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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第130回 仮想捜査ノート:市中感染

 わかい刑事とわかれ、わたしのあたまのなかの名前は石碑のようにどっしりとそびえていた。李は中華系でも多いファミリーネームだろう。だが、事件の端緒の可能性を否定する要素はない。むしろ巨大な何かを包み隠すキレのほこびだとわたしの直感がつげていた。


 数値や数字ではいいあらわせない直感は、知識と愚者の武器としていわれる経験にともなうものだ。歴史にまなぶことは重要だ。だが、どの歴史書を紐解くのかはけっきょく個人の読書や知識の経験にともなう。


 組織に属さない、個人の行動においては速度が組織を上まわる唯一の武器だ。直感がしめす仮説は何よりも重要だった。


 政府のシステムにアクセスすることができれば容易だ。復興対策本部のちからを借りれば時間もかからないだろう。


 だが、それはできない。


 いま、わたしは組織から追われる身だ。うかつな行動はできない。本部長や他のメンバーはどうだ? 信頼はできる。だが、警察や公安が対策本部とのアクセスを見逃すわけがない。


 佐倉ユウタ、リンカ・アイノースもいない。


 あのメイドっ子も公安に身柄をおさえられている。世界の大企業という強大な組織力をたよることもできない。


 ……いや。


 カバンにいれていたモバイル端末をとりだす。


 画面のボタンを押す。


 1回コール音。


「いかがされましたか、真木村さま」


 かかってくることを想定していたのように落ち着き払った低いバリトンの声は、デジタル音でもクリアに聞こえた。


「よくおわかりですね、前島さん」


「当然でございます。お嬢さまのご友人を忘れはしません。もっとも、お嬢さまのご友人は多くございませんので、おぼえやすいのですが」


 メイの毒舌はこのひとの影響だろう。


 調べていただきたいことがあります、とわたしはいった。


 どのようなことでしょう、と前島さんはこたえた。対応になれた口調だった。エリカ宅強襲後にわたしをむかえにきたことから、このひとの対応力と実行力は並みをはずれていることがわかった。もっとも、リンカとメイのサポートをしているのだから、当然だろう。 


 この数時間で得た情報を伝えた。前島さんは的確に相槌をはさみ、的確な場所で「ほかのご要望は?」とききかえした。


「ありません」


「承知しました。取り急ぎの情報を1時間以内にお伝えします。電話、あるいはテキストメッセージではどちらがよいでしょうか」


 電話で。


 承知しました。


 そうしてモバイル端末はぴたりとおしだまった。要件以外のやりとりもない、端的なものだった。李については前島さんに任せることとした。


 息をついたとたん、体内の熱気がふくれたかのように、蒸し暑さを感じた。太陽は頭上から直角に陽光をそそぎ、ひび割れたアスファルトも熱を抱え込みきれずにじわじわとあたりの空気をやいた。スーツの上着を脱ぐ。対策官としてではなく個人で動いているのだ、動きやすく、涼しい格好でも良いのだろう。ただ、自宅周辺は張り込まれているのは間違いないので、戻ることもできなかった。


 今年の夏は苛烈をきわめていた。


 35度をこえる真夏日が続き、冷房のない場所での熱中症患者が後をたたない。復興が進む場所は公的な施設が主で、中心と周辺ではその差はいちじるしい。汚泥が至る所に積み上げられ、そこからの腐臭や悪臭が陽気にあおられて、生ぬるい風に運ばれている。その周辺にはネズミの死骸が散乱していて、いっそうの不快感を高めていた。


 辺り一体に、戦前の清々しいばかりの夏の幸福感はない。ただ、空は青々しく、幾重の層のようにうねり上がった入道雲の悠然さだけが、遠い昔に置いてきたものを思い出させた。


 ……そのときだった。


 通りの先から悲鳴があがる。ひとがあわてて散る。


 わたしは猛然と駆け、ひとびとが弾かれるように逃げ去る中心をめざす。


 だが、逃げるひとのいる一方、取り囲むように人の壁ができあがっている。ひとりがわたしの腕をむんずと掴み、おし返す。


「近寄るな!」


 視線がわたしにそそがれ、ひといきれがわずかに崩れる。


 その中心にはわかい男女が体をのけぞらせ、ぜえぜえと息をしぼりだしている。


 生命の泉の枯渇にあえぐようだ。


 マオウ熱。


 その末期の状態だった。


 ぐるりと囲うひとたちは間合いをとりあぐねていた。うごけないふたりとは対照的にじわじわと輪をひろげていく。感染リスクのある距離はわかっていない。ひとびとの頭上や隙間から吹きさす夏風がウイルスを運ぶのではないか? 果ては視線が噛み合っただけでも感染するのでは? マオウ熱は、その名前のとおり、魔王の繰り出す魔法のように未知で怪奇な恐怖のかたまりだった。


 感染への恐怖と、そして死に引きずり込まれる命の際の姿に、ひとびとの視線は引きよせ、惹きつけられ、縛られていた。


 助けられるのか?


 答えはノーだ。


 医療機関に運ぶ前に、ふたりの呼吸はとまるだろう。


 だけど……左腕、うたれたワクチンの痕が熱をおびるような錯覚をおぼえた……死にひきこまれて動けないのが人間なら、苦しむ人間の手をとることも人間だ。効果のほどはわからない。だが、このワクチンが人間のもう一面を引き出す勇気をあたえてくれたのは、事実だった。


 掴まれた腕をもぎ取り、ふたりに近づこうとする。


 それを、いくつもの腕がおさえつけた。


「近付くな! あんたも感染するぞ!」


「これ以上感染をひろげるんじゃねえ!」


 抵抗する。組みつかれた腕を解こうとする。


 しかしその度に腕の数はふえ、わたしのからだは地面に押し付けられた。


 声をあげようとする。しかし、肺が圧迫され、声がでない。


 ひとびとの足の隙間から、ふたりの姿がみえた。


 ふたりはしっかりと手をにぎり、おたがいの双眸をみつめていた。はげしく咳き込む。半径はひろがる。焼きつけんばかりのアスファルトのひろいベッドは、ふたりだけの世界を束の間演じてみせて、そして死の床へとかわったことは誰の目にもあきらかだった。


 自分の体の力が、抜ける。


 わたしを押さえつけていた腕がとかれ、ひとびとの視線がふたたび男女にそそがれた。


「……死んだのか?」


「わっかんねえ」


「どうなってんだよ」


「し、知らねえよ。とつぜんふたりで倒れてのたうち回って」


「だれか警察を……」


 死の衝撃に感情の蛇口がしめられたけれど、水をたれるように、独り言がぽたりぽたり、ぽつりぽつりともれた。


「……まさか感染がここまで広がって……」


 誰かがこぼした言葉にはっと息をのむ音が幾重にかさなる。


 蛇口からほそく舌をのばす蛇が這い出でて、音もなく首にまとわりつき、すばやく締め付けたようだった、感染拡大の言葉というすがたになって。


「ね、ねえ、警察に……」


「火だ!」


 誰かが叫んだ。


 ひょろりと背の高い男だった。青白く、ひどく興奮した様子で左右をみわたし、火だ、火だ、火だ! と叫びくるった。


「あいつらの死体を焼かなくちゃ! 早く、早くしろよ! もたもたすんじゃねえ! 感染がひろがるぞ!」


「おい、あんた!」


「なにふざけたこと」


「そうよ、死んでもウイルスは死なないって聞いた……感染するのよ!」


 別の声が響く。


 その言葉がふたたび別の声になってふくらんでいく。


 恐怖は言葉によって感染していく。恐怖が恐怖を呼ぶ。言葉の感染力は強い。たとえ恐怖を発症しなくても、怒りという症状があらわれる。


 わたしの後ろでライターをする音がした。


 ひとかげかくれ、複数枚の紙に点火をしようとしている男がいた。わたしは叫んだ。叫んで、這って男に近づき、ライターと火の燻る紙の束を払いのけた。


 わたしは立ち上がり、ライターを拾い上げようとした男の腕をおさえた。


 男はギラギラと燃え立つような怒りと、そして彼のなかでの狂った合理性の正義に瞳の炎をたぎらせていた。


「邪魔すんな、このくそアマ!」


「ふざけるな、だれにも死の尊厳を踏みにじる権利はない!」


「かかったやつに尊厳なんてあるもんか! 迷惑かけやがって! 俺たちは魔王との戦争を生き残ったんだ! むざむざこんなことで死にたくねえ!」


「そうだ!」


 円のどこかしらから、また誰かが叫ぶ。


「病気なんかで、死んでたまるか!」


 わたしを押さえつけていたひとたちは何も行動をうつさなかった。火をつける。それが間違ったことだということはわかっている。だが、まさに死病ともいえるマオウ熱の恐怖をまざまざと目の前にして、そのリスクの排除は抗い難い思いがあるのだろう。


 ライターを着火しようとした男がわたしの手を払いのける。


 わたしはその事実をもって、しまってあった復興対策本部の手帳を取り出した。追われる身で、おそらくは権限を剥奪されているだろう。だが、わたしはまだその事実をしらない。だから、それを知るまでは、復興対策官としての職務をまっとうする必要がある。


「公務妨害の罪であなたを逮捕します」


 男の目は、信じられない、という感情から大きく見開かれた。


 わたしはぐるりとあたりをみわたし、声をはりあげた。


「遺体への着火は、死体損壊、放火の罪となります。この場は、復興対策本部の管轄下とします。全員、その場から動かないように!」


 わたしの言葉で、そのほとんどのひとが逃げるように走り去った。たったひとりではその場を制圧することなんかできない。しかし、病に倒れたふたりのなきがらはようやく喧騒からのがれられた。


 通報から20分弱で、対策本部の代行としての警察が現場に到着した。


 わたしはサイレンの音を確認して、その場をはなれていた。


 着替えが取りにいけないというのに、服はいたるところが破れていた。暑いが、やぶれたブラウスではあまりにみっともない、わたしはジャケットにふたたび袖をとおした。


 モバイル端末がなった。先の電話から1時間経っていた。


 応答する。


「真木村さま、遅くなりました」


「いいえ、時間ぴったりです」


「お尋ねの件につきまして判明しました。李雅娟さま。それが藤村さまのお母さまのお名前です。つづりは追って、テキストで送ります」


「ありがとうございます」


「そして、彼女の現在ですが……亡くなっておられます」


「亡くなった? それはいつですか?」


 わたしの問いに、前島さんははじめて言い淀んだ。


「わたくしどもアイノースは感謝申し上げなければなりません。李雅娟さまのご家族はわたくしどもが探しておりました」


「どういうことですか?」


「李雅娟さまは犠牲者なのです、アイノース航空隊による虐殺事件の。そしてその家族の方々がわからなかった数名のうちのひとりなのです」

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