第129回 世界平和と謎の自称国家J国探検記②
友だちに会える確率はどれくらいだろう? おなじクラスならほぼ確実、おなじ学校なら探せば高確率に会える。おなじ町に住んでいれば、買い物にでてすれ違ったりすることもあるだろう。旅行先ならおどろくけど、長期休暇に有名観光スポットにいけば、ありえるはなしだ。
「ぐうぜんハワイであったんだよねー」
「そうそう、あんなところで会うなんてびっくりだよねー」
うふふー、あははー、なんて夏休み明けにクラスで自慢げにはなしをしているやつらもいた。うらやましい、こんちくしょう。
でも、世界で有数のテロリスト集団内をスパイ中にクラスメイトと偶然であったなんて、まあ、そんなにいないだろう。
とくにそれが、死んだとされた日本人疎開者ならなおさらだ。
J国による疎開者の拉致は日本があたまをかかえる事案のひとつだ。
死んだと報告されている。
けど、その証拠はない。人質になっている可能性もある。だから、日本政府はJ国への強行な対応がとれない。
ぼくのクラスからJ国に疎開をしたのは4人で、目の前にいる加藤がそのうちのひとりだった。
日本では死んだことになっている加藤は喜色満面に笑みをうかべ、ぼくの両肩をばんばんばしばしとたたいた。
「まじで佐倉じゃんかよ! なんでこんなところにいるんだ。まさか疎開か?」
……疎開?
ちょっと違和感があった。
「加藤、おまえ無事だったのか」
「おう。ここ、武力はすげーからな。魔王軍に攻められても大丈夫。なんつーか、軍隊っつーの? そんな雰囲気で息はつまりそうだけどよ」
……魔王軍?
ますます違和感をおぼえた。
なにかズレている。決定的になにかが。
だけどまずは無事でよかった。それが第一だ。
「ほかのひとたちは無事なのか?」
「あん? 無事ってなんだよ、あたりまえじゃんか。ま、きゅうくつな生活だけどよ、ひとまずは元気してる」
「ほんとうか? ほんとうにみんな元気なんだな?」
加藤はいぶかしげに眉をひそめた。
「なんだよ、疑ってるのか? 元気だよ。ま、この雪に結構手間のかかる仕事を割り振られているから不満たらたらだけどよ。魔王軍におびえないで暮らせるんだ、それぐらいは」
ぜんいん無事という事実はおおきい。これで日本とJ国の交渉はちがった角度ですすむ。完全なJ国優位なものじゃない、まっとうなカタチに。
ぼくがあんどのためいきをもらすと、加藤はややあって、目をぐいっとひらくと顔をちかづけ、声をおさえて、
「まさか、おまえ、忍びこんだとかなのか?」
「ああ」
「どうやって!」
「崖をのぼって」
崖……? ときいて加藤はしばらく信じられなかったようにじーっとぼくの顔をみつめると、じきにこらえきれなくなったようにくっくっ、と笑いをこぼした。
くっくっ、そして、はっはっは! と笑い声がひろがる。
「すげー、すっげーよ、崖のぼってきたのかよ! あの崖を! 校庭のモンスターをなぎたおすのは直でみてたけどよ、おまえ、まじでステータスぶっ壊れすぎじゃね」
「いや、楽じゃなかったし、たいへんだった」
「そういう話のレベルじゃねえよ、ほんとう、おかしなやつだな……なあ、どうなんだ?」
「なにが?」
「そとだよ、そと。どうなんだ? 魔王軍はどこまで攻めている? 日本は無事なのかよ」
とつぜん、ぼくのなかで疑問がすとんと腹におちた。
情報が断絶されている。そとのことはこの国のひとたちのおおくにしられていない。魔王が死んだこと、終末戦争はおわっているってこと、じぶんたちが日本で死んだことになっていることも。
そうしてこの軍事力もりもりの自称国家のぐねぐねにゆがんだ実状と、正体もわかった気がした。J国は単なるテロリスト集団だ。
「魔王は……」
そう、ぼくが言いかけたときだ。
んんっ! とせき払いがとび、はっきりとしたきしみ音をたてて、リンカがうえからおりてきた。
世界でも指折りといって過言はないであろう金髪碧眼の美少女の登場に、加藤は視線とこころと、ことのついでに肺の運動もうばわれたようだ。
もともとおおきい目を血走るぐらいに見開き、くちをぱくぱくさせて、まるで水からあげられた魚のようにあえいだ。だけどひゅっと大きくいきをすうと、
「ア、ア、アイノースの……」
「はじめましてですわ。わたくしのことをご存知ですの?」
もちろん、リンカはにんげんなのでしゃべることができる。でも、加藤にとってはとつぜん次元のちがう何かが飛び出して話しかけたかのような衝撃があったんだろう。しばらく自分に話しかけられているのに気づかなかったようだ。
「ももももも、もちろんです! テ、テレビで、あの、おれ、おれ、あ、あなたのフフフフフ、ファンで……」
あ、そうだ。
そうでした。
加藤はリンカ・アイノースの大ファンだった。
世界会議での演説時、ネットはもちろん、あらゆるメディアはこぞって美貌の司令官を取り上げ、世界中の健全な男子諸兄の純情をうばったのは想像にかたくない。
加藤はその典型で、あまり表にでないリンカのわずかなインタビュー記事や動画を正典のごとくあがめた。アイノースの取締役であるリンカに会えるかも、と株も買っていた。リンカが開運のツボでもすすめたら、きっと大枚をはたいて買ったことだろう。それぐらいに恋にまどっていた。ドツボにはまっていた。
加藤のおどろきの度合いははかりしれない。軍隊めいた疎開先であこがれのアイドルが目の前にあらわれたんだもの、そりゃあね。
リンカは大した役者で、にっこりと艶然にほほえみ、恋でうがった純情ハートにいっそうのボーリングを施しにかかった。もう、すっかりぼくとのやりとりなんか忘れているし、もしかしたら、ぼくの存在すら忘れてしまっているかもしれない。
「わたくしにファンのかたがいるなんておどろきですわ。しかも、まさか、こんなところであえるなんて」
「そ、それはおれもです! まさかこんなところで! で、でもなぜここに?」
「とある事情がございますの。佐倉ユウタさんにはわたくしのフォローで同行いただいております……そうだわ、あなたにもご協力いただけないかしら。これは魔王軍とのたたかいに重要なことなのです」
……ん?
「も、もちろん! おれにできることなら、なんでも!」
「まあ、ありがとうございます」
そういって、リンカは加藤の左手を両手でにぎった。「疎開くらしはたいへんでしょうけど、すこしのがまんですわ。連合軍は優勢です。たたかいは人類の勝利でおわります」
加藤はパニック状態です。せすじをピンっとのばし、むしろのびすぎてのけぞりながら、視線はじぶんの手をにぎるアイドルのゆびと、息がかかるほどのちかさにある花のかんばせを往復した。じぶんの息がかかろうものなら枯れちゃうんじゃないかとばかりに、興奮気味のはないきを抑え込もうと必死だった。じきにそっとうしてもおかしくなかった。
リンカが優雅にゆびをはなすと、加藤はぶるりとからだをふるわせ、まるで電話ボックスから出てきたスーパーマンように、新聞記者のクラーク・ケントとはうってかわった顔つきになった。
「ちょっとまっててください、仕事をちょースピードで片付けてきます」
「あの、このことはJ国のかたやほかのかたには……」
「ええ、わかっていますよ」
似合いもしないウインクで「事情がなんであれ、おれに協力を依頼したこと、後悔させません」とかっこうをつけ、するりと鉄のとびらのさきにすがたをけした。きっと本人はハリウッド映画のヒーロー気分なんだとおもう。
どたどたと遠ざかる足おとを聞き届けると、リンカはカチンコでカットのかかった主演女優のように、フンスカと息をついた。
リンカはたしかに女優だった。すっかり演技をしきった。観賞後、後味すっきりのヒーロー映画のヒロインじゃない。ル・カレのような硬派なイギリススパイ映画にでてくるような二面性のあるひりひりした役柄だ。
「疎開者は死んだ。そうJ国は発表していましたわね?」
「うん」
「まずは無事でよかった。これ以上の吉報はありません」
「うん」
あいずちをうった。
そして、ぼくはきいた。
「なんでほんとうのことをいわないんだ?」
リンカはウソをついた。魔王軍との戦争がつづいているようにつたえたんだ、あえて。
「いってどうなりますの?」
リンカはさらりとこたえた。
「疎開したひとたちはしらないんだ、しったら……」
「しったら? そう、みなさん、よろこびますわ。そして、帰国したいってせがむでしょう。J国はどうおもいますか? 拒絶して態度をかえます。軟禁が監禁になります。死者がでるかもしれません」
「たすければいいじゃないか。いますぐに!」
「どうやってですの? わたしたちはやらなくちゃいけないことがあります。そして脱出しなければなりません。何人いるのか、じゆうにうごけるひとがどれだけいるのか。わからないままでたすけられません」
ぼくはだまった。リンカのいっていることはわかる。そのとおりだともおもう。それがセオリーなのかもしれない。だけどそれがすんなりとなっとくしていない。ぼくもハリウッド映画のヒーローのようにぜんいんをいっぺんにたすけられるとはおもっていない。だけど、そうすべきだともおもっている。
ぼくのなかの2枚の感情がぐちゃっとまるめられてぐいぐいとてのひらのなかでおしこめられているような、きゅうくつさがなにかをしめつけていた。
「わたくしたちはうまく立ち回らねばなりません。加藤さんに協力をあおぎ、すみやかに目的を達成し、そして脱出する」
そういってリンカの瞳のなかに練りこまれた鉄のようなものがみえた。ぼくのまるめた紙切れとはちがった、きょうじんなものだ。
「疎開者奪還作戦は、遅滞なく、十全に組み立て、実行します。どんな手をつかっても、確実に」