第133回 世界平和と生命へのうつくしい反逆
たとえば、にんげんと神さまのはなしだ。
にんげんは神さまのすがたを真似てつくったといわれている。ぎゃくに、にんげんが神さまにじぶんとおなじすがたをあたえたという。どちらにしても、にんげんと神さまは外見がイコールでむすばれる。
神さまだけじゃない。
にんげんがつくった、絵画や彫刻、音楽、文学などなど、創造のいったんはいちど見たもの、経験したものだというのはよくきく。
ゼロからの創作っていうのはむずかしい。
根源的に、ぼくらにんげんは、にんげんという存在が規定しているものを超越した感覚でものごとはつくれない。それをかんがえれば、あたまっからぼくらはにんげんが想像と創造ができる限界点っていうルールがあるんだから、そもそもゼロからなんて、まったくもって無理なはなしだ。
そんなこんなをいっている、ここでぼくがかいているものもそうだ。
できごとをどこかしで読んだことのある物語たちの構成をもとにしるしているだけにすぎないんだとおもう、究極的には。
だから、そこにあったもののすがたは、J国のだれかがみたことのあったのだろう。
※ ※ ※
人造の生命体を想像するとき、どんなことをおもいだすだろう?
きっと巨大なガラスづつのなかに液体がみたされ、そこに肢体をぷかりぷかりとうかんでいるようなすがただろう。おかあさんのお腹のなかにいるように。
もしくは、皮膚が未完成で、筋肉の筋が縦横にむきだしになっているようなすがたかもしれない。
その部屋のサイズはどれぐらいだろう。幅も奥ゆきも50メートルはあっただろう、おおきな部屋だった……部屋というのが、ただしい表現ならば、だけど。
そこにあったのは、ガラスのつつでつくられた川だった。川は天井に床にびっしりとはりつめ、縦横無尽にのびあがり、ちじまり、うねり、ひっくりかえっている。まるで血管のようだった。ふといガラスのつつは、直径で15メートルはある。そこからほそいガラス管が支流のようにとびだし、あるいはまた本流へともどっている。
そのつつのなかは、たような生命体が沈黙して浮かんでいた。
上流下流はわからないけれど、ひとつのつつをたどっていくと、生命体が成長、あるいは退化したすがたがあった。
血管のようなつつは、それぞれ臓器のような機材や、あるいは巨大な水槽のような容器に結合されていた。
そのうちのひとつは巨大な球体で、無数のちいさな生物が背面の赤いライトに照らされてうようよと動いていた。その生命体は密集したり、分離して自由におよいだり、あるいは同一方向におよぎはじめる。そうかとおもえば、なにかの異物をみつけると、ひとところにあつまり、はげしく運動をはじめる。たとえば、ぼくらの存在をみつければ、ガラス面にべったりと貼りつく。
ぼくらは圧倒されていた。
戦争のさなか、ぼくはいろいろな国の軍事開発施設をみる機会があった。究極をいえば、ひとをころすための武器だ。鋭利なはもの、厚い鉄板もつらぬく銃弾、すべてを焼き尽くすバクダン。おおまじめにパワードスーツをつくっていた国もあった。
どこもかしこも、科学の叡智をわっさとかきあつめてまるめて押し込んだように雑然と、猛然と生命とじぶんたちの叡智を侮辱するような研究をすすめ、戦争だからしかたがない、とあきらめた口ぶりながら、やっぱりどこかほこらしげだった。
いっしょに行動をしていたかえでは1、2回で憤慨し(あるいは単純につまらないと飽きて)そのじまん話の会を逃げだすようになった。だけど、ぼくはぐおんぐおんと動いたいりする、巨大で、荘厳な研究への興奮がちょっとは理解できてしまう。仕方ないよね、男の子だもん。
でも、J国の研究施設たるその部屋は、そんな国々の研究があまりにちんけで矮小におもえてしまった。
それは生命に対する、叡智の反逆そのものだった。
ガラスつづのその機関は、あらゆるところで鼓動がひびき、施設全体が一個の生命体のように呼吸をすれば、内服する子供のようなそれぞれの生命体もふかく息をつく。
だけど、施設も機関も、本体じゃない。
ぼくがその全体に怖気をはしらせているさなか、リンカの視線はある時点から一箇所にそそがれていた。そこはガラスづつの本流のすべてが向かい、終着していた最下流だ。幾重にベールにつつまれ、部屋の入り口からは全体をみることができない。
リンカは、おかしかった。
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…………。
とつぜん息があらくなり、心臓のあたりに両手を押し付ける。顔からは汗が吹き出し、目は急激にちばしった。ゆるゆるとあゆみ、ちかづこうと願望に忠実な足とはうらはらに、彼女の世界をとりこにするかんばせは、脳のはたらきを如実に反映させ、拒絶と恍惚にその目、鼻、口、頬、眉すべてがいびつにゆがんでいた。
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…………。
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…………。
じりじりとした歩調で、リンカは「それ」にむかってちかよる。絶え間ない荒い呼吸は、ちかづくについれ明らかに激しさをましていく。
「ま、まさか……そ、そんな……そんな……」
「……リンカ?」
リンカの足がもつれ、からだが床にほおりだされる。
しかし、そんなことにも気づいていないように、顔をあげ、手や腕が足のかわりに「それ」への渇望から、はいよろうとする。
ぼくはふるえた。
ぼくにとって、リンカは、リンカ・アイノースは、気高く、誰よりも理知的で、だけど負けず嫌いで、やけに小うるさいところはあるけれど、だれよりも世界の平和を第一にかんがえる間違いのなく、このせかいの勇者だ。
その勇者が、いま、ぼくの前ではいつくばり、何かをしきりに欲するそのすがたをみて、ぼくは、ふるえた。ほんとうなら、彼女のからだをだきとめ、「それ」に近づくことをはばむべきなのかもしれない。だけど、その行為すら、ぼくにはできないほどの狂気がリンカ・アイノースのからだから発せられていた。
そして、彼女はついに、「それ」の前にみずからをおいた。
いっしゅん、鏡と見あやまった。いっさいの曇りもゆがみもないガラス表面のせいだったんだろう。目をこらすとそこにあったのは、巨大な黒い、黒い肉のかたまりがあった。
竜だった。
これまで見て、たたかった竜型や巨竜型とはまったくちがい、巨大だけど、その体、つばさ、腕、爪、しっぽからウロコ、そしてそのからだの中央からのびる首にすげられた顔におぞましさはいっさい感じない。
それは一個の芸術品だった。
いきている芸術だった。
あああああああああああああああああああああああ……!
リンカはさけんだ。のどが裂けんばかりに声をはっし、その喉が声に裂けないように両手をつかみ、おさえながら、叫んだ。その声がおさまると、両手はまるで生命体のように彼女の顔をつつんだ。
ぼくは、あやまちをおかした。
それまで彼女の背中ばかりをみていたが、あまりの異様さにからだがうごき、彼女にちかづいて、リンカの顔をのぞいてしまったんだ。
リンカは涙をながし、くちからよだれをたらしながら、恍惚のおももちで、その竜に視線をなげかけていた。
あああああ、
欲しい、
欲しい、欲しい、
欲しい、欲しい、欲しい、
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しいぃぃぃぃぃ!
「これが手にはいるなら」
リンカはうっとりとした顔で、声でつづけた。
「モンスターなんていくらでも改造しますわ……ずるい、ずるい、ずるい……」
「リンカ……?」
「ずるい! わたくしだって我慢しているのに!」
「リンカ!」
ぼくはリンカの両手をつかみ、そして顔をぼくの方へとむけた。
すると、リンカはとたんに焦点がさだまり、次の瞬間にはがたがたとふるえた。ぼくの両手をはらいのけ、竜に背をむけ、荒れた息をととのえた。そして、じぶんがしんじられないというように、こんどは爪で顔をえぐるようにつきたてた。
「……感謝しますわ、佐倉ユウタ……そして、ねがわくば、いまのことは、忘れてください」
ぼくはなにもいえなかった。ことばがでなかった。もちろん、他言するつもりなんてまったくなかった。だが、常軌をいっした世界の勇者のその様変わりに、ぼくはことばをうしなっていた。
沈黙を肯定とただしくうけとったリンカは、震えるからだで部屋の入り口へとむかおうとした。ぼくも、それにつづく。
そしてふいに立ち止まると、振り返らず、
「あなたは、あれをみて、何も思わないんですの? 感じませんの?」
それは責めるようでもあり、いっぽうで羨望ともとらえられた。
うつくしい。
それはわかる。
だけど、ぼくにとってそれはどこか既視感めいたもののある奇妙な感覚だった。みたことがある、でも、決定的になにかがちがう。
リンカは、ぼくの回答をまたなかった。まつことができなかった。すこしでもここにいる時間がながければ、もういちど、あの竜のとりこになることを、彼女のこころは望んでしまうから。
そのとき、がたん、と反対側の扉のドアが開く音ががした。
早口の中国語が聞こえてきた。