるほど。で、ほんとうは?」


「落語大好きで、きょうのトリの困窮亭一膳のファンなんです!」


「空きっ腹にしみこむような名前ですわね」


 わたしがふんすか興奮しているのをしりめに、お嬢さまはいなり寿司をひょいっと口の中に放りこみました。


 前座さんがめくりをまくると「一膳」の文字があらわれます。


 囃子がひびきます。


 待ってました! と掛け声がとびます。


 ひょろっとしたおとこのひとが体をまるませて高座にあがりると、その弱々しいみためとはうってかわって、とんとん拍子のべらんめえ口調で一席を演じます。


 兄からの借金を返しにきた弟。宴席が設けられますが、強風に弟は火事が心配になります。ですが、兄は弟を無理に泊めます。「もし火事になったら財産をやる」

 翌日、弟が帰ると家は火事に見舞われ、財産のはいった蔵はネズミ穴から火がはいって焼失。弟は兄に借金を相談しますが、兄は「酒の席の冗談」と断ります。弟の娘は吉原に身を売り、大金をつくりますがスリにあって失う。絶望した弟は首をくくり……。

 そこで、弟は兄に起こされます。心配のあまりにみた悪夢だった、というオチです。


 あらすじだけでは陰惨をきわめる噺も、演じ方でおかしみがあふれます。


「メイの言っていたことがわかりましたわ」


「一膳師匠の魅力ですか!」


「……彼の実力もですが、ラクゴが文化理解に役立つということですわ。あれは何ていう噺ですの?」


「鼠穴です」


「そう」


 外はすっかり夜です。むかえに来ていただいたくるまにのり、屋敷にもどる途中でお嬢さまは頬杖をついて窓のそとをながめました。


「覚えておきましょう」


※ ※ ※


 全長1万6000キロメートル。東京23区の下水道総距離です。直径30センチ未満のものから、家がはいるくらいまでの大きいものが地下にはりめぐらされています。


 下水道は冒険がいっぱいです。悪の秘密基地に潜入したり、脱出したりするときはだいたい下水道を通って行きます。でも、どんなに上手にかくれても、あそこを通ってきたら匂いでばれそうですけど……ヒーローたちが下水くさかったら見ているちびっ子も、ヒーローにやられる悪役もたまったもんじゃありませんね。


 魔王が現れるまでは、下水道はがんがんざぶざぶと稼働していました。


 日本の10パーセントの人たちは毎日東京ドーム3〜4個ぶんぐらいをがんがんざぶざぶと流していましたから、どっちみち、下水道のなかを冒険するなんてことはできませんでした。でも、戦争がはじまって、いまでは下水の稼働率は全盛期の10パーセント未満だそうです。


 空白があるところには影が忍びこみます。


 アメリカなら白塗り、赤髪のピエロかもしれません。


 ですが、ここではネズミでした。


 わたしが男の子たちの足元の汚れと臭気から下水道を推察し、すぐさま稼働状況

とその非稼働下水道の上にある主要な施設の列挙を公安の刑事さんにはなすと、男の子たちはびっくりした顔を浮かべました。


「おまえ、なんでそれを……」


「簡単な推理ですが、いまそれを開陳している余裕はありません。もういちど、あなたちの考えを教えてくださいませんか?」


 男の子たちはしばらく考えていましたが、わたしが同年代であったことも幸いしたのでしょう、じぶんたちのはなしてくれました。


「友だち、マオウ熱で死んでいるんだ……信じられなかったんだよ。だってさ、いまの科学ならウイルスなんかぜんぜん心配なんていらないって思っててさ、ずーっとやきもきしていたの。で、こいつ(と、男の子は女の子のほうをあごでしゃくりました)、すげえ読書家で、むかしのイギリスでコレラの調査をした学者の話を教えてくれて、ためしに色々しらべて地図にまとめてみたんだ。最初はぜんぜん繋がりもないし、家族内感染がおおかったんだけど、発症から逆算して感染時期を書き込んでいくと、初期の感染時期が重なって、濃くなる所がいくつかあったんだ。その中心点が、また線みたいに繋がっていくんだ……で、その線にそって調査していたとき、道路が壊れて、下水管が見えていて……そこから、ネズミが這い出してきたんだ」


「ネズミだと?」


 そう消防士さんが声をするどくして聞き返すと、男の子はギロリと視線をむけて押し黙ってしまいました。


 女の子があわてて、話をつづけます。


「……ネズミがペスト菌を持っているって、本で読んだことがあって、それで」


 ね、と女の子が男の子に同意を求めると、彼はため息を大きくついて、ぐいっとわたしの方だけに顔をむけました。


「おれたち、なんとか下水道の地図を手に入れて、照らし合わせたらどんぴしゃだったんだ。使用頻度が減っていたり、使われていなかったりする下水管。その管が重なっていて、加えて外とマンホールとかで繋がりやすい箇所と、マオウ熱の発症ポイントが重なっていたんだ」


「まさか」


 ふたたび消防士さんがつぶやくと、男の子は、こんどはぐるりと体を向けて、声をあらげます。


「だったら調べてみろよ! そこのパン屋の下だって、いま言った条件にぴったりあってんだ!」


「それでお前たちは火をつけたっていうのか? ネズミを焼き殺すために?」


「あんたら大人がちっとも話を聞かないからじゃないか! 俺たちだってやりたくてやったわけじゃない。殺鼠剤とか、ネズミ捕りとか、できることはやったさ。だけどぜんぜん解決しない。ネズミに触ったら、感染するかもしれない。だったら、焼き殺すしかないじゃないか!」


 おい、ガキ、てめえ! と声を荒げた消防士さんたちをわたしは制しました。激怒しあっているときに、冷静に押しとどめるのは、社会的、公的な立場にいるひとたちには役にたちます。わたしのような子どもの声でも比較的落ち着いてくれます。


 いまの話の論理に、破綻はないように思えます。


 ビッグデータをもとにした解析と、実地検分はマッチしていて、実際に原因がわたしたちの眼前を走り抜けていきました。下水道。街の下を縦横無尽に走り渡るその見えない道を、マオウ熱の元凶が走りぬけている。ある集団は、ある集団とまざり、また別れ、集合離散をくりかえし、1万6000キロを走りぬける……。


 きれぎれになった都市機能は急ピッチで回復をすすめています。そして、回復するためには局所に集まったほうがより効率的です。中心をつくる。そこから中心を拡大していく。人はしだいに集まり、交流がうまれ……感染が拡大していく。


 公安の刑事さんはモバイル端末から顔をあげ、「下水道の地図は時間がかかる」と無表情にこたえます。短時間に獲得することはもちろん難しいでしょう。


 ですが。


「みなさんは地図をもっていらっしゃる」


 わたしがそういうと、男の子たちはしばらく考えたのちに、うなずきました。


「見せてもらえませんか?」


 また少し沈黙。


 つづけます。


「わたしはみなさんの話が正しいと思います。信じる、ではなく、正しいと判断します。ですが、放火のやり方は正しくありません。正しい判断を正しい方法で対応すること。それが事態の鎮静の最速手です」


「お前だって」


 男の子は吐き捨てるようにつぶやきます。「ガキじゃんか。何ができるんだよ」


「立場というもの、バックの組織力を行使するのです」


 わたしはにこりと笑って、公安の刑事さんを見つめます。公安の刑事さんは苦虫をつぶしたような顔で、こちらもまた吐き捨てるようにつぶやきます。


「きさまの立場は、けっしていいもんじゃない」


「……とまあ、公安の刑事さんが苦々しく言葉をにごすぐらいには影響力がある、と思ってください」


 背中にジロリと音が聞こえるような視線を感じますが、いまは放っておきましょう。


 男の子は戸惑っていたようですが、頷き、ポケットに押し込んであった地図を出します。


「赤い点がマオウ熱の罹患者。日付は逆算の感染日時。大きな丸が感染の中心地だと思うポイント。で、青い線が、下水道……」


 その言葉を聞きながら地図をみていましたが、とたんに彼の声がさーっと流されていくような感覚に襲われました。この地図、そしてこの青い線の上にある施設が日本という国に関わるものだったからです。


 回復には局所に集中すべきです。


 ですが、それはリスクと隣り合わせです。局所を狙われたらおしまい。いっきにそこから火炎が広がり、そして消え去っていきます。下水道という鼠穴を抜けて。


 わたしは公安の刑事さんに地図をわたしました。


 刑事さんも、その地図の意味を瞬時に把握しました。


 その青い線の上にあったのは……復興対策本部。


 いくつかの政党の本部。


 そして、


 臨時国会議事堂。


 夢オチは、まだですか?

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